第4話:ABCDEFG……
――一夜明けて、翌日の昼休み。
俺は血眼になって、あの女を探していた。
誰だ……? 一体、誰なんだ……?
昨晩、俺のもとに届いた一通のダイレクトメッセージ。
あの写真に写っていたのは、間違いなくこの学校の校章だった。
うちの生徒にたまたま痴女がいて、そいつがSNSで見かけたエロマンガ家に自分の自撮りを送ったらそれがたまたま同じ学校の生徒だった。
そんな偶然があるとは流石に考えづらい。
つまり、向こうもあのアカウントの持ち主が同じ学校の生徒であると認識している可能性は高い。
最悪、岡魔トマトが真岡大和であると知られている可能性まである。
一体、あの女は誰なんだ……。
昼休みが始まったばかりの教室に視線を巡らせる。
皆、各々のグループを作って学園生活を無邪気に楽しんでいる。
いつもなら俺もあの輪の中心にいるはずなのに、今はその喧騒が遠いものに感じられた。
あの中に俺の秘密を知っている人間がいるかもしれない事実に、まるで心臓を直に握られているような恐怖を感じる。
とにかく、一刻も早くあの女の正体を突き止めないといけない。
向こうだけが一方的に俺の秘密を知っている状況なのは危険すぎる。
もしも全てが暴露されてしまえば、俺の順風満帆な人生計画が崩壊してしまう。
しかし、探そうにも手がかりは全くと言っていいほど存在していない。
唯一あるのは、DMで送られてきた下着姿の写真だけ。
「おーい、大和ー! 何やってんだー! 早く行こうぜー!」
席についたまま思案に耽っていると、教室の入口から呼びかけられる。
振り返ると、いつも一緒に昼飯を食べている友人たちの姿が見えた。
でも、今は呑気に飯を食っている場合じゃない。
「悪い。今日はちょっと別のとこで食う約束してるから」
そう告げて、みんなの間を縫って先に教室から出ていく。
一分でも、一秒でも早く、あの女を見つける。
手がかりは少ないが、文字通り大きな大きな手がかりが俺の手にはある。
誰にも見られないようにスマホの画面に、あの写真を表示させる。
『私の身体……いやらしいと思います?』
その文言と一緒に送られてきた下着姿の写真。
胸囲は小さめに見積もっても90cm以上ある。
なのに腰は両手で掴めそうなくらいに細く、尻はこれまたデカい。
こんな見事な身体の持ち主が、同じ学校に何人もいるわけがない。
そこに注視して探せば、きっと見つけられるはずだ。
写真を目に焼き付け、廊下を歩いて教室を一つずつ見て回っていく。
誰の胸が大きいとか、誰の身体がエロいとか。
男子が数人も集まれば、そんな話題に花が咲くことも珍しくない。
当然、学年中のコミュニティに参加している俺の耳にも否応なしに届く。
そんな会話の記憶を紐解いて、心当たりを一人ずつ当たっていく。
しかし、どの教室を覗いてもそれらしい人物は見当たらなかった。
どれか一つの特徴を備えた女子はいるけど、そこまでだ。
あんな全てを兼ね備えた、まるでエロマンガから飛び出してきたようなドスケベボディの持ち主は一人も見つからなかった。
もしかして、この学校の生徒だと考えたのは早計だったのか……?
