第四十三話
一日目
ウサトに押し付けられた手記、これが何を意味するか分からないが、一応今日、起こった出来事を書き留めてみようと思う。何年ぶりかに文字を書いてみるが意外と覚えているものだ。
今日はあの女に無理やり牢屋から連れ出され、キュウメイ団と呼ばれる場所に連れてこられた。今も首には魔力を封じる枷が嵌められているが、これが一向に外せない。留め金が嵌められてから変形しているのだ。外すこともできないことに気付き、呆然とした時、いきなり投げ飛ばされ起きたらウサトの顔があった。マヌケ面が面白かった。
今日あったことはそれだけだ。
明日はローズに訓練を課せられるらしいが、人間程度が行う訓練なんて魔族であるボクにとってあまりにも簡単な事なので、あまり構える必要はないだろう。
二日目
今日は死ぬかと思った。
ボクは勘違いしていたのだ。人間が行う訓練だと思ったら、前提が違っていた。トング、アレクと言うオーガ種とミル、ゴムル、グルドいう名のゴブリン種と共に明らかに過剰すぎる距離を走らなければいけないという過酷なものだった。
こいつらは流石の化け物とでも言っておこう、そう言うと奴らは自分が人間だと主張しだした。……恐らく奴らはローズに飼いならされた魔物だろう。
可哀想に、自分を人間と認識しているとは。
ボクは人間以上の身体能力はあれど、魔族の中ではそれほど高くはない。太陽が真上に昇る頃には疲労のあまり倒れてしまった。狙ったのかは分からないが、丁度やってきたローズは私の脚を平手で張り脚で無理やり私を立たせて走らせた。痛みはなくなったが、別の痛みがボクを襲ってきた。
何か『……ウサ…以下か……』と、小さく聞こえたが、目の前が何故かうるんでいたせいで気にしている場合じゃなかった。
ここは地獄だ、牢屋に戻してほしい。
三日目
からだがうごかない
四日目
あの女は人間じゃない。動けないボクを蹴り飛ばして走らせるとかどうかしている。
なんでウサトは笑っているんだ。
こんなの何時も通りなんてどうかしてる。
五日目
今日はウサトを加えて走った。
だがおかしい、オーガ種やゴブリン種と一緒に走っている事には変わらない筈なのに、ウサトは一向に息が切れる様子はない。ボクはあんなに苦しかったのに、ウサトも人間じゃ無いのか。……ボクを倒せるほどの生き物が人間のはずがないか……納得してしまったボクだけど、治癒魔法は人間にしか目覚めない事に気付く。
ウサトは人間だけど人間じゃ無い。
ボクはそう解釈した。
六日目
そういえば訓練が始まると、森の奥から何かが激突する音が響く。その度に、ざわざわと鳥が一斉に飛び立ち遠くの大木に何かが激突したように揺れるのが見える。
明日、疲れたふりして休んで見に行ってみるか。
サボるのは得意だし。
七日目
八日目
ずるしてさぼってごめんなさい。
九日目
信じられない話かもしれないがローズがウサトに尋常じゃない威力の拳をぶつけている、という訓練を行っていた。拳をぶつけられたウサトはくるくると回転するように殴り飛ばされ、木々に激突し地面を数度跳ね、ようやく止まる。
死んだかと思った。
力に秀でたオーガでもあんな音で人は殴り飛ばせない。文字通り、身体の中心を真っ向から打ち抜く一撃。でも、ウサトは普通に起き上がり、お腹を治癒魔法の光で押さえながら痛そうな顔をしているだけだった。
目の前で起きた光景が信じられなかった。こんな事、ここに書かなくちゃ意識が保てない。ここは魔王領なのだろうか、起こっている事態は魔王領での範疇を超えているが。
頭がおかしくなりそうだ。
十日目
何故かウサトの訓練に興味を持っていると思われたらしい。
夕食時、ローズから明日のウサトの訓練に同行してもいいと言われた。
正直、ゴブリンとオーガ共についていく為に体力を使ってしまったがばかりに碌な返事は返せなかった。だけどこれはチャンスかもしれない。
不本意に此処に来て以来、ずっと未知だったウサトの訓練を見れる。
何故かウサトは猛反対していたが……恐らくボクに知られるのが嫌なのだろう。
アイツのあんな顔が見れていい気分だ。
今日は疲れたけど、何か良い気分で眠れそうだ。
「………」
パタリと間違って持ってきてしまった日記を閉じ、もう一度開き中身を確認してから閉じる。
……どうやらボクはまだ夢の中に居るようだ。―――誰か、無理やりでもいいからボクの目を覚まして欲しい。この目の前で繰り広げられている訓練風景という名の拷問風景から……。
