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第五章 崩壊の序曲と御使い降臨

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幕間 優里亜の心残りと選択

 かつて戦って、なす術なく敗北を期した相手である試練の魔物。


 アマデウスという名前のその存在を前にして優里亜は思った以上に平静を保てている自分に驚いていた。


(敗れた後は自信を失って、結婚を機に探索者を辞めることまで決意したっていうのに不思議なものね)


 そんな恐怖を与えた相手が目の前にいるのに、今はそれほど恐くない。


 それはきっと、アマデウスという存在が戦った時と違って理性的だから、というだけではないだろう。


 アマデウスを受肉させて話を聞く。

 そんなこの場に優里亜がいるのは二つの理由がある。


 その内の一つは、夫である哲太がその場に行きたいと言い出したからだ。


 当然、それを聞いた時は反対するつもりだった。

 問題はないはずという話だけど、それが絶対という保証もないという話だったし。


 今の私も哲太も最前線から離れて久しい。

 そうなれば当然、戦いの腕や感覚も鈍ってしまう。


 そんな状態で試練の魔物の復活に立ち会うのは危険かもしれないから止めてほしいと思ったものだ。


 でもそれと同時にこうも思った。


 きっとこの機会を逃せば、私が試練の魔物に対して持っている苦手意識を拭うことは一生不可能だろうと。


 一度ならず二度までも逃げてしまったのなら、もうそこから立ち向かう選択を取ることは私にはできないと。


 あるいは哲太も表に出さないだけで、そう思っていたのかもしれない。


 親友の心配もあっただろうが、哲太だって探索者だったのだ。


 魔物相手に負けても構わない、なんて軟弱な考えを持っている訳がない。

 勝利に対する渇望だって一般の人よりはずっと強いだろう。


 そしてそれは私にも言えることでもあった。


 だから夫婦で相談した結果、こうしてこの場に参加させてもらっていた。


 そこで久しぶりに会った椎平を見て、自分は置いていかれたのだと理解せざるを得なかった。


(もう私じゃ付いていけないわね。ううん、付いていっても足手まといになるだけか)


 かつてノーネームが健在だった頃。私達はそれぞれに得意不得意はあれど、その立場は対等なものだった。


 少なくとも探索者として誰か劣っている者などおらず、全員が探索者としての道を歩いていた。


 だが今、探索者の高みへと繋がる道を歩いているメンバーは多くはない。


 私と哲太、それに先生は最前線を退いたに等しいし、朱里と英悟は彼の協力する方を重視しているようだから。


 まあ元からあの二人は強くなりたい理由が普通の探索者と違っていたようだから、そうなって当然でもあるのだが。


 残るメンバーは彼と椎平、そして薫だけ。


 薫だけは何を目指しているのか未だに掴み切れないけれど、男の身体を自慢している様子を見るに、やはり彼とは目指すベクトルが違うのは間違いなさそうだ。


 だから現在でもその道を進み続けているのは彼と、それを追いかけている椎平だけ。


(皆、誰もが認めるような才能のある優秀な探索者ではあった。だけど全員が頂点に辿り着くことはできないのね)


 挫折、目的の違い、興味のあるなし。

 そうなった理由は幾らでも挙げられるだろう。


 でもそれらは理由の一つにはなり得ても、最終的な問題ではないのかもしれない。


 だって彼にだって探索者を辞めるという選択肢は幾らでもあったのだ。

 片目を失ったあの時、誰もがそうなると思ったように。


 でも彼はその狂気とも思える執着で決して諦めなかった。


 そしてその彼を誰よりも愛している椎平だからこそ、そんな彼に付いていくと決意して進み続けられたのだろう。


 そう思ったら、心の奥底で燻っていた後悔がフッと消えた気がした。


(私はもう探索者ではないのね)


 それは周りから見た立場とかではない。

 自分自身でようやく心の底から認められたということだった。


 ならば尚更、ここで終わらせなければいけないだろう。


 そう決意した私は、長い話を終えたアマデウスに向かって歩いていく。


 近付けば近づくほどに、かつての恐怖が思い出されそうになる。


 だけど傍に愛する夫が付いてくれているから大丈夫。


「おや? 私に何か用かな」

「……ええ、少しだけ」


 一見すると、穏やかそうで人当たりもよさそうな人物に思える。

 だがよくよくその眼を見れば分かるのだ。


 決して目の前の存在はそんな生易しいものではないと。


 きっとこのアマデウスという存在は彼と同類なのだろう。

 あるいは、だからこそ彼はこの存在に気に入られ、主として認められているのかもしれない。


「私のことは憶えてるかしら? あなたが試練の魔物だった頃に戦ったことがあるのだけど」

「試練の魔物だった時はアンデッドのようなものだったからね。記憶は欠けている部分も多いんだ。それでもうっすらとだけど、君達ノーネームとやらと戦ったのは憶えているよ。私にとってあの時の戦いは、それだけ印象に残るものだったのだろうね」

