吝嗇指南
「師匠!本日はお日柄もよく絶好の弟子入り日和と存じます!今日こそはどうか、私を弟子にしてくださいませ!」
「またか君は……弟子など取らんといったはずだよ。帰りなさい」
「そこをなんとか!今日こそはお願いいたします!私は師匠のお姿に男を見ました、男が男に惚れるというやつです!どうかお願いします!」
「くどい! 男なら引き際をわきまえなさい」
「そこをなんとか!私は師匠についていけるなら命をかけてもいいと思ってるんです」
「そんなことにかけるのはもったいないからおやめなさい」
「出ました!もったいない! いぃただきましたぁ!」
「……なんだそのいただきましたってのは。とにかくさっさと帰りなさい、こんなことしてもお互い時間の無駄だから」
「出ました!時間の無駄! いぃただきましたぁ!」
「だからなんだいそのいただきましたってのは」
「師匠。私が師匠に惚れたのはですね、まさにそこなんですよ。
師匠はあすこの、天をつくような巨大~なビル一棟を抱える大企業の社長様でいらっしゃるのですよね」
「それがなんだね」
「あくる日のことです。私、友達に遊びに誘われまして。
そんで連れていかれたパチンコでも負け競馬でも負け財布が素寒貧でマナカのチャージも切れ、歩いて帰るしかなくなってるときにここを通りました。
すると師匠がウイーンとそこの自動ドアから出ていらっしゃって、車にちかづいていくじゃありませんか。
ロイヤルサルーンてんですかクラウンてんですか。とにかくいい車でした。
で、運転手さんが『お疲れ様でございました社長』と扉開けて待ってる。
するとそこにあなた、言うわけです。『車に乗るとガソリンがもったいない、歩いてテクシーで帰るよ』ってね!
ここに私、男を見ました」
「なにが男だってんだい」
「だってお車回していただいてるのにですよ? 高級車のりまわして、ぶいぶい言わせたいのが心情じゃあないですか。
そこを歩いて帰るって選択ができる、このけちんぼ! いやしんぼ根性! それがこの大企業を育て上げた秘訣なのだと私感服しまして」
「バカにしてるだろうお前」
「めっそうもない! ただ心からドケチだなぁこの人、と思って尊敬してるだけです!
私もね、一度『ケチな野郎でごぜえます』って言ってみたいんですよ!」
「任侠映画の見すぎだ」
「いやぁしかし師匠は最高の倹約家です! いよっ吝嗇の神様! ドケチの化身! 身銭切らずに首切ってそう!
どうか私にそのドケチの秘訣、一手御指南いただけませんかぁぁ!」
「贅沢に褒め言葉使いまくるわ大声出してカロリー使うわ、ほんにもったいない奴だ。おとなしく家帰って寝るのが一番倹約だお前なんか」
「ぁぁりがとうございます! 贅沢! いただきましたぁ!」
「お前太鼓持ちやった方がいいよ」
うるさいことこの上ありません。そそくさとその場を離脱、社長は家路につきます。
なにしろケチで歩いて金を浮かせてばっかりだったので、足も速い。
そうしてこうして家にたどり着き、疲れた様子であがります(ネクタイゆるめる
「ふう。まったく、妙な男だった」ジャケット脱ぐ
「倹約だの吝嗇だのケチだのと騒がしい…」
「ああ、あんなのに関わってたせいで明るいうちに帰ってこれなかった。
電気をつけねばならなくてもったいないなぁ。
……こういう態度がああいうのを招くのか。
だが長年、しみついた習慣だ。なかなか抜けないものだな。
思えば稼ぐことしかしてこない、生涯だった。
家庭を持てば結婚式費用がもったいない。子供ができれば養育費がもったいない。友達がいると遊ぶ金がもったいない。
通帳にゼロが増えるのだけを楽しみに生きてきちまった。
そうしていたら会社も大きくなって、もう私がいなくても本当は回るんだ。
……なんだかむなしい話だな。
寝てしまうか。」
こうして今日もほとんど電気代をつかわずに就寝。風呂も当然、冬でも水風呂です。わかすのがもったいない。