「だから避けろっていってんだろうが!何度も何度も受ける事だけ達者になりやがってよォッ!」
「アンタ避けようとすると拳の軌道変えてくんだろうが!!あんなもんどうやって避けろって言うんだよ!」
「んなもん見てから避けられんだろうがよ!」
ローズによって遙か後方に殴り飛ばされたウサトが平気な顔で起き上がり、その表情を恐ろしいものに変えローズに啖呵を切っている。この数日間であの女の恐怖を刻み付けられた身としては、意気揚々と食って掛かり顔を鷲掴みにされても尚態度を変えようとしないウサトの行動に不可解さを感じえない。
「チッ、もう一度やるぞ……」
「んだよ、舌打ちしたいのはこっちだよ、もう……」
双方、苛々としながらも所定の位置へ戻っていく。距離、十メートル。脚を半歩広げて立ったウサトを睨み付ける様に目を細めるローズ。
人間の目じゃない。あんな化け物と真正面から戦おうとするなんて、あの第三軍団長は意外と強かったのかもしれない。相性の関係もあるが、自分では絶対に勝てない自信がある。
若干の現実逃避をしている間に、ローズの姿が消える。
今度は全く見えなかった。最初はなんとか見れるレベルだったのに。
すぐさまウサトの方を見る。
「っぶな!?」
「……え、避けたの?」
一瞬の内に移動したローズの拳を身を翻して避けていたウサト。信じられないがローズが繰り出した拳を視認してから回避した、のか?どちらにしても人間の反応から逸脱しつつある。
「や、やったこれで―――」
「油断すんじゃねぇ」
「ごほぉ!?」
「え、えぇ……」
ようやく拳を避け喜色の表情を浮かべたウサトの腹部に、追撃気味の回し蹴りという無慈悲な一撃が放たれた。バゴワァというおおよそ人体にぶつけてはいけない音が響くと同時に、空中で乱回転しながら綺麗な放物線を描き地面を4回ほどバウンドし落ちた……。
まさしく鬼畜の所業である。
「だ、大丈夫か?ウサト……」
柄にもなく心配してしまう程の仕打ち。だが、ウサトは腹部を押さえながらスクッと立ち上がる。やはりダメージがあったのかゆらゆらと揺れている。
とりあえず、近くに駆け寄り具合を見ておく。しかし近づいた瞬間、バッと顔を上げたウサトがボクが近くにいるにもかかわらず勢いよく両の拳を空へ掲げ雄叫びを上げる様に―――
「……やったぁ――――!!避けれた!!」
そう叫んだ。
「うわっ……」
あまりにも突然に大声を出したからびっくりしてしまったが……全く堪えていない事に驚く。
「はぁー……よくやった、これでもう私が殴る必要も無くなったな。元の訓練に戻って良いぞ」
腕を組み微笑を浮かべているローズにお辞儀したウサト、先程まで険悪に見えた二人を見ていたからか、冷や汗が止まらない。何か用事があったのかローズはそのまま宿舎に戻っていってしまったが、後はウサトが指示する訓練をすればいいと言っていたが―――。
「いやぁ、まさか拳の軌道を変えるなんて……やっぱりローズは化物だなぁ」
「その化け物にお前も片足突っ込んでいる事に気付いてくれないかな……」
「ん?何か言った?」
―――その言葉に重いため息を吐くと、ウサトが訓練所の端の方に移動するのが見える。座り込み、袋のようなものから上着のようなものを取り出しているウサトに近づくと、彼はそれを着て立ち上がる。
「さてと、今日は君もいるから控え目くらいに走るか……あ、そういえばさ、かなり今更だけど訊いてなかった」
「何を?」
「君の名前」
「すごい今更だな……」
「いや、だって訊こうにも夕飯とか色々済ませたらすぐ寝ちゃうからさ……」
確かにそうだけど、この十日間で一度も名前を知らなかった事が不自由だと思われなかったのは、何か悔しいな……。
「名前、か……」
ほとんどの奴らに黒騎士と呼ばれていたからか、名前を呼ばれる機会といったらあの第二軍団長の奴しかいなかったな。ここではローズに教えていたはずだが、思い出せばアイツはボクの名前をウサトの前では呼んでいなかった気がする。
思えば他人に促され名前を言うのは久しぶりかもしれない。
「フェ……フェルム。親からはフェルって呼ばれてた」
若干の緊張と共に放たれた言葉にウサトは、一度頷くと……。
「フェルムね。じゃあ、今からランニングするから準備して」
「………おい」
「ん?」
「それだけか?」
「………何が?」
