最終話 初恋の行方②
パーティーから一夜明けてクラリッサとフロレンツがシャンタルの出発前に挨拶に向かうと、彼女は得意気な笑みをクラリッサへ向けた。
「わたくし、こう見えて鋭いのよ。クラリッサが勘違いしてるのはすぐにわかったわ。だから一緒に入場してあげるって申し出たの」
「へ?」
「だってフロレンツ殿下ときたら、クラリッサが他の殿方に取られちゃうってすごく心配してらしたのよ? それでもし貴女が勘違いしてるなら、他の殿方の手を取ってしまうかもしれないじゃない」
クラリッサはフロレンツに想いを伝えたあと、なぜ誤解が発生したのかについて話をしていた。
フロレンツが言うには、クラリッサがフロレンツの婚約者として申し分のない人物であることを、先に公の場で証明したかったのだという。
伯爵位に返り咲いたばかりの家の出身で、まともな教育も受けていない娘……と言われるのを避けるために。シャンタルの心を掴み、グラセアとの国交強化を勝ち取る才覚を持っているのだと理解させるために。
お互いの気持ちを確かめるのはその後でいい、と考えたのは失敗だったと笑っていたけれども。
「ロイヤルパーティーでは、リサはフリーな立場だったから。五名家で、かつまだ確固たる立場を築いていない家の娘がフリーなんて、腹をすかせた狼の群れにウサギを放り込むようなものだ。
だが、彼女が勘違いしてるとわかってたなら先に指摘してもらいたかったものだけど」
「あら。わたくしはフロレンツ殿下がオロオロするところが一番見たかったのよ?」
鈴が鳴るようにコロコロと笑うシャンタルに、フロレンツが肩をすくめて見せる。
「せめて、グラセアとの文化交流のアンバサダーを任される件は言ってほしかったんですけど。びっくりしてすごい焦ったんだから」
クラリッサが頬を膨らませて見せると、シャンタルが申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさいね、それはわたくしが言わないようお願いしたの。国を背負ってるだなんて堅苦しい意気込みで話し相手をしてもらっても楽しくないじゃない?」
(これもある種の王族ムーブだよね……)
悪気なく人を振り回すのは王族の得意とする必殺技だ。クラリッサは痛みを感じ始めたこめかみを揉みほぐす。
「まぁ、最後にリサをフォローしてくださって助かりましたよ」
「友達ですもの。ああでも、殿下のあのとびっきりの作り笑いはもういらないわ。無理に笑っていただかなくても、友達なら怖くないから結構よ」
「……なら早く言ってくれ。おかげで顔面が筋肉痛だし、リサに誤解を与えた」
クラリッサは以前、フロレンツがシャンタルに砂糖の蜂蜜漬けみたいな甘い笑顔を向けていたのを思い出した。
どうやらあれは作り笑いで、しかもシャンタルは知っていたらしい。クラリッサは見抜けなかったことに少なからずショックを受けた。
「だから、わたくしは殿下の困ったところが見たいって言ったでしょう? ……ん、そろそろ時間かしら。次はふたりでグラセアにいらしてね」
「はい、是非」
出発の準備が整ったという報告を機に、グラセアの一行はバタバタとウタビアを発った。
ただ最後にサディクが挨拶しようとするのをフロレンツが遮って、シャンタルが腹を抱えて笑っていたのが、クラリッサにはやはり理解が追い付かなかったのだが。
◇ ◇ ◇
王との謁見にはまだ十分に時間があったため、クラリッサとフロレンツはしばしサロンで休息をとることにした。
ふたりの婚約に関して、クラリッサの両親ボニファーツとロッテには、昨夜のうちに話をしてある。
一国の王子との婚約について、両親に不安はあっても異を唱える理由はないため、話し合いというよりは報告に近い。
ただ、アルノーとの婚約に最も責任を感じていたロッテは、体中の水分を絞り出したのじゃないかと思うほど号泣していた。
確かにロッテにそっくりだったからこそクラリッサのところにアルノーからの縁談が舞い込んできたわけだが、そのおかげでアイヒホルンは生き長らえたのだから結果オーライだとクラリッサは考えている。
「お父様! ヴァルター!」
ノックもせずに部屋へ飛び込んできたのはシュテファニだ。背後に慌てる侍従の姿がある。制止を振り切って扉を開けたのだろう。
腰から下のボリュームが控え目で足首にも届かない丈のシンプルなドレスは仕事用で、今日もつい先ほどまでは忙しく働いていたらしいことがわかる。
「あれ。クラリッサ、フロレンツ? やだ、部屋を間違えてしまったみたい」
「どうしたの、そんなに慌てて?」
「あのね、ヴァル、ヴァルターが父を尋ねていらしてサロンで話をしているみたいなのだけど、わたしまで呼び出されたのよ。どういうことかしら、何か知っていて?」
いつも比較的冷静で物事を論理的に考える傾向の強いシュテファニが、焦っている。背後の侍従のひとりが、シュテファニの行くべき部屋は隣だと訴えているが聞こえていないらしい。
乱れた黒髪が、走って来たシュテファニの首に一筋張り付いているのが色っぽくて、クラリッサはつい目を逸らした。
「んーちょっとわかんないかなー」
「そうだね、俺もわからない」
「悪い話じゃないといいのだけど……! ちょっと行ってくるわね」
また走り出したシュテファニの背中に、クラリッサはゆるゆると手を振る。隣の部屋にたどり着くにはもう少しかかりそうだ。
「準備は整ったって感じなんですかねぇ、フロレンツさん?」
「そうでしょうねぇ、クラリッサさん」
バジレ宮では絵を描くよりも法の勉強をしている時間のほうが長かったヴァルターが、ついに動き出したのだ。
立法府の長であるローゼンハイム公爵に、一人娘と結婚したいと申し出るのはかなりの勇気が必要だろう。
「上手くいくといいねぇ」
「ヴァルターの初恋だからなぁ」
「シュテファニの初恋でもあるでしょう」
(私も初恋なんだけど)
ちらりと見上げたフロレンツは、すでに閉まった扉を楽しそうに眺めている
(たぶん、フロレンツの初恋も私だった、はず)
彼の話をすべて鵜呑みにするならきっとそうに違いない。そう思うと嬉しくて照れくさくて、一層フロレンツが愛しくなって、クラリッサもまた口元に弧を描いた。
「ロベルトもそうだったね」
「カトリンもだよ」
「……ヨハンも恐らく」
「でもアメリアは違うね、フロレンツ信者だったもんね」
「いや、それはグンターに言われてたからでしょ」
フロレンツの提案するその可能性は斬新なようで、しかしどこか信憑性もあってクラリッサの好奇心を刺激した。なるほど、アメリアの初恋も本当は。
それは是非とも本人に聞いてみたいところだ。素直に教えてくれるとはとても思わないけれども。
「じゃあ、みーんな初恋が叶うかもしれないんだね! こんな奇跡そうそう起こらないよ」
「みんな?」
「みんな! ……じゃないの?」
顔をあげてフロレンツの表情を覗き込んだ。意地悪な笑みの奥の本心は全く読めない。
(えっ! フロレンツの初恋の相手、私じゃないやつだこれ? 自意識過剰すぎた!?)
