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第四十八話:不戦の陣、殺意の風

尾張の平原に、異様な静寂が訪れた。

 小田軍がとった陣形は、戦の常識では測れぬものだった。

 最新鋭の連射大筒はすべて砲身を下げ、兵たちは武器を足元に置き、座り込んでいる。その中心には、煌びやかな鎧ではなく、いつもの穏やかな表情を浮かべた小田氏治うじはるが、一脚の床几に座していた。

「……浪紫はし殿。本当にこれで、民の怒りが収まるのか?」

 傍らに控える源鉄斎げんてっさいが、押し殺した声で尋ねる。その視線の先では、竹槍を構えた数千の農民たちが、今にも突撃せんばかりの殺気を放っている。

「情報の嘘を解くには、言葉を重ねる必要はありません。ただ、『現実』を見せるだけで良い。彼らが信じている『残虐な小田軍』と、目の前にいる『丸腰の小田軍』。どちらが真実か、彼らの直感に直接訴えかけるのです」

 浪紫は眼鏡を強く押し上げた。

(……この時代の民衆心理メンタリティは、恐怖に弱い。だが、それ以上に『救い』に敏感だ。信長殿が流した悪評という名のバグを、氏治様という名の聖域サンクチュアリで中和する。これは、命懸けのウイルス駆除デバッグだ)

 その時、対岸の織田陣営から、一騎の武者が風を切り、小田の本陣へと肉薄してきた。

 織田軍の先鋒、柴田勝家である。

「小田氏治! そして軍師・浪紫! 兵を休ませ、無防備を晒すとは、我ら織田を、そしてこの『権六ごんろく』を侮ったか!」

 勝家の咆哮が、戦場に響き渡る。その背後では、織田の鉄砲隊がゆっくりと狙いを定めていた。

 安土城から本陣へ移った信長は、この光景を遠くから見つめていた。

「サル。小田の動き、どう見る」

 信長が冷たく尋ねる。

「はっ……。ありゃあ、狂っておりまする。わざわざ首を差し出すような真似。されど、あの氏治とかいう御仁、あまりに清々しくて、こちらの兵が引き金を引くのを躊躇ためらっております。……毒にございますな。あれは、優しさという名の毒にございます」

 信長は、フッと口角を上げた。

「……タヌキ(家康)が道を譲った理由が、ようやく見えた。浪紫。貴様は、氏治という『理屈の通じぬ神輿』を、最も効率的に運用しておる。余の合理に対し、貴様は非合理をぶつけてきたか」

 信長は、手元の采配を強く握りしめた。

「だが、甘いぞ。キンカン(光秀)に命じ、民を煽れ。一揆勢の背後から小銃を撃ち込め。……民が死ねば、それは小田が殺したことになる。余の国では、余こそが唯一の法。真実さえも余が作るのだ」

 信長の冷徹な命令が、戦場の裏側で動き出す。

 一揆勢の群れの中に紛れた織田の工作兵たちが、密かに銃口を氏治へと向けた。

 浪紫の脳裏に、激しい警報が鳴り響く。

「……来るか。源鉄斎殿、防盾シールド展開! ただし、反撃は厳禁です!」

 一発の銃声が、尾張の空を切り裂いた。

 それが、泥沼の消耗戦か、それとも未だ見ぬ新時代の幕開けか。数万の視線が、氏治と浪紫の立つ、一点へと集中した。

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