第百一話:虚報の檻(フェイク・ニュース)
島津との激闘から一夜明け、小田軍の陣営には重い沈黙が流れていた。兵たちは武器を抱えたまま泥のように眠り、将たちもまた、その疲弊を隠しきれない。
そんな中、浪紫零也は一人、鹵獲した島津の印章や書状を前に、筆を走らせていた。
「浪紫殿、まだ休まれぬのか。龍造寺の影に怯えていては、身が持ちませぬぞ」
見回りに来た天羽源鉄斎が、机上の惨状を見て眉をひそめた。そこには、島津家臣の筆跡を完璧に模倣した、数多の書状が散らばっていた。
「源鉄斎殿、これが我らの防御の要になります。今、我が軍に必要なのは英気を養う時間。そのためには、龍造寺という歯車を一時、止めねばなりません」
浪紫は眼鏡を拭い、冷徹な笑みを浮かべた。
「これは……島津義弘が、兄の義久へ宛てた密書か? だが、義弘は既に捕らえたはず」
「ええ。ですが、龍造寺はそれを知りません。正確には『まだこの戦場は生きている』と思い込む状況に追い込みます。この書状にはこう記しました――『手はず通り、小田の主力を引き付け、泥濘に釘付けにした。兄者は直ちに背後より襲いかかり、これを壊滅せしめよ』と」
浪紫の狙いは、龍造寺隆信の慎重な野心を逆手に取ることだった。
(龍造寺のような利に敏い男ほど、不確定な要素を嫌う。島津が健在であり、小田を包囲・殲滅する策が進行中だと思わせれば、彼は『漁夫の利』を得るどころか、返り討ちに遭うリスクを恐れて足が止まる)
「この書状を、龍造寺の斥候が容易に拾えるよう、死体の懐に忍ばせておきます。敵にとって、これは盗み出した『真実』に見えるはずだ」
源鉄斎は、浪紫が作り上げようとしている巨大な虚構の仕掛けに息を呑んだ。
「戦わずして、敵の判断を誤らせるというのか。……恐ろしい男よ。貴殿の頭の中には、一体いくつの勝ち筋があるのだ」
「筋書きは一つですよ、源鉄斎殿。人々の認識という名の戦場を制圧すれば、一兵も動かさずに勝機を掴めます」
浪紫は最後の一通に、島津の偽の血判を押し、それを静かに乾かした。
肥前の熊・龍造寺隆信。その牙が小田の喉元に届く前に、浪紫の放った偽りの情報の網が、静かに九州の北を覆い始めていた。




