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第84話 真実は幻と策略の裏④



 クラリッサはわけもわからず手を引かれるままにフロレンツについて行ったが、ホールへ入っていくつかの視線に晒されると、さすがに耐えられなくなった。


「ちょ、離してください」


 こんな、まるで修羅場みたいな状況をシャンタルに見られるわけにはいかないのだ。みたいなというか、もはや修羅場ではあるのだが。主にクラリッサの心の内が。


 だというのにフロレンツは周りの様子など全く意に介さないまま、真っ直ぐに歩いて行く。会場のざわめきは波のように隅々まで行き届いたらしい。ふたりを見る目がどんどんと増える。


 フロレンツが立ち止まったのは国王陛下の前だった。

 楽しく踊っていた人々もまた動きを止めて、フロレンツとクラリッサの動向に注目し始めた。ただ楽団の奏でる音楽だけが鳴り響く。


 陛下の御前とあって跪こうとしたクラリッサを、フロレンツが腰から抱えてそれを阻止した。

 腹話術の人形になったような気分だ。


「父上。俺はあなたが俺に期待したこと、たったひとつを除いてすべて達成したつもりです」


「……達成できたかどうかはさておき、残るひとつはどうする」


「その承認をいただきに来た。王族としてふさわしい伴侶を得ること……俺はこのクラリッサ・アイヒホルンを伴侶として迎えたい。あなたの承認さえあれば残るひとつも達成することになります」


 クラリッサは耳を疑い、フロレンツを仰ぎ見た。が、思っていた以上にその綺麗なご尊顔が近くにあったため、慌てて顔を逸らす。


(私? を、伴侶に……って言った、この人?)


 完全なパニックだ。一体何がどうしたらそういう話になるのだろうか。

 今日はシャンタルとの婚約を発表して両国の固い絆に乾杯する日ではなかったのか。


 父子の睨み合いが恐ろしくて、指先の一本にいたるまで動かせそうにない。クラリッサはただ静かに深く息を吸いながら、何かの間違いであることを祈った。


「承認がなければ?」


「永遠に達成されないだけですね」


(いやちょっと待って欲しい)


 王族が伯爵令嬢ひとりに固執して結婚しないと言いだすのは、クラリッサには荷が重い。王陛下の視線も周囲の視線も、ジリジリと肌を刺すように感じられる。


 そもそも前提がおかしい。だからどうしてクラリッサなのだ。


「待って、待ってください。どういうこと? 一体なんのお話をなさってるんですか」


 重圧に耐えきれず、クラリッサは思わず口を差し挟んでしまった。

 これは不敬にあたるかもしれないが、何もわからないまま人生が決められるのは嫌だ。さらに、何もわからないままここにいてはいつかフロレンツの足を引っ張るかもしれない。クラリッサにとってそれはもっと嫌なことだった。


「アハハハハ!」


 重苦しい空気を破ったのはハインリヒの笑い声だった。誰もが一斉に王太子を見る。


「おい、クラリッサは何も知らないじゃないか。フロレンツ、おまえ騙して連れて来たのか?」


「違う」


 意地悪な笑みを浮かべるハインリヒに、フロレンツが面倒くさそうに答えた。クラリッサの耳には舌打ちも聞こえた気がしたが、気のせいということにした。


「では俺が代わりに説明してやろう。フロレンツは恥知らずにも公務をなおざりにして方々にふらついていた時期があってね」


「兄上」


「それがある日、ゲシュヴィスター制度の研究がしたいと言いだした。当然、俺も父上もハイソウデスカと頷けるわけがない」


 フロレンツが不良だったという話は、クラリッサもちょこちょこ耳にしている。確かに問題児が殊勝なことを言いだしても俄には信じられないだろう。


 ハインリヒの語りはより滑らかになり、フロレンツは制止するのを諦めてしまったようだ。


「そこで父上が条件を出した。ひとつはグラセアとの国交強化。ひとつは良からぬ方法で私腹を肥やす貴族がいるという噂の調査、そしてもうひとつが国益をもたらす結婚だ」


 会場内がざわつく。

 良からぬ方法で私腹を肥やす貴族の存在を、一体どのようにして王家が知ったのか。彼らの興味はそこにあるらしいことが、クラリッサの耳に入る小声から推測できた。


 だがそれを気にする人物は腹に一物あるに違いないのだ。

 焦る顔を覚えておいてやろうとクラリッサが周囲を見渡したとき、フロレンツもまた同じように鋭い視線を周囲に投げかけていたため、クラリッサは任せることにした。


 今は脳みそのキャパシティーをハインリヒの説明に全て使いたい。


「で、フロレンツは『全て必ず達成させるから先にバジレ宮の利用許可をくれ』と言った。……覚えてるかフロレンツ? 『永遠に達成されない』はナシだ」


(どうしてこうなったかはわかったけど……どうして私なのかがわからないんですが)


 ハインリヒの意地悪で丁寧な説明をもってしても、クラリッサはいまいちスッキリしない。ムゥ、と鼻に皺を寄せた時、つい先ほどフロレンツの言った言葉が思い返された。


 ――先に言っておくけど、俺は君を愛してる。それだけ信じてついて来て。



「父上がうんと言えばなんの問題もなく全て達成です、兄上」


(ええと、つまり)


 シャンタルは本当にただ国交の強化のためだけに来た、フロレンツの友達という理解で間違いないのだろうか。

 フロレンツが好きなのは……。


 そこまで考えて顔に熱が集まり始めたとき、低く重い声がクラリッサの名を呼んだ。


「クラリッサ」


 慌ててフロレンツの手から身体を離し、跪く。


「はい」


「……立派になったな。孤児院でのそなたの活躍は聞き及んでおる。大儀であった」


「勿体ないお言葉です」


「此度はグラセアとの文化交流まで担ってもらい助かっている」


 クラリッサは一層頭を下げた。

 次の言葉はなんだろう。「だが認められない」だったらどうすればいい?


 この状況はまだ全く理解も実感も無く、まるで夢か幻を見ているような気分だ。

 夢や幻であったとしても、フロレンツが伴侶にと選んでくれた事実が少しずつクラリッサの荒れていた心を包み込んでくれる。


 それと同時に、国王の次の言葉を聞くのが怖くなっている。

 目の前に突如現れた幸せが、またふいにどこかへいなくなってしまうような感覚。


 震えるクラリッサの横でフロレンツが跪く気配があった。左の腿に乗せた左手に、隣から伸びてきたフロレンツの手が重ねられる。温かくて大きな手だ。


 少しだけ、クラリッサの震えが和らいだ。



今回登場人物紹介

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正し、積年の想いをどうにかするため暗躍中。

●クラリッサ:アイヒホルン伯爵家の長女。制度改革にも恋にも全力で取り組みたい所存……だが暗雲たちこめ中。

●王様:王様。

●ハインリヒ:ウタビア王国王太子。フロレンツの兄。


名前だけ登場の人

●シャンタル:ウタビアの隣国グラセア王国の王女。男嫌い。


今回登場用語基礎知識

●グラセア:隣の国だよ!

●ゲシュヴィスター制度:兄弟姉妹制度。5~10歳の同年代の貴族の子が集まり基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的。

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― 新着の感想 ―
[一言] >●王様:王様。 クリスティア・ファビアン・ヒュフナー「名前がある分ワイらのがマシやな」
[良い点] 陛下、わかっておりますね? __(⌒(_ ´-ω・)▄︻┻┳══━一 国益のある結婚……。 クラリッサとシャンタルを近づけたのって、そういう事かっ!
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