いや、まだ二年の女子を全員見たわけじゃないし、一年や三年もいる。
ここで決めつけて捜索の幅を狭めるのは得策じゃない。
そう考えて、もう一度手前の教室から探そうとした時――
「待てよ……」
不意の閃きに声が漏れ出る。
俺は一人だけ、そんな全てを兼ね備えた女子に心当たりがあった。
いや、違う。考えたくない。
脳がその結論を拒絶する。
だが、パズルのピースがハマっていくように最悪の可能性が形作られていく。
踵を返し、早歩きで別の教室へと向かう。
そうして入口の扉を開けて、唯一の心当たりである彼女に声をかけようとするが――
「せい……っと、悪い……」
ちょうど同じタイミングで、反対側から開けようとした誰かと軽くぶつかってしまう。
「ごめん。大丈夫?」
ぶつかった時の衝撃の軽さから瞬時に女子だと判断し、反射的に謝罪が口から出る。
しかし、そんな俺の気遣いに対して――
「いいから退いてくれない? 邪魔なんだけど」
向こうは抑揚のない声で、そう応えてくれた。
愛嬌の『あ』の字もない表情で俺の顔を見上げているのは、あの白河真白だった。
長い睫毛のついた冷淡な目を俺に向けて、ジッと立ち尽くしている。
「あ、ああ……ごめん、白河さん。退くよ」
余計な気を使ってしまったと、少し損した気分になりながら道を開ける。
彼女はスッと俺の顔から視線を外すと、そのまま廊下の先へと歩いていった。
相変わらず、愛想の欠片もない女だな。
「綺麗な顔してんのに、勿体ないな……っと、それより……おーい、聖奈ー!! ちょっといいかー?」
気を取り直して、当初の目的だった彼女の名前を呼ぶ。
「ん? 何ー? どうしたのー?」
「ちょっとこっち来てくれ。聞きたいことがあるから」
「愛しの彼氏が呼んでるんだから早く行ってあげなよ」
「も、もう……からかわないでよ……」
もう一度呼ぶと、友人に冷やかされながら聖奈が駆け寄ってくる。
「聞きたいことって?」
側にやって来た聖奈が尋ねてくる。
ちょうど俺の目線の高さに、その頭頂部がある。
同世代の女子の中では、比較的に高い方に入る身長。
写真の女も座っていて分かりづらいが、同じくらいに見える。
制服からスラッと伸びた手足は細く、そこから腰回りの細さも容易に類推できる。
雪のように白い肌も共通しているし、制服の上からでも分かるくらいに胸も大きい。
現状では、俺が知っている女子の中で最も写真の女に近い。
もし、あの女の正体が聖奈だとしたら……。
いや、聖奈があんなことをするなんて考えたくない。
俺の秘密が彼女に知られているなんて考えたくない。
考えたくはないけれど……可能性は少しでも探っておきたい。
「あの……さ……聞きたいことっていうか……本当に他意はないんだけど……」
「何?」
なかなか切り出さない俺に、聖奈は怪訝そうに首を傾げる。
喉がカラカラに乾く。
一体、どんな顔で、どんな声で、この質問を口にすればいいんだ……。
「聖奈のバストって何カップだっけ?」
「ば……ふぇ……? ふぇえええ……!?」
一瞬遅れて言葉の意味を理解した聖奈が、顔を真っ赤にして狼狽する。
「しーっ……周りに聞かれるだろ」
「だ、だって……大和は急に変なこと言うから……ば、バストって……」
「いいから教えてくれ……! 大事なことなんだ……!」
「だ、大事なことなの……?」
「ああ、俺たちの今後の人生にも関わってくることだ……!」
周りには聞かれないように、それでも最大限に想いが伝わるように言う。
奴をこのまま野放しにしておくことは、俺のライフプランに大きな影響を及ぼす。
それはすなわち、聖奈の人生にも大きく関わってくるということだ。
「人生って……そんなに……?」
「そんなにだ……!」
「う~……大和がそこまで言うなら教えるけど、絶対他に言いふらしたりしないでよ……?」
「もちろん、そんなの当たり前だろ」
聖奈の目を真っ直ぐに見つめながら力強く答える。
向こうも俺の真剣さを汲み取ってくれたのか、おずおずと口を開いた。
「え、えふ……だけど……」
「えふ……? Fカップってことか?」
「うん……今付けてるのはF65のブラだから……」
「本当に? 間違いなく? きつかったりもしてないのか?」
顔を真っ赤にしながら答えてくれた聖奈へと更に詰め寄る。
「ほ、本当だってばぁ……すっごい恥ずかしい思いで言ったんだから……」
「ごめん。でも、そうか……Fカップか……」
聖奈の言葉を頭の中で反芻しながら考える。
大きい。確かに大きいが……多分、足りてない。
詳しくはないけど、絵を描く時の資料で写真はよく見ている。
その知識と照らし合わせると、写真のブツは最低でもGはくだらない大きさだった。
つまり、あの女の正体は聖奈じゃない。
安堵で全身の力が抜けていくのが分かった。
捜索は後退したが、それが確認できたのだけは本当によかった。
「……で、なんで急にそんなこと聞いてきたわけ?」
大きな安堵にホッと息を吐いていると、聖奈が怪訝な目で見上げてくる。
「それは……また今度教える! ごめん!」
「あっ、ちょっと……! 大和ってば……! なんなの、も~!!」
今は言い訳している時間も惜しいと、聖奈に背を向けて再び教室を出る。
写真の女が聖奈でなかったことに安堵した反面、疑念は更に強くなる。
一体、あの写真の女は誰なんだ……?