翌日になって仕事に出かけた社長、今日も雲の上の最上階から見下ろしています。
「今日もとくにやることがないな。
人々を見下ろせたらさぞ気分がいいだろうと、むかしは思ったもんだが。
豆粒大にしか見えないと、みんな同じに見えちまう。
……ん? なんだ。うちの運転手にからんでるやつがいるな。
なにをしてるんだ。あれ、昨日の男じゃないのか」
気になってあわてて降りる社長ですが、高速エレベーターでも一番下まで二分かかるし耳が気圧でぼーんとなる。
運転手に、昨日の男がからんでおりました。
「なにをしてるんだ君は」
「あっ!師匠! ご無沙汰しております」
「昨日の今日だ……で、なにをしてるんだ」
「いえね、今日こそ師匠に弟子入りを認めてもらおうと思って待ち構えていたんですけどね。
運転手さんがどーにも暇そうだなと思いましてね。
ここはいっちょう、暇をつぶして無駄をなくして差し上げようと思いまして」
「参考までに、なにをさせるつもりだったんだね」
「地面の石畳をごらんください。これをですね、あみだくじに見立てましてね。
コケとか石ころがあったら通れない、なければ通れる。ってな具合に進めて、狙った場所のゴールをめざすんです」
「小学生か」
「ですが社長、思ったよりこれが白熱するんです」
「お前もそんなお堅そうな声でなんで熱中しているんだ」
「どっちが先にたどり着けるか、お金をかけているからです」
「またそんな無駄なことを……そういうお金の使い方をしているから、君は素寒貧になるんじゃないのか」
「あっ! これはまた師匠、一本とられましたな」
「なにが一本とられただ。くだらないことはおやめなさい」
「しかし社長、私は負け越しておりまして。もうひと勝負だけよろしいですか」
「すっかり勝負師になってしまってるじゃないか。昨日までのまじめさはどうしたんだお前は」
「申し訳ございません社長。彼と遊んでいるとなんだか楽しいのです」
「おっ!運転手さんいま選んだとこいいんじゃない? いいよいいよ、そのままそのまま……あっといけない惜しかった!
でも勝負師の勘ってもんがあるね。運転手さんもっとやくざな生き方の方が合ってるよ。いよっ!放蕩もの!」
「このようにやたらと褒めてくるので、なんだか楽しくなってしまうのです」
「あまり褒められてるように見えないが……ともかくやめやめ、解散しなさい」
「解散するかわりに弟子にとってはもらえませんか?」
「なんでそこで便乗しようとするんだ。しかし、まあ、うん。
君、そんならひと勝負しないか」
「勝負!勝負ごとでございますか師匠」
「君がもし、一か月のあいだ賭け事を一日もしなかったなら弟子にとってあげよう」
「本当ですか!約束しましたからね」
「ああ約束だ二言はない」
こんな風に言いましたが、男のばくち好きは最初に会ったときから一貫しています。
どうせ一日もたないだろうと思っていたのですが、日々現れる男を見ているとそうでもないようで
「暫定師匠!きょうで7日目ですよ」
「その落語家みたいな呼び方やめなさい。なんだい暫定って」
「一か月の1/4は終わりましたからね。師匠、あなたの身体の25%くらいはもう師匠ですよ」
「ちょっとずつ侵食するのをやめなさい」
「半分師匠!今日で二週間ですよ」
「半人前の師匠みたいな呼び方をやめなさい」
「期間の半分が終わりましたからね。もう体の半分は師匠です」
「いまの顔のどっち側が私の本体なんだい」
「そりゃあ人相の良い方に決まってます」
「ほう、そうかい」
「悪魔は天使の顔して近づくと相場が決まっております」
「やっぱりバカにしてるだろう」
「七割五分師匠、いよいよですね」
「打率だったらおそろしい数字できたね、ともあれ師匠はやめろ」
「来週にはいよいよ十割、完全体でございますよ」