……反応が淡泊すぎて気に入らない。なんだか凄く気に入らないし、凄いイラッとした……取り敢えずウサトの脚をつま先で蹴り、準備体操を始める。結構な力で蹴ったはずなのに痛む素振りを見せないウサトはその場で軽く飛び上がり体の調子を確かめている。コイツ……ッ。
「どうする?軽く走ったほうがいいよね?」
「バカにするな。ボクだってあの化け物共についていけるようにはなったんだ」
「ついて行ける程度じゃ駄目だよ」
「……は?」
ボクを嘗めているのか笑顔でそう言い放ったウサトは跳ねるように軽く走り出す。自分はバカにされて黙っているほど殊勝な性格はしていない。口の端が自然に歪むのを自覚しながら、ウサトを追いかける。
「大体前からお前の事は気に入らなかったんだ……ッ」
「ははは、気に入られる程仲良くしないからね」
「……ッ!」
ウサトを追い抜くように速度を上げると、ムカつく笑顔で並びそう呟くウサト。
この十日間、此処に居て分かったけどやっぱり化物だコイツ。
「……くそぉ!」
「あ、ちょっとペース配分は僕に任されてるから―――」
「うるさい!」
―――意地でも引き離してやる。
生意気な治癒魔法使いに魔族と人間の差を教えてやる……ッ。
「……おいウサト」
「はい?」
「お前に任せたあのヘタレはどうした?」
訓練が終わった後、救命団の宿舎で団員全員で夕食を囲んでいる時、僕の隣の席―――フェルムの席が空いている事に気付いたローズが、その事について僕に問いかけた。その問いかけに、苦笑しつつ頬を搔く。
「いや、何だか倒れちゃったんですよ」
「倒れたぁ?」
「ちゃんと治癒させてから部屋に寝かしましたから大丈夫ですよ」
「………ハァ……明日倒れられると面倒だ。後で飯でも持って行っておけ」
呆れた様に額を押さえた彼女に小さく「ツンデレか……?」等と呟きながら隣の席を見る。
フェルム―――一応名前を知ってはみたが、彼女は思ったより子供だ。どういう訳か僕に対抗心のようなものを燃やしてるけど。……今日は僕を引き離そうと必死になりすぎて崩れ落ちる様に倒れて気を失っちゃった。
「ははは、あの嬢ちゃんは倒れちまったのかよ!ウサトは手加減知らねぇからなぁ!」
「僕は普通に走ってただけなんだけどね」
「お前の普通は頭おかしいレベルだからな、少なくともテメェは人間じゃねぇよ」
「うっせぇ!団長よりはまだ人間だよ!!」
化け物みたいな扱いされて黙っていられるか!とばかりに失礼な言葉を言ったゴムルを睨みながら勢いよく立ち上がる。
瞬間、僕の顔の横を何かが横切り頬に一筋の裂傷が浮かぶ、後ろを見るとビィィンと壁に木製のスプーンが突き刺さっており、前を向くとにこりと笑みを浮かべ僕を睨み付けたローズが視界に映る。無言でゴムルとアイコンタクトを交わし、大人しく座る。
……笑みって人をこんなにも怯えさせるものだっけ?というより木製のスプーンって壁に突き刺さるほど尖ってたっけ?
「十日間見てきた限りじゃあ、アイツは魔族にしちゃあ体力は少ねぇだろうが、そこらへんは別に問題はないな。姉御は今後どういった感じでアイツを鍛えるんですか?」
アレクが見た目にそぐわない無駄に行儀の良い手つきで料理を口に運びながらローズの方を向き言葉を投げかけた。
「ああいう魔法の性能にどっぷり浸かった小娘は適度に挫折させときゃ勝手に大人しくなんだろ。なぁ、トング」
「……勘弁してくだせぇ」
バツが悪そうにローズから視線を逸らすトング。救命団の中でもトングは結構な古株らしいから、色々あったんだな、多分。
「トング、団長に何かしたの?」
「うっせぇ、テメェには関係ねぇよ」
訊いては見るもののピシャリと拒絶されてしまった。余程、明かしたくない恥ずかしい過去とみた。後でアレクか誰かに訊いてそれでおちょくろう。密かに心に決め最後のパンの一切れを口に詰め込みスープで流し込み、水を飲みながら一息つく。
「……ふぅー」
「ウサト」
「はい?今度は何ですか?」
またローズが声を掛けて来たので、そちらを向く。
今度はなんだろうか、新しい訓練について?いや……流石にあれ以上の苦行はもうない……筈。
「明日の早朝、城へ行って来い。ロイド様がお前と勇者二人に話があるらしい」
「え?というと……」
「ああ……ようやくこの国もこれからの方針を決めたらしい」
