第七十四話
今回は少し特殊で前半は第三者視点です。
場面の切り替えとして●を入れました。
邪龍の復活。
悪逆非道の神龍の目覚め。
天をも震わせるその咆哮は、草木を震わせ、野生に生きる生物は恐怖で震える。
邪龍を知る者はこの時代にはほとんど存在しない。
その所業が人々に忌避されるほど悍ましいものであったからこそ、記録にも残っていないし、後世に伝える者もごく僅かしかいない。残されているとしても勇者の英雄譚の前に呆気なく死んだ魔物として描かれているだけだろう。
だが、彼は知っている。
数百年の封印から目覚めた彼、魔族の王―――魔王。
邪龍の咆哮が響き渡ると同時に、魔王領に座する彼は邪龍の気配を誰よりも早く知覚した。
「……!」
「いかがなされました? 魔王様」
彼の傍で控えていた侍女がいち早く彼の異変に気づき話しかける。
魔王は己の額に手を当て、くつくつとひとしきり笑みを漏らすと、上機嫌な様子で侍女の方を向く。
「いや、随分と懐かしい龍の波動を感じてな」
「龍の波動、ですか? すると、ドラゴン……ということでしょうか?」
「この時代にもいるだろう? 生きているのは一体……いや、二体か。面白い余興だ。これもヤツの仕業か」
独り言を呟く魔王。
そんな彼を怪訝に思いながらも、侍女は話に耳を傾ける。
魔王の侍女として就いた日から、分かったことは彼は意外にも他者との交流を重要視しているということだ。彼の言葉は、心地よく聞く者の心を引きつける。
生まれ持っての畏怖からか、魔王の侍女などという厄介極まりない役職に就きたい者は少ないが、彼女は己の意思を以て魔王の侍女という任を受けた。
しかし、予想を超えてワンランク上を往く魔王の言葉に困惑を隠せない。
「私が封印される前には既にヤツも私と同様に仕留められていたはずだ。ご丁寧に形を残してな」
「はぁ……」
「力が不安定だな。何者かが起こしたのか? 幾分か不純な魔力が混ざっている。どちらにせよ不完全な形で呼び起こされて弱体化しているように思える」
目を閉じ、楽しそうにそう口にする魔王。
遠く離れた龍の波動とやらを感じとっているのだろうか、だが侍女としては龍の波動と言われてもドラゴンのという言葉しかピンと来ない。
何せ、龍の存在は現在ほとんど確認されていないものなのだから。
「あの、浅はかながらお聞きします。私には魔王様が何を仰っているかはよく分からないのですが……」
「邪龍。力だけを持って生まれた唾棄すべき存在だ」
「邪龍……」
「厄介な奴でな。話を聞かない、考えない、自らの本能のみに従う、生まれながらに英知を授かっているくせに知能を放棄した愚かな生物さ」
―――想像できない。
今までそんな存在がいたことすら知らなかったし、今その存在がどこかで目覚め暴れ回ろうとしている事実もどこか現実味が無い。
「奴の頭の中にあるのは破壊と憎悪、それのみ。一度は利用させて貰ったが、たった一夜で三つの国が灰塵と化した。アレを使うのは二度と御免被る」
「……それは、なんとも恐ろしい、ですね」
一夜で三つの国が亡びるなど尋常ではない。
彼女自身、封印前の魔王の行った侵略の一部を知ってはいるが、それでも一夜でそれほどまでの国を滅ぼした作戦は無かった。
「奴を利用するのは簡単だ。なにせ破壊する場所を提供すればいいだけだからな。だが、手綱を握ろうと画策すれば奴はすぐさまこちらに噛みついてくる。神龍と呼ばれていただけに神に等しい力を振るうからな、この私でも殺し切るのに骨が折れる存在よ」
そこでできないと言わないだけにやはりこの方は規格外だと再認識する。
だが、そんな彼が骨が折れる存在だと称した邪龍は、人間のみならず自分達魔族にとって害をなすのではないか?