再び、僅かな手がかりを学校中を彷徨い続ける。
そうして、気がつくと昼休みの半分が過ぎてしまっていた。
「くそっ、まじでどこのどいつなんだ……」
渡り廊下の柱に背中を預けて、独り言を漏らす。
どれだけ探しても新たな手がかりとなるものは見つからなかった。
自分の人生が懸かっている以上、諦めるわけにはいかないが流石に厳しい。
せめて、もう少し何かヒントがあれば……。
そう考えたところで、ポケットの中のスマホが音を鳴らした。
こんな時に誰だと思いながらも条件反射的に画面を確認すると――
「――っ!?」
そこに表示された通知を見て、心臓が鷲掴みにされたような心地になる。
『探しものは見つかった?』
再び、あの女からメッセージが届いていた。
全身が総毛立つ。
まるでこっちの動きを監視し、無駄なことをしていると馬鹿にするような内容。
画面の向こう側で嘲笑っている女の姿が容易に浮かんだ。
しかし、怒りが浮かんだのも束の間。
これは奴がうちの生徒であることを確定させる情報でもあった。
そして、今まさに俺を見ている可能性が高いことも……。
顔を上げて、渡り廊下から左右の校舎の窓を見る。
すると、旧校舎の四階で人影が俺の視線から逃れるように引っ込んだ。
見つけた……!
即座に駆け出し、渡り廊下の反対側へと向かう。
ようやく見つけた唯一の手がかり。
決して逃さないと、階段を全速力で駆け上がっていく。
「奥から五つ目の窓……社会科準備室……!」
廊下を走り、これまでは存在も知らなかった部屋の扉に手をかける。
一気に開くと、少し埃っぽい空気がブワッと全身を包んだ。
普通の教室の半分程度の狭い部屋。
壁際の棚には資料が大量に詰め込まれた段ボールが並べられている。
中央には古めかしい木製の机があり、僅かに空けられたスペースには空の弁当箱。
そして、その前の椅子に座った白河真白が闖入してきた俺の顔をジッと見ていた。
「あ、あれ……? し、白河さん……?」
想定していたのとある意味で真逆の人物の出現に動揺を隠せない。
「クラスメイトの顔が見て分からない?」
彼女が抑揚のない声で、少し棘のある言葉を淡々と述べる。
「そうじゃなくて……なんでこんなところに? 一人? 他に誰も?」
「いきなり入ってきたと思ったら、また質問?」
「ご、ごめん。ただ、なんでこんなところに一人でいるのか気になってさ」
「そう。別に答える義理はないけど……変な邪推をされても面倒だから答えてあげる。まず一つ、ここには私以外は誰もいない。それから二つ目、ちゃんと先生の許可は貰ってる。放課後に勉強したいけど、図書館は人が多くて気が散るって相談したらここの鍵を貸してくれたの。これでいい?」
食べ終わった弁当箱を片付けながら、理路整然と疑問に答えてくれる。
「ああ……そうなんだ……」
生返事をしながら中へと入り、後ろ手に扉を閉める。
彼女から視線を外し、入口から教室の中を見渡す。
広くはない室内……物は多いが、誰かが隠れられるような場所はない。
一人だというのは嘘じゃなさそうだ。
「本当に、他には誰も?」
「見ての通り。せっかくの昼休みを、こんな辺鄙なところで好き好んで過ごす人なんていないでしょ」
「じゃあ、誰かが廊下を走って行った音とかは?」
「聞いてないけど? 真岡くんがバタバタと焦ったように走ってきた音以外は」
「そっか……」
再び白河と向き合い、彼女の身なりを観察する。
生徒手帳に記載されている形骸化した校則通りに、つまらなく着られた制服。
細身であるのは分かるけど、胸は多少の膨らみが分かるくらい。
あのエロの権化みたいな写真の女とは似ても似つかない。
でも、この女が何故か俺が来た理由を聞こうとしないのが答えのように思えた。
『お前か?』
スマホを取り出し、画面を叩いて文字を入力する。
送信ボタンを押し、メッセージを電波へと変えて送る。
数秒が、まるで永遠のように感じられた。
直後、机の上に置かれていた型落ちのスマホがブブッと振動した。
白河がそれを手に取り、画面を見て口を開く。
「はぁ……本当はもう少し追い込みたかったんだけど、こうなったら仕方ないか……」
彼女は不服そうに大きくため息を吐き出すと――
「正解」
ニコッと、きっとこれまで誰にも見せたことがないであろう笑みを浮かべた。




