プロローグ 騒動の予兆
ダンジョン協会特別顧問という職に就いている私、飯崎 隆はその情報を聞いた時に身震いしたものだ。
(低位体力回復薬の売却だって? 社コーポレーションは遂に回復薬の作成に成功したのか?)
協会に所属しているそれなりの立場の者として、少し前にあったG級ダンジョン消滅の顛末については凡そのことを知っている。
それを聞いた時は肝心の業務は疎かになりがちなのに権力闘争だけは得意な副本部長が盛大にやらかしてくれたと思ったものだ。本部長も頭が痛いに違いない、とも。
だが事はそれだけでは済まないかもしれない状況になってきている。
(それに低位とはどういうことだ? まさかあの会社ではその上位互換の物の開発まで話が進んでいるってのか? くそ、情報が足りな過ぎる)
元探索者としての勘が告げている。これは絶対に見過ごしてはならないことだと。
だが迂闊に動くことも悪手だ。
つまり素早い、けれど間違ってはいけない適切な初動という無理難題を求められている訳だ。
「ったく勘弁してくれよ。流石に事が大き過ぎだぜ、明石さん」
八代 明石。
社コーポレーションの社長の名だ。
幸いだったのは探索者時代に私は彼と親交があり、今でも時々連絡を取り合う仲だということだろう。
彼の息子が手掛けたという飲食店にもその縁のおかげで何度か優先的に利用させてもらうくらいは出来る仲だから今回もそれを有効活用しない手はない。
だが相手も一企業の社長だ。
ただ教えてくれと頼んで、はいそうですかと言ってくれるほど甘い相手ではない。
(とりあえず副本部長に知られるのは可能な限り遅らせて、まずは本部長に連絡を取るか)
名称だけでもこれだけ色々と新事実が発覚しそうな劇物をわざわざダンジョン協会に百本も売ってくる。
他のところでそういう話は聞かないので恐らくここが最初だろう。
だとするとそうするだけの目的があるはずだ。
まずはそれを知らなければ。
吸っていた煙草の火を消して動き出す。
思考と方針がまとまったのなら後は行動あるのみだ。少なくとも昔のような優れた探索者やダンジョン企業を海外にみすみす逃すなんてことは絶対に起こしてはならない。
ましてや副本部長のような欲に塗れた奴に邪魔をさせるなんて真っ平御免だ。
そんなことは何としてでも私が阻止する。
それに万が一、回復薬の量産なんて偉業に成功していたとしたならその事業を成功させるために私は協力を惜しまない。
それが多くの探索者、いやそれ以外の数多の人の命をも救うことにも繋がるからだ。
かつて氾濫した魔物との戦いで仲間と左腕を失った私だからこそその思いは一層強い。
あるいは上位互換の代物ならこの失った腕も取り戻せるかも、なんてのはいくら何でも夢を見過ぎか。
「それにしても百本とはこれまた大盤振る舞いだな」
この数は明らかに目立つことを分かった上でやっている。
あるいは周囲を嗅ぎまわっている副本部長とその裏にいる帝命製薬に対する意趣返しだろうか。
こちらはお前らが呑気にコソコソ裏で手をまわしている間にこれだけのことをやってのけたぞという。
だとしたら相手は副本部長に相当怒りと恨みを覚えていることになるが果たして。
(もしかしたら副本部長は相当な痛手を被ることになるか?)
権力闘争と嘘と保身には長けた奴だからこれで終わりとはならないだろうが、その権勢に陰りが出ることになるかもしれない。
まあこちらとしても元探索者というだけで見下してくる副本部長とその一派ははっきり言って嫌いなのでそうなってくれたら万々歳だ。
「もしもし、鹿島さん。大事件ですよ」
電話相手である本部長にはこの通話では詳細は告げずに外で話すことを約束した。
残念なことに諜報という観点では世界に大幅な後れを取っている日本では盗聴されていることも十分にあり得る。
念には念を入れて、警戒出来得る限りの警戒するに越したことはない。
その後、外で落ち合った本部長にこのことを伝えたら、喜びと困惑と驚愕を足して割らなかったような実に複雑怪奇な表情になったのには失礼だが笑わせてもらった。
この人のこんな表情は初めて見たからだ。
「それでどうしますか?」
「どうするもこうするも、まずは各国やあのアホが勘づく前に社コーポレーションとコンタクトを取るしかあるまい。飯崎君、頼めるかね?」
「そう言われると思ってあちらの社長には連絡は入れてありますよ。返事が来るかどうかは微妙な辺りですが」
幸いなことに返事はあった。
しかも今回の売却について話し合いの場を設けるなら歓迎するというこちらからすれば有難い話付きで。
少なくともこちらと話し合いを行うだけの余地はまだあるみたいだ。
邪魔が入る前に話を進めたいこともあって最短の明日にその話し合いは行われることになり、その場に赴くことになった私は予定を調整するのに苦労するのだった。
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