第3話:ダイレクトメッセージ
進学校で優秀な成績を収め、友人関係や家庭環境にも恵まれた俺がどうしてエロマンガを描いているのか。
事の発端は今からちょうど六年前――俺が小学五年生になったばかりの頃に遡る。
小学生の俺は、自分で言うのもなんだけどそれはそれは可愛かった。
純粋無垢という言葉がよく似合い、今みたいに打算的な考えもしてなかった……わけではないけれど、まあ今よりは遥かに純朴だったと思う。
そんな俺はある日、昼休みの教室でクラスの連中がこんな噂を話しているのを聞いた。
『通学路の途中にある橋の下に大量のエロマンガが捨てられているらしい』
アホという言葉を擬人化した小学五年男子児童たちが、そんな四半世紀以上前にあるようなイベントに興奮していた光景を今でもよく思い出せる。
誰かが帰りに見に行こうと言い出し、当時から皆の中心にいた俺も誘われた。
もちろん、断った。
そんなことをすれば、真岡大和の価値が毀損されると分かっていたからだ。
そう、分かっていたはずだったのに……。
『通学路の途中にある橋の下に大量のエロマンガが捨てられているらしい』
その日の夜、ベッドに横たわった俺の頭をその情報がずっと支配し続けていた。
六年前とはいえ、小学生でも既にスマホを持っている時代だ。
得ようと思えばインターネットでその手の情報はいくらでも得られる。
だから、その衝動はあくまで好奇心や冒険心のようなものだったんだと思う。
俺は寝ている両親の目を掻い潜って、家を飛び出した。
夜中の空気はひんやりとしていて、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
街灯だけが頼りの暗い道を、俺は心臓の音をBGMにしながら走った。
罪悪感と、それを上回る冒険心。
完璧な優等生である真岡大和が初めて犯す、大きなルール違反だった。
今思い返してみても、なんでそんなことをしたのかはよく分からない。
そういうものに興味があった……というよりは、それが俺の人生において唯一の反抗期的な行動だったのかもしれない。
とにかく、そうして小学生の俺は件の場所へと辿り着いた。
そこで目にしたのは、聞いていた通りに大量のエロマンガ。
俺はその一つを手に取った。
心臓が破裂しそうなくらいに、バクバクと高鳴っていたのを覚えている。
人生で初めて感じる背徳感に身を任せて、それを開いた瞬間――
俺のち◯こは爆発した。
脳天を貫くような、今まで経験したことのない種類の衝撃。
世界から色が消え、音が遠のき、ただ目の前の倒錯的な絵だけが全てを支配した。
あそこを中心に、つま先から頭までが全てバラバラになったような衝撃が奔った。
もちろん、比喩的な表現で本当にそうなったわけじゃない。
でも、それは確かに爆発と呼ぶに相応しい衝撃だった。
何故ならあれ以降、俺のち◯こはあらゆる刺激に反応を示さなくなってしまったから。
小学校六年生から今に至るまでずっと……いわゆる、『不能』の状態が続いている。
それはまるで、真岡大和という人間に定められた人生の経路を脱した俺へ与えられた罰のように。
けど、聖奈との関係がこれからも順調に進めば、その時が来る。
そこでも俺のモノが機能を取り戻さなかった場合、どうなる?
