63話-1「ダンジョンの外で」
翌日の月曜日。予定通り僕は朝から会社に出勤する事になっていた。
今週で会社も退職。月、火、金が出社で、水、木が東京の本社で本部長賞授賞式だ。そこまで大層にしなくてもいいのに、毎年の恒例で開催されるらしい。まあ、嬉しい事なのだが、今週で辞める僕にとっては何と言うか、勿体ない事だ。しかし、これに出席しなければうちの支店の問題になるみたいなので、約束通り出席する事になっている。
「1ヵ月ぶりの会社はどうなってるだろうな」
河合さんからは少し話を聞いていたが、丸々1ヵ月出社していないので本当の様子はわからない……と言うか、あまり気にもしてなかった。有給万歳である。
それで、久しぶりに会社に行くのだが、もう辞める僕にとってはプレッシャーも何もない、気楽なものだ。ここまですがすがしい気持ちで出勤するのも初めてなんじゃないだろうか?
そんな事を考えながら、いつも通りの時間のいつも通りの電車に乗るために駅のホームで待っている。
すると、ふと一番前で電車を待っている人が気になった。
ぼーっとしているようで、常に体がふらついており、体を支えるために動く足も踏ん張りが効いていない様子の女性。
『電車が6両編成で参ります。黄色い線までお下がりください』
アナウンスが鳴った。
その瞬間、その女性が一歩後ろに下がろうと動いたと思いきや、逆に前のめりに倒れこんだ。
それは過去にも見た光景。
だからなのか、
「……あっ!」
その瞬間、僕は駆け出していた。
距離は数メートル。どれだけ早く走っても女性が線路に落ちるスピードの方が早い。
遠くで電車がちか近づいてくる音が聞こえた瞬間、伸ばした僕の手も届かず、女性が線路に落ちた。
「くそっ!」
だから、僕はその勢いのまま線路に飛び込んだ。
通常だったらそんな行動はしないだろう。電車が近づいている状態で自分も飛び込むなんて自殺行為だ。しかし、今の身体が飛び込めと勝手に動いていた。
線路に着地したた瞬間、見えるのは警笛を鳴らす電車。ライトが光り、急ブレーキの音が響き渡る。
そして目の前で倒れている女性。それを勢いよく抱きかかえ、足に力を入れた。
「らぁぁぁぁっ!!」
そして、勢いのまま飛び上る。
人一人抱えて線路からホームまで飛び上がる事なんで通常はできないだろう。しかし、僕の身体能力は通常ではなかった。
ダンジョンでレベルが上がる事で影響があるのはダンジョン内だけではない。ダンジョンの外でも少し影響が出る。どういう仕組みなのかはわからないが、身体能力が通常の人とは明らかに違う。
ただジャンプしただけでホームに着地した僕は、手に抱えていた女性を地面に優しく横たえさせる。
その瞬間、ブレーキ音と共に電車が止まった音がした。
「……大丈夫ですか?」
そう僕が声に出した時、周りがざわめきだした。
「スゲー、まじか! 助け出したよ!」
「かっこいい!」
「動画撮っておけばよかった」
その声は恐怖と言うより歓喜に近い声。
その感覚に少しむず痒さを感じながら、僕は女性に話しかける。
「もうすぐ駅員さんも来られるので、このまま待っててくださいね」
そう声かけたのは、これからの状況が大変になる予感がしたからだ。思い出すのは僕がダンジョンに行くきっかけを作った出来事。今みたいに線路に落ちた人を男性が助けた事だ。
そう言って立ち上がろうとしたとき、すでに駅員さんが走ってきていた。
「大丈夫ですかっ!? 怪我はないですか!? 今、線路に落ちた様に見えたんですが……」
「それを助け出したんだよ、この人が!」
すでに人に囲まれている。この状態では逃げる事はできない。
「そうなんですね! でしたら、とにかくお姉さんに怪我がないのかと、お兄さんが助けたなら事情を確認してもよろしいですか?」
「……はい」
電車がすでにホームに来ているが、動き出す気配はない。朝のこの時間は少しの遅延も嫌がられるが、さっそくホームに遅延のアナウンスが流れていた。
「お姉さん、どこか痛みはありませんか……」
駅員さんが女性に怪我の有無を確認している。
捕まってしまったのはしょうがないが……あれだな、このままだったら会社に遅刻するな。
まあ、人助けもしたし、遅延証明書も貰えるだろうし。一本だけ会社に電話しておいた方がいいな。久しぶりの出社で遅刻って、普通ならあの課長にしこたま怒られるんだろうな。でも、それもこれからはないか。だったら別に遅刻してもいいんじゃないか?
