第百十一話 会いたいです
「私をここから追放して頂きたいのです」
「それがどういう事か分かって言っているのか」
「はい」
「二度とこの世界には戻って来れぬのだぞ。それでも良いのか」
「構いません」
「そうまでさせる理由は何だ」
「・・・」
「言えぬのか」
しばらく沈黙が続いたが、意を決したのかこう言った
「親になりたいのです」
「親になる、だと?お前はすでに父親ではないか、現に悪魔を倒した優秀な子を持つ父親だ」
「いいえ、それは私が神と言う立場を利用して彼らに強いてきたことです。親として彼らにしてやったことは何もありません。悪魔を倒す能力を無理に呼び起し、人間と神の世界を救えと強要し、普通の暮らしを奪ったのです」
「・・・分からんな。神と人、その間に生まれた者の運命なのだ、お前が気に病むことではないだろ」
「お願いします。追放を、神権の剥奪を!」
「分かった、もう言わぬ。行くがいい」
右腕を一振りすると、人間界への扉が開いた
これまでとは違う片道の扉だ ここをくぐると二度と神の世界には戻れない
だが、躊躇うことなくその扉の向こうへと消えた
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明治政府発足後、ここは蝦夷から北海道と改名された
藩制度がなくなり都道府県というものに置き換えられた
初夏の風が潮風を運ぶ 今日も瑠璃は五稜郭を見つめていた
「瑠璃くん、日が強くなっています。日陰に入った方が」
「大丈夫ですよ。北海道の夏は厳しくないんだから」
「しかし朝からずっとですよ」
「え?そうだっけ。だめだな時間の感覚がおかしくなってる」
そう言って彼女は深くため息をついた
その横顔があまりにも切なく、俺の心はずきずきと痛んだ
「ねえ、山崎くん。お願いがあるんだけど」
「お願い、ですか?」
「うん」
「俺に出来る事であれば」
彼女はふわりと笑った、その笑顔が何故か斎藤さんと被って見えた
俺は彼女を介して斎藤さんと会話をしていたのだろうかと錯覚しそうになる
「山崎くんは鍼灸の依頼であそこに出入りしていますよね、私も一緒に連れて行ってください」
「五稜郭、にですか?」
「はい」
俺はこれまで何度も五稜郭に足を運び、役人たちの治療をしてきた
隠していたわけではないが、あえて言うということはしていなかった
彼女も毎日ここから見ているわけで誰がどのくらい出入りしているかは知っているだろう
「分かりました。明日二件ほど依頼が入っていますから一緒に行きましょう」
「ありがとう」
明日、彼女が五稜郭へ足を踏み入れる 俺はまだ彼女の心が読めずにいた
夕餉が終わった後、土方さんにだけこの事を伝えた
「そうか、やっと行く決心がついたんだな」
「・・・」
「俺も着いて行きたいが、止めておく。すまんが瑠璃を頼む。俺たちが居たらあいつは本音を出せねえだろうからな」
「本音、ですか」
「ああ。瑠璃は一言も口に出さないんだ。寂しい、悲しい、会いたいってな。斎藤の前なら言えるだろ」
皆、彼女の事が心配だった 出来るだけ一人にしないように心掛けていた
でもそれが逆に彼女の心の負担になっていたのかもしれない
そんなことを考えながら床についた
翌朝、俺は瑠璃くんと五稜郭へ入った
あの時は必死に彼女を先導したこの道を今日は並んでゆっくりと入る
「二人分の治療なので暫くかかります。その間はこの辺りを散歩でもしていて下さい。」
「はい、がんばってくださいね」
そう言うと、彼女は五稜郭の庭内に消えていった
あの赤松の斎藤さんが眠る場所へ
やっと、此処に来ることが出来た
目が覚めた時、夢であって欲しいと願ったのに
やっぱり一さんだけが居なかった
目に涙を浮かべ心配そうに私を見る総司と左之兄
何も言わなかったけど、安堵した歳三兄さんの顔を見たら
「一さんは?」その一言が言えなかった
目の前にあの赤松が悠々とそびえ立つ
分かる、一さんは此処に居る
幹に手を回し耳を当てると
トク、トク、トクと規則正しい心音が聞こえた
「一さん、お久しぶりです」
「一さんは本当に私の命を守ってくれました。私はこの通り、元気です。でも、ちょっと怒っています」
「一さんと一緒なら、奈落の底でも構わないって言ったのに。私を置いて一人で眠ってしまうから、生きているのに寂しいです。生きているのに悲しいです。だって、声も聞けない、触れることも出来ない」
「一さんの声、忘れちゃいそうです」
寂しさを口にしたらその渦から逃げ出せなくなる
それが怖くて言えなかった
それでも、やっぱり寂しさは消えてくれない
「はじめ、さん・・・会いたいです」
赤松の幹に縋るようにして、目を閉じた
もうこのまま、ずっと此処で眠っていたい
でも、それも叶わない事を知っている 知っているから寂しくて堪らなかった