……考えるだけで怖い。
聖奈が俺に気を使って、『大丈夫だから』と言ってくれる姿を想像するだけで胸が痛い。
そんな未来は絶対に実現させてはいけない。
でも、こんなことは家族はもちろん、友達にだって相談できない。
だから、俺は自力で問題を解決するためにあらゆる手段を試した。
けど、そのどれもが効果らしい効果を得られなかった。
何を与えても、俺のち◯こが機能を取り戻すことはなかった。
そうして、行き詰まった俺が最後に行き着いたのが……これだった。
タブレットの画面上にペンを走らせて、線を描く。
目には目を、歯には歯を、エロマンガにはエロマンガを。
自分の手で、あの時の衝撃を再現する。
つまり、ショック療法というわけだ。
我ながらバカバカしいと思うけれど、もうそれくらいしか縋れるものがなかった。
そうして俺はこの半年間、ひたすらエロマンガを描き続けた。
昼間の真岡大和としての完璧な人生の裏側で、呪いのように裸の女を描き続けた。
けれど、あの時の記憶は衝撃で消し飛んで断片しか残っていない。
まさに、暗闇の中を手探りで進んでいくようなものだった。
「ふぅ……一旦、休憩するか……」
描き始めてから一時間程が経過したところで、目の休息に一度ペンを置く。
原稿の完成度は九割と言ったところで、頑張れば今晩中に完成させられそうだ。
ホーム画面へと戻り、ペケッターのアイコンをペンで叩いて起動させる。
一拍空けて、真岡大和ではなく、『岡魔トマト』のアカウントが表示された。
タイムラインには、これまで俺が描き上げてきたエロマンガが並んでいる。
勉強も運動も出来た俺には、当然のように絵を描く才能もあったらしい
フォロワー数は8.4万で、各投稿の『いいね』は少なくとも四桁を超えている。
もちろん、俺の目的はそんな数字を集めることじゃない。
ただ、この暗中模索を続けていく上での一つの指針にしているだけだ。
だから、普通のポストは何もしていない。
これはただ本当の自分を取り戻すための作業で、俺の魂はそこにないから。
「さて、今晩中に仕上げたいし……もうひと頑張りするか」
作業に戻るために、ペケッターのアプリを閉じようとした時だった。
「ん? DM……?」
画面下部にあるダイレクトメッセージのアイコンに未読の表示が付いていた。
どうせ変な業者の勧誘だろう。
大したメッセージも来ないし、そろそろ閉じておいた方がいいかもしれない。
そう思いながらアイコンをタップすると……
「――っ!?」
メッセージのウィンドウに表示された画像を見て、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
ベッドの端に座っている黒い下着を着た女の自撮り写真。
首から下しか写っていないので顔はわからないが、下着の面積の小ささも相まって、ほとんど裸に近い。
その存分に露出させた雪のように白い肌だけでも目を引くが、それ以上に目を引いたのは片腕で支えられている冗談みたいに大きな胸だった。
まるでスイカかメロンに例えられそうなそれは、写真越しにでも柔らかさとハリの良さが伝わってくる。
「なんだこいつ……」
本能的に見てしまったのにばつが悪い気持ちを抱きつつ、アカウント画面へと飛ぶ。
こんなのを送ってくるような女は、どうせ自己顕示欲と承認欲求を拗らせた裏垢女だろうと。
しかし、予想に反してそこには全くと言っていいほど何もなかった。
初期アイコンに空白のプロフィール、フォローは俺だけで投稿は何も無い。
まるで、この写真を送るためだけに作られたようなアカウントだった。
「裏垢じゃないなら業者か? 何にしろ気味悪いし、ブロックしとくか……」
UIを操作し、アカウントをブロックしようとするが――
『見てくれました?』
その直前に、再び向こうからメッセージが届いた。
『私の身体……いやらしいと思います? もしそう思ったなら、私を先生のマンガのモデルにしてくれませんか?』
続けて、挑発するようなメッセージが再び届く。
「まじでやばいな……本物の痴女か……?」
業者らしい気配も無いとすれば、そう考えるしかなかった。
普段住んでる世界にはない全く異質な存在からの接触に、少し恐怖に近い感情を覚える。
「やっぱり、ブロックしといた方が良さそうだな」
これは喜ぶ人間もいるんだろうけど、あいにく俺はそうじゃない。
UIからメニューを開いて、今度こそ本当にブロックしようとするが――
「ん……? これって……まさか……」
視界の端に、再び俺の手を止めるものが写った。
送られてきた写真の背景――簡素なベッドの上には脱ぎ捨てられた衣服の一部が微かに写っていた。
その端に付いている、普通なら気にも留めないような小さな物体。
それは紛れもなく、俺が通う私立聖徳学院の校章だった。




