第六十二話:新世界の設計図(ブループリント)と反動の兆し
京の宿舎。浪紫は天羽源鉄斎を前に、数枚の図面と書状を広げていた。それは、従来の守護大名制度を根底から覆す、小田家独自の「天下統治設計図」であった。
「源鉄斎殿、これが私の考える新秩序の骨子です。まず、土地の所有権と徴税権を切り離します。大名には『領地の統治権』は与えるが、勝手な『関所の設置』や『独自通貨の発行』は一切禁じる。経済を一本化し、物流を我が小田のコントロール下に置くのです」
源鉄斎は白髭を撫で、険しい表情で図面を見つめる。
「……浪紫殿、それはつまり、すべての大名から喉元を突き通すに等しい。彼らにとって、関所の役銭や独自の商いは力の源泉。それを奪えば、当然ながら猛反発が起きよう」
「ええ、想定内です。だからこそ、小田の旗印は『愛』と『共生』。氏治様の慈悲を前面に出し、経済開放に従う者には、小田が持つ圧倒的な交易利権を分配する。逆らうよりも、従う方が『得』だと思わせるのです」
浪紫の指が、地図上の一点を叩いた。
「ですが、理屈で動かぬ者たちがいます。既得権益に執着する、古い宗教勢力と、足利の権威を盾に再起を狙う地方の守護代。彼らにとって、我々のやり方は『神仏をも恐れぬ不届きな算盤勘定』にしか見えません」
浪紫の分析により、現在小田家にとって「不確定要素」となり得る勢力が浮き彫りになった。
・石山本願寺(一向宗)
全国的な門徒の動員力と、大坂という物流の要衝の占拠。
・根来衆、雑賀衆
宗教的団結と強力な火縄銃集団。小田の経済合理性を「信仰への冒涜」と捉える。
・旧幕府奉公衆
義昭の幽閉に感づき、室町幕府の再興を画策する過激派。
・西国の雄・毛利家
圧倒的な水軍力と領土。小田の「海路制圧」に最も強い危機感を抱く。
「……中でも、比叡山や雑賀の動きが不穏です。彼らは『小田は仏敵である』との噂を流し、信長公の時以上の反発を煽っているようです」
源鉄斎の言葉に、浪紫はフッと冷徹な笑みを浮かべた。
「宗教勢力ですか。彼らが守りたいのは信仰ではなく、免税特権(非課税枠)でしょう。ならば、彼らには『信者』という顧客が離れていくような、別の価値観をぶつけるまで。力で潰せば殉教者になりますが、価値を奪えばただの骸です」
「それよりも」
浪紫は、地図上に記された「大坂(石山)」の文字を、赤い筆で大きく囲った。
「源鉄斎殿、信長公が最後まで落とせなかったこの地……石山本願寺。ここを放置したままでは、我々が進める新たな国づくりの形は完成しません。彼らは独自の法を持ち、独自の商圏を築き上げている。いわば、小田の領土の中にありながら、小田の法が届かぬ『別の国』が存在しているようなものです」
源鉄斎が眉をひそめる。
「石山は、門徒たちが『進めば極楽、退かば地獄』と唱えて死を恐れずに戦う場所。信長公のように武力で押し潰そうとすれば、かえって彼らの結束を強めるだけでしょう」
「左様。武力による排除は、他に手がなくなった時の最終手段です。私の考えは異なります。彼らが『信仰』の名の下に行っている『商いの独占』と『税の免除』を、仕組みの側から切り崩します」
浪紫は眼鏡の中心を押し上げ、不敵に続けた。
「石山の強みは、全国の門徒から集まる莫大な寄進と、淀川の利権を握るその立地にあります。ならば、我々は石山を迂回する『新たな流通路』を開発し、彼らが握る場所の価値を相対的に下げるのです。どれほど信心が深くとも、腹が減れば心は揺らぎます。彼らを『聖域』に閉じ込めたまま、周囲の経済をすべて小田の規格に塗り替え、兵糧攻めならぬ『市場攻め』を行います」
だが、石山本願寺側も、浪紫のこの「音のしない攻勢」に気づかぬほど愚かではない。
顕如を筆頭とする教団上層部は、浪紫を「仏法を算盤で測る魔物」と定義し、全国の門徒へ密かに檄文を飛ばし始めていた。
(……一向一揆か。現代の感覚で言えば、情報の拡散を通じた大規模なデモやストライキに近い。だが、彼らが現世の利益よりも来世の救いを優先する以上、通常の損得勘定だけでは落とせない……。氏治様の『お人好し』を、彼らの教義とどうシンクロさせるかが鍵だな)
浪紫の脳内では、宗教という解読困難なコードを、いかにして平和的な統治システムへと書き換えるかのシミュレーションが加速していた。
その時、部屋の外から氏治ののんびりした声が聞こえてきた。
「浪紫ー! 源鉄斎ー! 京の町衆が、新しいお祭りをやりたいって言ってるんだけど、予算出してあげていいかな? みんなが笑うなら、その方がいいよね!」
浪紫は一瞬だけ、計算機のような表情を崩し、ため息をついた。
(……やれやれ。この『お人好し』という最大最強のバッファがある限り、人心の掌握はこちらに分がある。だが、その裏で進む『反小田連盟』の胎動……。まずは、物流の要を抑え、彼らの資金源を断つ(キャッシュフローを止める)ことから始めるとするか)
小田の天下は、見た目の華やかさとは裏腹に、極めて精緻な「経済の鎖」によって編み上げられようとしていた。