そう考えながらふと思い出した。
って事は、あの人も助けた時こんな感じだったんだろな。だからさっさと去っていったと。あの人どれだけ人助けをしてこの状況に慣れてたんだよ。
「すみません。少し場所変えさせていただきます。ついて来てもらってよろしいですか?」
「わかりました」
でも、あれがきっかけでダンジョンに潜って、僕も同じように人を助けられた。だったらこれは良い廻り合わせなんだろう。
そして僕の久しぶりの出社は遅刻が決定した。
◇
「聞いたよ奥山君!!」
僕が会社に到着して席に座ったと同時に河合さんがやって来た。その後ろに他の女性社員も引き連れて。
「奥山君があんな人助けしてるってね。SNSでバズってたよ?」
「そうだよ。奥山君ってそういう人助けする人だったんだね」
「私、見直したよー!」
初めて女性社員に囲まれた。いつもなら谷口が囲まれているから、こんな状況は初めてだ。つまり、とても戸惑っている。
ちなみに遅刻した時点でこの話は部長にまで伝わってたので、遅刻に関してはお咎め無しだ。しかし言われたのは、「これが本社に伝わったらまた辞めにくくなるけどな……辞めるんだよなお前……」と。
本社には僕が辞める事はまだ言ってないらしい。言うと大変な事になるから本部長賞に出て来いと言われたわけである。すまない、広告塔にはなれそうにありません。
そんな感じで女性社員にちやほやされていると、ふと視線を感じた。その先はまだ課長の席に座っていた課長だ。僕を睨むように見ている。この目は怨みか? 嫉妬か? なんにせよあなたはもう僕に何もできないんですよ。怒られずに済むと思うとやっぱり心がさわやかな気分になる。
すると、数分騒いでいたのを待ってくれていたのか部長が声を上げた。
「お前ら―、奥山が珍しいといっても今は仕事中だぞー。さっさと自分の仕事しろー」
「「はーい」」
わらわらと蜘蛛の子を散らす様に女性社員が去っていく。そして最後に残った河合さんが僕に耳打ちをした。
「ねぇ、奥山君。あまり力を外で見せてたら大変な事になるから、できる限り使わない方がいいよ」
「え? あ、うん」
河合さんがそう言った心理がわからないが、実際にさっきの事を思い出すと控えた方がいいだろう。それに、あの人も色々起こらないように逃げていたわけだし。
でも河合さんがそう言うのは何かあるのだろうか。
しかし、河合さんはそれだけを言って自分の席に戻って行った。
「おー、奥山ー」
すると、谷口が声をかけてきた。
「おう。1ヵ月ぶり」
「だな。久しぶりに出勤早々わけわからないことして、やっぱり変わったな」
「ああ、変わったよ」
谷口が空いている隣の席に座る。
「そう答える時点で、本当に変わったよ。やっぱりダンジョンかー。俺も行こうかな」
「いや、谷口はダンジョンに行っても変わらないと思うぞ? 僕みたいなのが行くから変わるんだよ」
「そんなもんか?」
「そんなもん」
ここで谷口にダンジョンに来られると僕が河合さんに怒られる。まだダンジョンに行ってる事を隠している河合さんだから、谷口に来られるのは嬉しくないだろう。ここで止めないと、僕のダンジョン生活が脅かされる。
「だったらいっか。なあ、どうだ? 辞める気分は?」
「すがすがしすぎる」
「あははっ! 奥山らしいな」
そう言って谷口が席を立った。
「じゃあ、あと1週間よろしくな。まあ、俺は営業に行ってるからあまり会わないだろうけど」
「よろしく。元僕のお客さんにもよろしくな」
「おーう」
そして、谷口も自分の席に戻って行った。
さて、引継ぎは1ヵ月前にすべてやったからあとは、机を奇麗にするだけだな……だったら、する事本当にないんだけど。僕、会社に来る意味あるか?
そんな事を思いながら1日を過ごしたのであった。
◇
「お疲れ様でしたー」
定時になり会社を後にする。
駅のホームで朝の様な事は起こらない。あれが特別だっただけだ。というか、何度も同じような事が起こったら困る。
「この駅も後少しだけかー」
仕事場が変わればその駅も使わなくなる。少し感慨深くなってくる。それも全て心に余裕があるからだろう。
電車に揺られ数分。自分家の最寄り駅に到着し、自宅までの道を数分歩く。
そして、自宅に到着した。
「ただいまー」
いつも通り自宅に入ると、
「おかえりー」
そう声が聞こえた。
下を向くと玄関には見た事がある男性の靴があった。その瞬間、背中に冷汗が流れた。
……忘れてた。ダンジョンが楽しすぎて色々と連絡するのを忘れてた。
そして慌ててリビングの扉を開ける。するとソファーに座っていたのは『奥山光』……兄だ。
「おう、今日は早いんやな」
「兄さん……来てたんだ」
ポケットからスマホを取り出し日付を確認するが、やはり今日は兄さんが来る日ではない。
「そりゃ来るだろ。お前、全然連絡返してこないし、今月頭はここに帰って来なかっただろ? 連絡返って来たと思ったら「今日は帰りません」って、何かあるって思うだろ?」
「その通りです……」
あの時はダンジョンにずっと潜っていたから忘れていた。たまたま外でジムに行ってた日だったから連絡できたけど、それよりもダンジョンに戻りたくてメッセージだけ入れて連絡してなかったんだっけ?
「別に逐一連絡しろとは言わないけど、少しは連絡返して来いよ」
「その通りです……」
兄さんが怒ることはあまりないが、怒らせるとかなり怖い。
「まあとにかく、手洗ってきて。そこに座り」
「はい……」
これは、少し覚悟をしないといけないかもしれない。