それじゃあ、書状を出す日もそう遠くないって事か……その前にローズとの訓練が終わってよかった。大分、耐久力も反射神経も成長したし、とりあえず余程の奴に攻撃されなければ死なない程度にはなった。
「アマコも連れて行った方が良いですよね?」
「ああ」
朝一でサルラさんの店を訪れアマコを迎えに行くか。
手元の皿を片付けながらこれからの事について考える。隣国の魔導都市ってのも気になるけど、もっと注視しなくちゃいけないのは、避けて通れないであろう危険地帯や村、集落、そして険しい山々。
「地形について知らなくちゃな……」
明日、ウェルシーさんあたりに頼んで獣人の国までの地図を見せて貰おう。アマコもいるし道のりのことなら心配はいらなそうだが、一応知っておいて損はないだろう。
「それじゃ、明日城へ向かわせて貰います。ごちそうさまでした」
食器を下げ、食堂から出る。
明日は早く起きなくちゃいけないから早く寝よう。その前に未だに寝ているフェルムに夜ごはんを食べさせなくちゃいけない。
「……たたき起こすか」
体にはなんら問題ないはずだ。そもそも病、疲労と傷を治す治癒魔法にかかれば、呪いや精神的な疲労とか概念的なもの以外なら基本的には効く。まだ習得してから日が浅い僕では単純に治す事しかできないが、ローズ曰く「お前は私と同じタイプの治癒魔法だ」と何時しか言っていた。
……という訳で、現状フェルムはただ惰眠を貪っているだけということになる。僕はローズのように気絶している人を無理やり目覚めさせて走らせるというような鬼畜ではないので、ベッドに寝かしてはおいたが―――彼女の明日の事を考えると、起こしておいた方が良い。
彼女を寝かした部屋の前に立ち、ノックをする。彼女が今住んでいる部屋は物置として使っていた所で、前はウルルさんとオルガさんが使っていたらしい。フェルムが来た翌日に、取りあえず住める程度には掃除しておいたが―――散らかしてないだろうか……?
「まだ寝てるのか……はぁ……」
反応はないので、まだ起きていないのだろうか。大きなため息を吐きながら扉を開けると、なんら生活感のない部屋の角に蝋燭の明りで照らされた木の机に座って何かを書いている、銀髪の少女の姿が見える。
「……」
何やら必死に書きなぐっているように見えるが、起きているなら早く下へ来て欲しかったな。未だに部屋に入って来た僕に気付いていないのか、時折唸りながら頭を振っている彼女に近づき、声を掛けてみる。
「おーい。フェルムー」
「うわあ!?」
どんがらがっしゃーんという擬音がつきそうな勢いで椅子から転げ落ちた、元黒騎士さんに苦笑いしながらも、足元に落ちた手帳を拾い、表紙を見る。
僕があげた日記だね。まだ使ってくれているとは……ちょっと嬉しいかも。
「大丈夫?」
「だ、誰のせいだと思って……っ」
手を差し伸ばしてみるが見事に払われ、自分で起き上がった。すると僕の手元にある手帳を見つけたのか、口をパクパクとさせる。
「これ、使ってくれてるんだね、ありがとう」
「か、返せ!」
いやあげたんだけど元は僕のだからね?律儀に日記を書いてくれるなんて結構素直な所もあるじゃないか。……元から悪い子ではなかったかもしれない。ちゃんと接してあげれば何処にでもいる同年代の子供だ。
「中を見ていないな?見ていたら殺すぞ」
安易に殺そうとして来る点を除いて、だけどね。どちらにしろ魔力のほとんどを封じられている彼女じゃそれは無理だし、相性的にも無理だ。逃げ足でも負けないのが僕が大きく出れる大きな理由だけど。
「夕飯食べるでしょ?食べなくちゃ明日、空腹のあまり吐くよ?」
「……吐くとか言うな。ちゃんと食べる」
何が気に入らなかったのか、その表情を仏頂面に変えそっぽを向き部屋の外へと歩いていく。その際に日記は大事そうにポケットにいれているのが見えて少し笑ってしまったが……。
「ま、ここの生活が充実していそうで何よりだよ」
見た目が同じ人外のトングたちも受け入れているようだし、喧嘩とかの心配はもういらないようだ。訓練に関しては僕も耐えられたわけだし、彼女はオルガさんとは違い体も丈夫だ。少しサボり癖がある点もローズが力技で矯正させてくれるだろう。
後は―――カズキや犬上先輩が彼女を許すかどうか……。過ぎた事とはいえ一度殺されそうになった相手をそんな簡単には許せる筈はない。というより―――。
「何時までボクの部屋にいる!は、早く出てけ!!」
「はいはい」
あの犬上先輩がどんな反応をするか心配だ……。