「では、野放しにしておいては危険なのでは……?」
「心配するな。言っただろう、弱体化していると。ヤツの力は最盛期より格段に落ちている。私が手を下すまでも無く勝手に朽ちるだろうよ」
衰えとは恐ろしいな、と魔王は大仰な動作でそう言い放つ。
その表情からして微塵も心配していないのは分かるが、すぐにフッと顎に手を当てる。
「だが、野放しにされれば相当死ぬだろうな。数百年の封印と体の劣化はただでさえ短慮だった奴の思考を単純化させる。破壊衝動にはより拍車がかかり、憎悪の矛先は自身を封印した者へと向けられる。今代の勇者―――奴が子を残していれば、その血縁者。そして、奴と同じ世界から召喚された二人の勇者。いや、正確には近しい”匂い”のする者ならば須らく奴の憎悪の対象と成りえるだろう」
「それはまるで……」
「獣のようだと? そう、獣だ。奴ほど本能に忠実で、悍ましく、傲慢で、この世に存在する意味が無い生物はいない。だが逆を言えば奴ほどの純粋な生物はいない。私は奴を心の底から軽蔑こそしているが、一応の評価はしている―――だからこそ、奴は死ぬべきだった。あの時、勇者にとどめを刺されるべきだった」
「封印したのは勇者でしょう? 彼では倒せなかっただけなのでは」
「バカを言え。あの勇者が邪龍を倒せないはずがないだろう。倒せなかったのではなく、倒さなかったのだ」
「はぁ……?」
訳が分からない。
侍女は少しばかり混乱した。魔王の話を聞くだけで邪龍はかなり傍迷惑な存在だという事が分かった。人間にとっては尚更そうだろう。
それなのに、勇者は倒せるはずの邪龍をわざわざ封印した? どう言う意図があってそんなことをしたのだろうか。
首を僅かに傾げた侍女を察したのか、彼は彼女に説明するように自身を指さす。
「私と同じだよ。奴も私も生かされた、方法は違えどな」
「魔王様が、生かされた? 勇者に、ですか……?」
「勇者に、だ。だから私は生きたまま封印されていたのだろう」
と、なると不敬に値するかもしれないが勇者は魔王をも超える力を持っていた、そうなるのだろうか。
邪龍も魔王も下した勇者は温情と情けの心を以て、封印という形で罰を下した。
そう考えるのが普通だろう。
それが当たっているとすれば―――、
「勇者というのは随分と甘いお方のようですね」
言葉は選んだ。
素直な気持ちで言えば、魔王とはいえ敵に情けをかけるのは愚か、そう思ったからだ。
しかし、魔王は彼女の言葉を予想していたのか、噛み締めるような笑顔を浮かべる。
「ククク、甘い……そうか、甘いか……」
「魔王様……?」
肩を震わせる彼に戸惑う侍女。
ひとしきり笑い、玉座に背を預けた彼は傍らに佇む彼女に愉快そうに話しかける。
「貴様、名は?」
「え……。し、シエルと申します」
「ならばシエル。本日を以て貴様は私の専属の侍女だ」
「………は?」
突然の専属宣言。
しかも魔族の頂点に立たれる魔王の専属。
木端侍女の自分には荷が重すぎる話に硬直する彼女だが、一方の魔王は上機嫌に頬杖をく。
「魔王というのは暇でな。話し相手がいなければ何もすることがない。その点、貴様は面白い反応をしてくれる。何分、ここにいる者共は純粋すぎるからな」
「それは言外に私が純粋ではないと言っているように聞こえるのですが……」
「そう言っているんだ」
納得いかない、でも光栄だ、というはちゃめちゃな気持ちになりながらも侍女、シエルは深いお辞儀をする。魔王は彼女が想像していたよりもずっと思慮深く、破天荒なお方だと彼女は身を以て知ったのだった。
●
「よし、逃げるか」
「うん、そうしよう」
「グォー」
ネアがゾンビとして呼び覚ました邪龍を見た僕達の判断は早かった。
アマコは即座にブルリンの背に飛び乗り、僕は気絶しているアルクさんを担いで後ろを向く。
あんなもん相手にしていられるか。
戦うだけ無駄、逃げるが勝ちだ。
「ハハハ!! ネア!! 一生懸命邪龍とやらをゾンビにしたのは良いが失敗だったなぁ!! そんなデカブツで僕を捕まえられると思っているのかアーホ!! 引き籠り!! ドジッ子ォ!!」
「なぁ……っ!?」
とりあえず、今までの仕返し代わりに煽っておく。
アルクさんを助けた時点で僕達の目的は果たしているのだ。まだ村人達が彼女の支配下にあるが、逆を言えば彼女の支配下に居るからこそ彼らは安全に暮らせていると考えられる。
ならもう村を出て行ってもいいだろう。
馬を拾う為、村の方へ向かっていこうとすると、周囲の風の異変に気づく。
「―――っ! 風が後ろに……?」
引き込まれている。
嫌な予感と共に後ろへ振り返ると、大きく息を吸っている邪龍の姿。
ドラゴンが大きく息を吸うとか、あれしかない……!?
