第1話:順風満帆な人生
「見て……? 私の身体……いやらしいと思わない……?」
そう言って下着を露出された女に迫られた時に通常、男はどんな想いを抱く?
ほとんどは最高の体験だと思うはずだ。
しかも、相手がモデル体型なのにめっちゃ巨乳な色白美人だったら?
ますます最高だと思うだろう。
自分は今、人生の絶頂にいると考えてもおかしくない。
加えて、それが普段は孤高を気取ってる真面目な優等生だったとしたら?
なんだそりゃ、小学生が考えた最強の給食の献立かよ。
その方がまだ慎みのあるくらいには属性を盛りすぎだ。
とにかく、それが大抵の男にとっては最高の状況なのは間違いない。
「ほら、ちゃんと見て……? 目を逸らさないで……?」
彼女の妖艶な声が耳をくすぐる。
こんな声が、普段は愛想の欠片もない女の口から出ているのが信じられない。
でも、そんな垂涎のシチュエーションにおいても俺の心に一切の喜色はなかった。
何故かって?
じゃあ、最後にもう一つだけ付け加えさせてもらおう。
その女が、自分の秘密を握っていたとしたらどうだろうか?
それも決して誰にもバレてはいけない究極の秘密。
本来は墓場まで持っていかなければならない人生最大の秘密を握られていたら?
正解は、『身震いするくらいに恐ろしい』だ。
「よく見て……しっかりと記録して……? こんな風に……ね?」
秘密の写ったスマホの画面を見せながら彼女が妖艶に嗤う。
俺の人生は間違いなく順風満帆……だった。
少なくとも、この女に出会うまでは……。
***
――時刻はちょうど一日前まで遡る。
俺の人生は順風満帆だ。
まず、俺は頭が良い。
「大和! 頼む! 数学のノート写させてくれ!」
「おいおい、またかよ……俺も帰って復習しないといけねーんだけど?」
「そこをなんとか! このままじゃ追試になっちまいそうなんだよ! 今度、購買でパン奢るから! お願いします!」
「しゃーねーなぁ……ほら、明日にはちゃんと返せよ!」
「いつもありがとうございます!!」
都内でも上位の進学校で常に成績はトップクラス。
全国模試では、全教科で常に上位1%の成績を維持している。
東大、京大、国立医学部……望めばどこでも好きな大学に進学できる学力だ。
かと言って勉強一辺倒というわけじゃない。
もちろん、運動神経だって抜群に優れている。
「おーい、大和ー! ちょっと頼みたいことあんだけどー!」
「なんだよ、お前もノートか? でも、数学は売り切れ中だぞ」
「違う違う。今度、開稜のサッカー部の奴らとフットサルで勝負することになったんだよ。あいつら俺らのことを運動音痴のお坊ちゃん連中とか言ってやがってよ」
「それで絶対に負けられないから俺に助っ人依頼ってわけか……報酬は?」
「学食三食分奢り。一番高いステーキ丼に、温玉を付けたっていい」
「任せろ。ハットトリックを決めてやる。でも、黄色い声援を独り占めしても文句は言うなよ?」
中学の頃はテニスで全国大会にも出場したし、他のスポーツだって何でもできる。
今でも体育の時間や球技大会では、本職の運動部にだって全く遅れをとらない。
あと自分で言うのもなんだけどルックスも上々だ。
明るいブラウンベージュのカラーでブリーチした髪の毛。
シュッと通った鼻筋に薄めの唇と、爽やかな印象を与える目鼻立ち。
くっきりとした二重まぶたに、それを飾る眉毛は月一でサロンに通って整えている。
正直言って、女子にもかなりモテる。
「やーまとくん! ちょっといーいかい?」
「はいはい、今度は何だ?」
「実はさぁ……今度、百合園女子とのカラオケ合コンのセッティングに成功したんだけどさぁ……」
「へぇ、やるじゃん。で、それと俺に何の関係が?」
「向こうにお前も連れて来るからって大見得切っちまった!! 頼む!! いるだけでもいいから出てくれ!!」
「お前さぁ……俺の立場も分かってんだろ?」
「そこを何とか!! お前がいないって分かったらみんな帰っちまうよ!! 西園寺さんには俺からも事情を説明させてもらうから!!」
「はあ……貸し一つな」
「神様仏様大和様~!!」
校舎裏に呼び出されたり、下駄箱にラブレターが……なんてイベントが現実に存在することも知っている。