どうしようどうしよう、と隠れる場所を探して辺りを見回す。自惚れ屋が恥をかいて赤面する様を、フロレンツに見られたくない。
が、応接用のサロンに身を隠すような場所などがあるはずもなく、クラリッサは頭を抱えた。
(逃げるしかない……っ!)
フロレンツの視線があまりにも刺さり過ぎるため、クラリッサはついに現場からの逃走を決心した。
ほとぼりが冷めるまでは木の上にでも隠れておくべきだ。そしてどうか謁見の時間までには全て綺麗さっぱり忘れてくれていますように!
「どこに行くの」
勢いよく立ち上がり、出口へ向かって走り出したはずのクラリッサの身体は、掴まれた腕に引っ張られて進行方向とは逆側に倒れてしまった。
温かくて大きな腕の中に包み込まれる。
「誰もいないどこかに」
「許さないよ。やっと誰もいない場所から連れて帰って来られたのに」
フロレンツがクラリッサの耳元で囁いた。優しいのにどこか有無を言わせない声音だ。
熱っぽい吐息が耳にかかるたび、クラリッサは全身が痺れるような感覚に襲われた。
「フロレンツっ……」
「俺達の初恋を叶えよう、リサ」
首だけで振り向くと、目を逸らすこともできないほどの近さにフロレンツの綺麗な紺碧の瞳があった。
鼓動が早まるのに比例して呼吸が浅くなる。
「じゃ、やっぱりフロレンツの初恋――」
息も絶え絶えに、けれどもなんでもないフリをしようとして発した言葉は、フロレンツの唇が塞いでしまった。
微かに濡れた音をたてながら離れた形のいい唇を、クラリッサは真っ白な頭で見つめる。
「愛してる、リサ」
一瞬前に漂っていた妖艶さは和らいで、ただただ優しい笑みがそこにあった。クラリッサも頷いて、その胸に頭を寄せる。
「私も」
耳に届くフロレンツの鼓動は、クラリッサのそれと同じ速度で音をたてていた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:アイヒホルン伯爵家の長女。フロレンツが好き。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。クラリッサが好き。
●シャンタル:ウタビアの隣国グラセア王国の王女。男嫌い。
●サディク:=サディア。シャンタルを守る近衛騎士副隊長。
●シュテファニ:ローゼンハイム公爵家一人娘。全貴族の憧れ。ヴァルターが好き。
名前だけ登場の人
●ヴァルター:ペステル伯爵家長男。のんびり屋さん。シュテファニが好き。
●カトリン:オスヴァルト伯爵家末女。もちもち。空気読めない。ロベルトと婚約。
●ロベルト:エルトマン公爵家長男。空気読める系男子。カトリンと婚約。
●ヨハン:ハーパー家次男。本の虫。アメリアが好き。
●アメリア:ギーアスター元伯爵家長女。父を見限ってクラリッサ派に。実はヨハンのことが……?
今回登場用語基礎知識
●グラセア:隣の国だよ!
●立法府:現在はローゼンハイムが大臣。主として法を定立させるのがお仕事。
【あとがき】
最後までお読みいただきありがとうございました。
ふと、「兄弟姉妹」を表す言葉って外国にはあまりないのだよな、と思ったところから始まった物語です。
それがこんな広がり方をするとは思いませんでしたが、書いていてとても楽しかったです。
クラリッサとアメリアが遠い親戚で、瞳の色が同じであることは、アメリアがいずれアルノーのもとに嫁ぐかもしれない世界線があった名残りです。
他にもいくつか「こうだったかもしれない世界線」の名残りがそのまま残っていて、まるでフラグのように読んだ方を惑わせてしまっているのが申し訳ないなと思いますが、ご愛嬌ということでひとつ。
序盤から登場人物がテンコ盛りで、大変失礼しました。
彼らは誰ひとり欠けてはいけないキャラクターですが、情報の波がすごかったですよね。
それを緩和する苦肉の策として、毎話あとがきに登場人物紹介を載せることにいたしました。情報を更新するたびに気づいてくださる方がいて、それも嬉しかったです。
そのあたりの反省も次回作への糧にしていきたいと思います。
ありがとうございましたー!