「ブルリン、後ろを向け!!」
ブルリンに声を投げかけ立ち止まると同時に、背後からの攻撃に対応できるように邪龍を見る。空気をこれでもかと吸った邪龍の喉は大きく膨れ上がり、口の端と喉の傷からは機関車のように紫色の煙が漏れ出している。
「吐くなら来い……っ!」
最悪団服を振り、薙ぎ払うという手段を考えながら身構えていると、空気を吸うのを止めた邪龍が大きく首を上げ―――、
「―――――――っ!」
声にならない咆哮と共に空高く紫色の大きな塊を吐き出した。
僕とブルリンは慌てて地面へ伏せる。吐き出された塊は僕達の頭上を越え、背後の林へと落ちていった。落下と共にヘドロのような飛沫ととてつもない激臭があたりへ撒き散らされた。
「や、やっぱりドラゴンだからブレスとか吐くんだな……ちょっと感動……」
って、何を感動しているんだ僕は。
あの程度のブレスなら避けられなくはない。アルクさんを担ぎ直して先を急ごうと前を向くと、先程のブレスが落ちた場所が目に入り絶句する。
先程まで生い茂っていた木々が見る見るうちに枯れていく―――これは、腐っていっているのか? それにこの匂い……っ!!
「クソ、毒か!!」
微かな眩暈と吐き気。すぐさま口元を押え治癒魔法を纏う。
隣を見れば毒を受けたのか顔を真っ青にしているアマコ。ブルリンはまだ大丈夫そうだけど、これ以上あのヘドロに近づいたら彼も危ない。気絶しているアルクさんはなおさらだ。
「アマコ、心配ない、今治す」
「……ごめん」
ブルリンの背からアマコを持ち上げ、肩に居るアルクさんと共に治癒魔法をかける。
早くあの邪龍から離れないと―――すぐに移動を試みようと迂回して行こうとすれば、その先に再び邪龍が吐き出したと思われるヘドロが落ちる。
続けて館の周囲を覆うようにヘドロが撒き散らされ、逃げ場が無くなる。
「逃がさないつもりか……っ!!」
ヘドロは僕達の行く手を遮る様に落とされている。
邪龍は僕が止まるとヘドロを吐くのをやめ、怪しくその隻眼を細める。まるでこちらを品定めするような、それでいって僕を見下し―――嘲るような、そんな目だ。
その目に見覚えがあった。
リングルの森で戦った蛇と全く同じ目をしている
相手をいたぶることを楽しみ、それを至上の喜びとする。
「さあ、ウサトを捕まえなさい!! ふ、ふはははは!!」
あの小娘はそれが分かってねーんだな、これが。
物凄い笑顔で僕を捕獲するように言っている彼女に辟易としながらも、隣で唸っているブルリンの背に治療をし終えたアルクさんとアマコを乗せる。
そしてブルリンの体に手を置き、治癒魔法を掛けてあげる。
「毒ガス……瘴気から離れた場所で二人を守ってくれ。……いや、本当は手を貸して欲しいけど、二人を放っておくわけにはいかないからね」
「ウサト……」
「アマコも心配いらない。とりあえず殴って倒せるかどうか試してくるだけだ」
「まず殴って判断するのはやめよう。ね?」
まさかこんな時に優しく諭されるとは思わなかったぜ。
というより、殴れるか殴れないかが判断基準になっているな。
駄目な兆候だな……うん。
僕の言葉にブルリンは渋々頷く。
「ヴギュォワアアアアア!!」
邪龍の方は待ちきれないようだ。
あの手帳を見れば、僕では絶対に倒せない相手だ。
だけど、逃げる上でこいつと戦うのはどうしても避けられない。アルクさんが起きていれば炎であのヘドロが焼き払えたかもしれないけど、彼が動けない今ではそれは無理な話。
「怖いなぁ……」
弱音を吐きながら、その場で軽く跳ねる。
この類の恐怖はあの森以来だ。グランドグリズリーを殺したあの恐ろしい蛇に、今よりも未熟だった僕が初めて死を意識した時だ。
「まずは殴る、それからだ」