こんな具合でした。いよいよあとがなくなり、社長もはらはらしております。
ところがどっこい、最後の週になると男はぱったりと姿を見せなくなりました。
あれだけ賭け事の好きなやつだ、きっとしびれを切らしてばくちに行ってしまったんだろう。社長はそう考えて、まあ賭け事はなかったことにしようと考えた。それでも気になったもので、運転手にききます
「なあ、お前さん。あの男をご存知ないか」
「社長。彼ですか?あの勝負で負け越したあと、とんと見ておりませんね」
「そうか。賭けが残っているし、会いたいと思ったが」
「私もまた会いたいと思います」
「賭けで負け越しているからか」
「いえ。社長、私は彼に支払ったお金はまったく惜しくないのです。彼と過ごす時間は楽しいものでした、それを思えばこそまた会いたいのです。」
「負け越したのにか。恨みに思わないのか」
「まったく思いません。彼と遊ぶのは楽しかったのです、損をしない金の使い方と思えました」
「そうか…そうだな、私も彼との時間はほがらかで、時間の無駄とは感じなかった。もっとも向こうからしたら、私のようななんにもない老人に付き合うのは時間の無駄だったかもしれないか」
「お言葉ですがもうしあげます。彼はきっと、そのようには思っていません」
「そうか?……そうだといいな」
ところがそれから、ひと月が経ってもふた月が経っても男は現れなかった。
なにがあったのかと気にしているうちにいつのまにやら季節はめぐり、そのうち男は現れた。
「やや。君はあのときの男じゃあないか」
「ああ……師匠、もとい社長。ご無沙汰しております」
「ほんとにお前は無沙汰をしていたじゃないか。やつれてしまって、一体全体、どうしたんだ」
「へえ……じつを申しますと私、ずっと以前から借金に追われておりまして。
ですからなんとかして蓄財を成して、これを返したかった次第なんですが。
とうとうヤサをかぎつけられてにっちもさっちもいかず、約束があったにもかかわらず本日まで逃げ回るしかなかったのです」
「そりゃまた、苦労をしている」
「おかげさまで実家にも帰れずひどく困りまして……何度もばくちに手を出そうと思いました。
しかしその都度、社長のお顔が頭をよぎりまして。
もう一度お会いできるまで、ケチを学んでお金を貯められるまではやめるぞと。
そう思ったのです」
「なんともまあ。その律義さがあってなぜいままで浪費家だったのか」
「いやね。さすがに郷里のおっかあが病気ときくと、これまでの生活をあらためねばと思いまして……」
「なに。家の親が病気だと」
「大したことはないと思うんですがね。電話口でなに言ってるかわからんくらいにせき込んでましたけど」
「……それは、会いに行ってやった方がいいんじゃないかね」
「いやあ、でも金がないんですよ社長。だから貯めようと、ケチを学びたかったんです」
「まったくどうしてそう、本末転倒なんだ。
金は使わずに貯めるものじゃない、損したと思わない使い方をするべきなんだ。お前たちと関わるうち、私はそれを学んだんだ」
「へえ……」
「ついてきなさい。ああ、運転手。駅まで車を出せ」
「しかし社長、ガソリン代高いですよ。いまそこの大須のスタンドはハイオク183円です」
「かまわん、飛ばせ」
「どうしたんです社長……まるでドケチの師匠じゃないじゃぁないですか。
これじゃ学ぶことなんてなにもありゃしない」
「無駄を削ってなんになる。ケチっても、人生最後にツケの支払いは来る。結局損するんだ。それに、師匠に弟子は従うものだ! さあ駅に着いたぞ! 実家の最寄の駅はどこだ」
「へえ、じつは横浜で……師匠。何卒」
「わかった。さっさと切符を買おう。金は出す、早く買え」
「へえ! で、席はどうしましょう。やっぱりここはお安い方がいいですか」
「バカを言うな。私とお前がのるんだ、決まってるだろう
指定席だ(師弟)」
完




