第83話 真実は幻と策略の裏③
(申し訳ないけど、暗がりに助けられたな)
王城の庭は明かりが煌々と点る場所とそうでないところの差が大きい。だからクラリッサは庭に出ても奥には行けず、フロレンツは彼女をすぐに見つけることができた。
ヴァルターに教えられて庭に来てみれば、クラリッサは片隅で花壇を眺めていた。広い花壇には数え切れないほどの種類の植物が、数え切れないほどの花をつけている。
フロレンツに花の種類はわからないが、クラリッサはきっと知っているのだろう。以前にもバジレ宮のバルコニーからしげしげと花を見つめていたのだから。
「主役がこんなところで何をしてるの」
フロレンツが声を掛けると、クラリッサは驚いたように振り返った。いつもよりしっかりと化粧が施されているのか、その可愛らしさは普段の二割増しだ。
「主役はシャンタル殿下でしょう」
「表向きはね」
すぐに背を向けてしまったクラリッサに、フロレンツはなんと声をかけるべきか考えあぐねた。
様子がおかしいのは明らかだが、彼女がストレートに聞いて素直に回答する人物ではないことくらい、フロレンツも理解しているつもりだ。
「気のせいならいいんだけど、もしかして昨日泣いていた?」
心当たりを探ろうとしたところ、いきなり正解付近を踏み抜いたらしい。クラリッサが息を呑む気配に、自分の失敗を悟る。
だったら昨日、もっと彼女の話を聞いてやるべきだった。忙しいからと言って優先順位を見誤ってしまった。
「どうしてここに?」
クラリッサが何を考えているのか知りたくて、次々と質問を重ねてしまう。ただ体を固くするばかりで言葉を発さない彼女に、フロレンツは拳を握る。触れることが躊躇われるから。
「怒ってる?」
「いいえ」
「なんでこっちを見ないの」
深呼吸するクラリッサの肩が上下して、震える息を吐き出した。
フロレンツは何も教えてもらえないことに腹を立てていた。それだけの信頼も築くことができなかったのだろうかと。
「……フロレンツはすごいですね」
「は?」
「言った通りでしょう? あなたならひとりで大丈夫だって」
それは12年前、クラリッサがバジレ宮から出て行くときにフロレンツに投げかけた言葉だ。
どうしたらいいのかと泣きついたフロレンツに、クラリッサはそう言った。
だがそれは大きな間違いだ。
アイヒホルンを助け出すにも、国に巣食った膿を綺麗にするのも、隣国との国交を強化するのだって、全てクラリッサの協力が無ければできなかった。
なんなら、ここまで生きてこられたのだってクラリッサのおかげだというのに。
「言ったはずだよ、君がいないと駄目だって」
「それは昔の話。あれから私がいなくても大丈夫だったし、これからあなたを支える人は他に――」
「どういう意味?」
いつまでもこちらを向かないクラリッサの瞳から、何か光るものが落ちたように見えた。
目の前にいるはずの彼女が急にどこか遠くへ行ってしまうような気がして、フロレンツは思わずクラリッサの手をとった。
「さあ戻ろう」
「いやです」
「何かあった? 誰かに嫌なことを言われたとか、サディクが何かした?」
仕方がないこととはいえ、クラリッサがサディクにエスコートされる様を見るのは腹が立った。軽口を叩いて笑い合うのも。
最後に入場すれば彼女が他の男たちに囲まれずに済むと言ったのはシャンタルだ。サディクがボディガードを兼ねられる、とも。
そのボディガードにまでヤキモチを焼く自分が情けないのだが。
(いや、クラリッサの耳元で何か囁いたのは許さない、絶対に)
そんな状況でもフロレンツを落ち着かせてくれたのは、クラリッサの首にかかるネックレスだった。
いくつか贈ったアクセサリーの中で、クラリッサが同じものばかりを身に着けるようになったのはいつからだっただろう。
そして、それが自分の瞳の色と同じものだと気づいたとき、どれだけ嬉しかったことか。例え勘違いでも、自惚れでも、彼女が自分の色を身に着けているのが、フロレンツには気持ちがよかった。
ここ最近、クラリッサの様子がおかしいとかよそよそしいと思うことは何度かあったが、首にかかるタンザナイトがフロレンツを油断させていた。
(失敗その2か)
「いいえ、何もありません」
「……ドレスもアクセサリーも、日々ちょっと迷う程度には贈ったつもりだ」
「え? あ、はい。私にはもったいない素敵なものが衣裳部屋から溢れそうなほど」
「でも君はいつも、今日も、そのネックレスをつけてる。だから俺は――」
自惚れていた。フロレンツがそう続ける前に、クラリッサが勢いよく振り返った。目にいっぱいの涙を溜めて。
「さっきからなんなんですか! 私のことなんて放っておいて早く会場に戻ってください。今夜は婚約を発表するんでしょう?
いつまでも主役を放っておいて私なんかを構っていたら、国交強化だって白紙になっちゃいます! 私はあなたの足を引っ張りたく……な……から……」
一息に叫ぶ言葉は少しずつ勢いを失って、最後にはほとんど声になっていない。大きな目の端からぽろぽろと涙がこぼれるのを、フロレンツはなんとなくもったいない、と思った。
「わかった」
フロレンツがひねり出した言葉は、自分で驚くほど冷たく響いた。怖がらせてしまっただろうか、クラリッサがぎゅっと目を閉じる。
だがフロレンツは自身に腹を立てている。
忙しさにかまけてクラリッサをちゃんと見ていなかった。たくさんの誤解が生じていることに気づけなかった。言葉が足りていなかった。油断して、そしてクラリッサに甘えていた。
(結局俺は失敗ばかりだ……)
「すれ違いが多すぎることがよくわかった」
「へ?」
クラリッサの手首を握るフロレンツの手に力がこもる。
「先に言っておくけど、俺は君を愛してる。それだけ信じてついて来て」
「は?」
クラリッサの理解は待てない。
真に理解してもらうには一から長い長い説明が必要だ。そんな時間は、あとでたっぷりとくれてやる。
だからまずは、その時間を共有してもらえる立場になりたい。失敗を弁解できる身分が欲しい。
フロレンツは半ば強引にクラリッサを引っ張って会場に戻った。
スムーズとはとても言えなかったが、しかし大きな抵抗もないままフロレンツの背後をついて来るクラリッサに、フロレンツはひとつだけ安堵の溜息を吐いた。
今回登場人物紹介
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正し、積年の想いをどうにかするため暗躍中。
●クラリッサ:アイヒホルン伯爵家の長女。制度改革にも恋にも全力で取り組みたい所存……だが暗雲たちこめ中。
名前だけ登場の人
●シャンタル:ウタビアの隣国グラビア王国の王女。男嫌い。
●サディク:=サディア。シャンタルを守る近衛騎士副隊長。