一方でそんな高いステータスを衒うこともせず、人間関係もずっと良好だ。
PINEの登録数は校内外の知り合いだけで三桁人を優に超え、通知はミュートにしておかないと日中はひっきりなしに鳴り響いている。
でも、つるんでいる相手はいわゆるスクールカーストの一軍連中だけじゃない。
休み時間には教室の端で過ごしているようなオタクグループとだって、俺は別け隔てなく接している。
「ま、真岡くん……!」
「おー、涼介! どうした?」
「こ、これ……この前言ってたお笑いのDVDなんだけど……」
「え!? まじで!? わざわざ持ってきてくれたのか!?」
「う、うん……真岡くんがこのコンビ好きだって言ってたから……初期の頃のライブで一般には販売されてないレアなやつ……」
「うわっ! 本物じゃん! これ観たかったんだよなー! サンキュー! 今度、絶対何かで返すわ!」
そういう奴らほど、将来的に大成功したりするもんだからな。
今のうちからあらゆる方面に人脈を広げておいて損はない。
未来のジェフ・ベゾスやイーロン・マスクとの関係がここから生まれるかもしれない。
……と、こんな感じで俺は人生というゲームに勝つために必要な手札を揃えている。
でも、俺が最も嫉妬を買っているのは先に挙げたどれでもない。
「大和ー! 早くいこー!」
「おー、今行く」
教室の入口から俺の名前を呼んだ声に駆け寄っていく。
「もー……遅いよー!」
「悪い悪い。なんか今日はやたらと皆に用事を頼まれたんだよ」
「今日“は”じゃなくて、今日“も”でしょ? いつもそうなんだから……」
「そんなに心配しなくても他の誰かに取られたりしないって」
「ば、ばか大和……何言ってるの……心配とか、してないし……」
……と拗ねたように言いながら彼女が腕を取ってきた。
ふわりと甘いフローラル系の香りが鼻腔を擽る。
同時に、周囲の連中から種々の感情が入り混じった視線が突き刺された。
俺は頭が良くて、運動ができて、顔が良くて、コミュ力もある。
これまでもそのステータスの高さで色んな嫉妬を買ってきた。
けれど、西園寺聖奈と付き合っているという点で受ける妬みはその比じゃない。
アイドルや女優と比較しても遜色のない整った愛嬌のある顔立ちに、明るい色味のフワっとしたロングヘア。
出るところは出て、締まるところは締まった理想的なスタイル。
そして、それだけ高い魅力を持ちながら全く鼻にかけない嫌味のない性格。
おまけに父親は有名な弁護士事務所の共同代表で、母親は遡れば時の大名だか将軍にも繋がる良家の出自らしい。
まさに理想の女子という言葉を現実世界に具現化したような存在だ。
そんな彼女を恋人にしている以上は、多少の妬みや嫉みは仕方ないと甘んじて受け入れるしかないだろう。
「……で、今日はどこ行くんだっけ?」
「も~……いつものメンバーで一緒にカラオケ行くって約束してたでしょ」
「あー、そうだったな。んじゃ、行くかー」
聖奈に腕を組まれながら階段を降りて、昇降口へと向かう。
放課後の昇降口は大勢の生徒たちでごった返していた。
俺たちみたいに複数人で遊びに行こうとしているグループから既に練習着に着替えている運動部組に、ぼっちで黙々と帰り支度をしている奴らまで多種多様だ。
その中に、今から一緒に遊びに行く予定の二人組の姿も見つけた。
「おせぇぞ、大和」
「ほんとに遅すぎ。何してたの」
二人は俺たちの姿を視認すると、少し不機嫌そうに歩み寄ってきた。
ワイルドに髪の毛を立てている若干ヤンキー風味のある男の方は高原竜二。
知り合ったのは高一の時で、男子の中でも特に気を使わなくていいのが楽でよくつるんでいる。
見た目通りにノリは良い奴だけど、見た目通りに頭の方はあまり良くない。
どうやってこの学校に入学出来たのかは、学年七不思議の一つでもある。
もう一人のアシンメトリーなセミショートの女子は一ノ瀬凛。
聖奈と同じく小学校からの付き合いで、もう一人の幼馴染。
その気風の良い性格と中性的な見た目で、中等部を含む後輩女子にモテている。
去年のバレンタインにはそこらの男子よりも多くのチョコをもらったらしい。