「そうなのね。それで私達はどうだった?」


 実に分かり難い、抽象的な質問だったけれど、アマデウスはそれに戸惑うことなく答えてくれた。


「強かったよ。まだまだ粗削りな部分も目立ったが、それでも全員が今後の成長を感じさせる強者の集まりだった。それは君達と戦った私が保障するよ」

「そう……なら、よかった」


 強かった。


 自分の努力が無駄ではなかったと、私が敗北して恐怖を抱いた相手が思っていた。


 それで自分の探索者として歩んできた道は決して間違いではなかったと思えた。


 それで十分だ。

 今の私はそれで満足できた。


「だからこそ素直に残念だよ。君達のような強者が前線から退こうとしていることはね」

「そんなことまで知っていたの?」

「まあ休眠はしていても、可能な限り情報収集はしていたからね。でもそれがなくても分かるよ。引退を決意した戦士の顔は、これまで何度も見てきたからね」


 どうやら私もその戦士とやらと同じような顔をしているということだろうか。


 自分では分からないけれど、でもそれは間違っていなかった。


「そうね、自分でも気付けてなかった、燻るような心残りも綺麗さっぱりなくなったわ。これで本当に私は引退ね」


 回復薬作成などに協力することは続けるが、私がダンジョンに潜ることはもうないだろう。


 もう私は違う道を歩き出したのだと、この場にきて本当の意味で納得した瞬間だった。


「無責任よね、世界が滅ぶ可能性を聞かされた場で心残りを解消させるなんて」


 実際話だけ聞いておいて、後のことは全て任せることになるのだから。


「高みに至れるのは僅かに選ばれた者だけ。それ以外の者は途中で脱落することになるのは自然なことさ。でもそれを恥じる必要はない。そうして別の道を歩むことは、決して間違いではないのだから」


 試練の魔物、いやアマデウスは意外なことにそんな言葉を口にする。


 規格外の彼を主としているから、もっと過激な考えが出てくるかもと思っていたのに。


 それこそ弱い奴はいなくなればいい、とか。


「勿論、私としては突き進んでくれる存在の方が好ましいよ? だけど我が主のような存在がそうポコポコ湧いてこられては私も困ってしまうというものさ。それは周囲の人間だって同じだろう?」

「それもそうね。彼みたいなのが何人もいたら周りは気苦労が絶えないわね、きっと」


 それでもその後を追う存在は現れるだろう。

 たとえば彼に魅せられた椎平のように。


「私は置いてかれたのね」


 誰よりも高みへと駆け上がっていく夜一。そして探索者になった頃からずっと一緒だった椎平に。


 そんなことはずっと前から分かっていたはず。


 だけど私はその厳然たる事実をようやく心の底から認められて、


「……そっか、私は悔しかったんだ」


 思わずそんな言葉を涙と共に零してしまう。


 もう自分は同じ場所には立てないのだと理解して。

 苦しいけど楽しかった、親友である椎平と共に探索者をしていた日々を思い出して。


 そんな私の肩を夫がそっと抱きしめてくれる。


「優里亜……」

「勝手な言い分よね。引退するのは自分で決めたことだし、応援するって決めてたのに」

「いや、気持ちは分かるさ。俺にも似たような思いはあるからな」


 親友である彼のことを見ながら夫はそう述べる。


 そうか、この人も心のどこかで羨望を抱いていたのだ。

 常に前へと、自分よりも先に進み続ける彼を尊敬すると同時に。


 そこでふと思う。もしかしたらアマデウスの話に出てきたトルテインという存在も、私達に似たような思いを持っていたのかもしれないと。


 天才と呼ばれた黄金神に憧れ尊敬を抱くと同時に、自分でも気付かない嫉妬や羨望を抱えていたのかもしれないと。


(神族や御使いと人間はその性質に近しいものがある、か。本当にそうなのかもしれないわね)


 そんなことを思いながらその日、私は本当の意味で探索者を引退したのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ノーネームのリーダー夫妻って夜一君の会社にいたんだ… まぁ引退者にとっては理想的な職場ではあるけど
[良い点] 更新お疲れ様です。 この幕間のテーマである『自身が気付いていなかった・燻ってた感情に向き合う機会が出来て、それにケリを付けられた』を挟んだ理由…これはアマデウスが話してた『孫神と裏切り者…
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