第七十話:播磨の門、石山の飢え
播磨灘、淡路島を臨む海上。
そこには、浪紫から「石山の喉元を締め上げよ」との特命を受けた羽柴秀吉の艦隊が、整然と陣を敷いていた。
「報告をせよ! 毛利の運送船、一隻たりとも通してはならんぞ!」
秀吉の鋭い声が甲板に響く。
これまでは、備前の毛利家や雑賀衆から、石山本願寺へ向けて大量の米や弾薬が運び込まれていた。だが、浪紫が吉川元春殿と結んだ和議の条件――「瀬戸内物流の独占管理」が、今その真価を発揮していた。
「浪紫殿の考えは、相変わらず恐ろしい。戦わずして、敵の腹を空かせるのだからな」
(……石山本願寺は巨大な『要塞都市』だ。一〇年持ちこたえると言われるが、それは外部からの補給が前提の話だ。浪紫殿は、毛利との和議を『独占的な契約』に変え、顕如だけを孤立させた)
秀吉の背後には、浪紫から派遣された羽柴秀長も控えていた。秀長は、各地の湊の商人たちから集めた帳簿を検分し、本願寺への横流しを完璧に封じ込めている。
「兄上、石山への補給は九割方止まりました。これで門徒たちの熱狂も、飢えという現実に直面することでしょう」
「ああ。浪紫殿の仰る通りだ。腹が減っては、念仏も力が出ぬというものよ」
封鎖された石山本願寺の深奥。
届くはずの米が届かず、運び込まれるはずの火薬が波間に消える事態に、宗徒たちの間には深刻な動揺が広がっていた。
「……おのれ浪紫。理のみで世界を縛れると思うてか」
顕如は、手に持った数珠を千切れんばかりに握りしめていた。
浪紫が仕掛けた「物流の断絶」は、顕如が誇る宗教的権威を、内側からじわじわと腐食させていたのだ。
「……ならば、その算盤を弾く指、二度と動かぬようにしてくれよう」
顕如が静かに合図を送ると、影の中から、気配を殺した数名の男たちが現れた。それは、宗教的情熱に命を捧げた、本願寺お抱えの刺客たちであった。