「悪い悪い。俺ってば今日も人気者すぎて……でも、そんな急がなくてもカラオケは逃げないだろ」
「ところが学割は十七時入店までだから早くしないと逃げるの!」
凛が学割クーポンを表示させたスマホを画面を見せながら言う。
「あー……なるほど。それは盲点だったわ」
「何、その『俺らは金に困ってないし、たかがカラオケの三割引きとドリンク無料くらいどうでもいい』みたいな態度」
「んなこと、一言も言ってないだろ」
「言ってなくても滲み出てんの! 全身から! お坊ちゃんオーラが!」
「分かった分かった。てか、そのクーポンって五人までって書いてるじゃん。せっかく使うんなら後一人、誰か誘わねーの?」
ともすれば場の空気を悪くしかねない話題を切り替える。
個人のステータスと違って、家の金持ち自慢は鼻につきやすいからな。
「誘うって誰を?」
「誰でもいいだろ。適当に声かければ一人くらい来るって」
「まあ、呼べば来そうなのは何人かいるだろうけど……」
学内に一軍グループは複数あれど、この四人グループはある種の聖域と化している。
そこにお近づきになりたいと思ってる連中は大勢いる。
今からでも声をかければ、他の予定を放ってでも来るだろう。
「それなら……確か、さっき廊下の先にいたから……あっ、いたいた!」
俺の言葉を聞いて、聖奈が辺りをキョロキョロと見回す。
そして、誰かの姿を見つけると――
「白河さーん!」
その人物の名前を大声で呼びながら駆け寄っていった。
下駄箱の近く、一人で帰宅しようとしている女子生徒。
周囲には、誰も寄せ付けない氷のような空気が漂っている。
誰でもいいって、そういう意味じゃないんだけどな……と、内心で呆れる。
声をかける相手が、よりによって白河真白かと。
「……何?」
聖奈に呼び止められた女子は、対照的な起伏のない声で返答した。
腰くらいまでストンと落ちた長い黒髪に、化粧っ気の少ない顔立ち。
そこに浮かぶ真っ黒な瞳は睨みつけるという程ではないが、あまり友好的でない感情を浮かべて聖奈を見据えている。
「今からみんなで一緒にカラオケ行こうって話してたんだけど、良かったら白河さんも――」
「行かない。忙しいから」
聖奈が要件を伝えきるよりも先に、断固たる拒絶の意思が返ってくる。
ほら、言わんこっちゃない……。
「そ、そっか……でも、みんなで一緒に行ったら絶対にたのし――」
「行かないって言ったんだけど、聞こえなかった?」
「そ、そんなこと言わないでさ……せっかく一緒のクラスになったんだから……」
かなり強い言葉で拒絶されても、諦めずに誘い続けている聖奈。
クラスの中でも付き合いが悪すぎて浮いてる彼女をどうにかしたい。
きっと、そんな善意からの行動なんだろうけれど――
「お~い、西園寺聖奈さ~ん。白河さんをあんまり困らせるなよ~」
ともすれば何かしらの導火線に点火しかねない状況に、戯けながら割り込む。
「ごめんな、白河さん。うちの聖奈がしつこくて。ほら、聖奈も」
「ごめんなさい……」
「別に謝ってもらうほどのことじゃないけど」
俺に促されて謝った聖奈に、白河さんが抑揚のない声で言う。
友好度は相変わらずのゼロ。
もしこれがゲームなら好感度の低下を示す不快なSEが鳴りまくってそうな状況だ。
「でも、本当に仲良くしたかっただけだから……」
「そう」
「だから、今度都合が良い時があったらでいいから遊ばない?」
「……気が向いたらね」
尚も食い下がる聖奈に軽く塩対応して、それ以上は何も言わずに彼女は去っていく。
白河真白――成績優秀な優等生で、俺がこの学校で唯一学力面では明確に後塵を拝している相手ではあるが……。
「あれじゃ、この先の人生は苦労するだろうな……」
その性格面や振る舞い面での難を、誰にも聞こえないようにボソっと呟く。
「大和、何か言った?」
「いいや、何も。それより時間もないし、今日はこの四人にしとくか」
言いながら、ふと振り返ると白河の寂しげな後ろ姿が見えた。
その風にたなびく長い黒髪を、何故か自然と目が追ってしまう。
この時の俺はまだ、彼女によって自分の人生が破滅させられるなんて思ってもいなかった。