敵が変わってもやることは変わらない。
例え邪龍でも今はゾンビだ。手帳に載っている通りの強さを持っているとは限らない。
そんな淡い希望を抱きながら、咆哮と共にこちらへ近づいて来る邪龍へ駆け出すのだった。
邪龍の大きさは十五メートルほど、マンションで例えると四階か五階ほどの高さ。
地面を這いずる様に進むその様はまるで手負いの獣を思わせる緩慢さだが、ゾンビと化した状態では傷は関係ない。
邪龍の目と鼻の先へ近づくと、邪龍が肥大化した腕を大きく振るう。
「デカいだけじゃ―――!」
僕めがけて振るわれたそれを身を低くすることで回避する。
凄まじい風圧からして、いくら僕でも直撃は堪えるだろう。
というより、こいつの攻撃は普通の人間にはほぼ致死的な威力を持っていると考えた方がいいかも。
「ヴヴッギギギッ!!」
「気色悪い声だな……」
虫が何かを削り、ざわめくような不快な声で鳴くヤツに表情を渋める。
その声が笑っているように聞こえたから、というのもあるが……ゾンビとして操られているにも関わらずどこか意思のようなものが感じられたからだ。
今度は横薙ぎではなく、上から叩き付けられるように巨腕が振り下ろされる。
「うぉ!?」
咄嗟に後ろにさがり回避するものの、ズガァン、と地面に大きく爪がめり込む光景を見て嫌な汗が止まらなくなる。
最悪なことにたったの一回で終わらず、今度は駄々をこねる子供のように両腕の爪を僕めがけて振り下ろし始める。
「うおおおお!?」
僕はモグラかよ!? とばかりにモグラたたきよろしく、こちらへ何度も何度も振るわれる爪を、転がりながら回避し、接近を試みるも、振り下ろす際に生じる強烈な風圧のせいでうまく近づけない。
これはマズい―――そう感じ、一旦距離を取った僕は、空を飛んでいるネアに叫ぶ。
「おい!!」
「んー、諦める気になったの?」
「意地でも諦めねーよ!! それより、こいつは本当に君が操れているのか!!」
「当たり前じゃない。操れているって、魂が無い死体を操るのが私なのよ? しかも私のゾンビは命令に絶対に背かないのよ!!」
「そうか……そうかそうか」
なら、今こいつはネアの意思で動かされていると見て良いのか?
ふーん、なるほど。
僕は迷いなくネアに向かって治癒魔法弾を投げつけた。
「治癒目潰しィ!!」
「へ、ぐえぇ!? な、目ぇええええ!?」
命中力の問題はあるが、うまく当たってくれた。アルクさんの時とは違って、相手はゾンビだからな。彼女の動きを止めればあっちも勝手に止まる。
女子らしからぬ悲鳴を上げ、蚊取り線香で落ちる蚊のようにひょろひょろ~と館の屋根に落ちていくネアを一瞥した僕は、動きの止まった邪龍を見据え、拳を力の限り握りしめる。
「動きの止まった敵なんてサンドバッグと変わらん」
治癒魔法は必要ない。
本気の本気で叩く。
弓を引くように右拳を引き絞った僕は、動きを止めた邪龍に一直線に突っ込む。
眼前には真っ黒な鱗、鱗を見ればあの蛇を思い出すが、あの時と僕は違う。
訓練もしたし、それなりに成長した。
だから―――、
「食らえぇい!!」
全力で駆け、全体重を乗せ、この世界で恐らく初めてであろう全力の力で突き出した拳は、寸分の狂い無く、邪龍の胸部に突き刺さった―――。
―――ユウシャ、オナジ―――
―――コロス―――
次話は邪龍さんが盛大な勘違いをする話、となります。
前半の第三者視点についてですが、
流石に魔王様の一人称視点はまだ早すぎると感じたので、今回は第三者視点で進ませて貰いました。
続いて更新についてですが、前々回までは一万字程度で更新し続けていましたが、更新頻度と見直しのしやすさからして、六千から八千字程度に文量を抑えての更新を何度か試みようと思います。




