第81話 真実は幻と策略の裏①
(可愛いのでは??)
クラリッサは鏡の中の自分を心で褒め称えた。ついでに二回ほどターンもした。
バジレ宮で暮らすようになってから、クラリッサの見てくれは劇的に変わっている。手練れの侍女による日々のマッサージやトリートメント、それに厳しいダンスのレッスンがクラリッサを変えた。
だからこそ、飾り気のないシンプルなAラインのドレスを着こなすことができるのだろう。シャンパンゴールドでも膨張して見えないかと心配しなくていいのが気持ちいい。
フロレンツから贈られた最後のドレスだ。まさかこのドレスを作り始める前から、シャンタルと一緒に入場すると決まっていたわけではないだろうに、王女殿下と並んでも目立たない絶妙なデザインとカラーだと思う。
「お綺麗です、お嬢様」
鏡に映るクラリッサの背後でカルラが微笑んでいる。娘を見るような優しい瞳に、クラリッサは振り返って笑った。
「ありがとう。ねぇ、お父様たちが本格的に王都へ戻ってきたら、貴女はどうするの?」
ロイヤルパーティーのあと、クラリッサの両親は一度、男爵領に戻る予定になっている。
領地経営を執事のヤーコプに代理人として任せた上で王都に居を移すのだ。
クラリッサもまた、家族が王都へ移住するタイミングでバジレ宮を出るつもりでいる。
きっと多くの侍従が必要になるだろう。本人が希望するならば、かつての侍従を呼び戻したいとも考えている、と父ボニファーツが言っていた。
「どうでしょう。私がここへ呼ばれたのはフロレンツ殿下のお声がけだったんですよ。きっとまた、殿下が何かおっしゃることでしょう」
「そうだったの」
フロレンツがこれから何と指示するかなどクラリッサにはさっぱりわからないが、カルラをバジレ宮へ呼んでくれたことには感謝しかない。
カルラがいたから初日の不安が少し和らいだし、暗闇の恐怖に襲われることなく夜を迎えられたのだから。
けれども同時に、クラリッサの心はちくりと痛む。これから先、フロレンツの優しさに触れることはもうないのだろう。
伝えようと思った矢先に、伝える相手がいなくなってしまったためにこの気持ちを持て余してしまう。
「さあ、そろそろ迎えが来ます」
「そうね、急がなくちゃ」
お気に入りのタンザナイトのネックレスは、1時間悩んだがやっぱり身に着けることにした。
◇ ◇ ◇
本城へ到着すると、クラリッサはシャンタルの控室へと連行された。シャンタルは来賓であり、会場へ入るのはウタビアの王族よりもさらにあとだ。
来てくれてありがとうとはしゃぐシャンタルの傍に、いつもいるはずの近衛の姿が見当たらない。
彼女たちがシャンタルから離れたところを見たことがないので、クラリッサは少々違和感を禁じ得ないが、彼女たちにも準備があるのだろう。
「クラリッサは好きな男性にエスコートをお願いしたりしていなかった? 邪魔をしてしまったのではないかって、そればかり心配で」
「元々エスコートの予定はありませんでしたから」
不安げなシャンタルに気にしないよう伝えると、彼女は花が綻ぶように笑った。
(かなわないなぁ……)
同じことを今までに何度思っただろう。ころころと変わるシャンタルの表情を見るたびに、クラリッサは心の中で盛大に白旗を振る。
彼女はクラリッサのように曖昧な笑顔を多用したりはしない。いつだって素直に感情を表現しているのだ。それが許される立場と、フォローできるコミュニケーション技術が羨ましい。
シャンタルに勧められるままにソファーへ座り、用意されたお茶に手を伸ばした。
今まで勉強会の合間に何度となく繰り返して来た、友人同士の気軽なお茶会が始まる。ファッションや流行のお菓子や共通の知人の話題で盛り上がる楽しいはずの時間だ。
「――それでね、フロレンツには昔から仲良くしていただいてたのだけど、一時期ちょっぴり生活が乱れたでしょう、あれから疎遠になっていたの。だからお手紙をいただいたときはとても嬉しかったわ」
「そうですか」
クラリッサがシャンタルとのお茶会を心から楽しめないのがこれだ。
共通の知人の筆頭はフロレンツであり、彼の話題は必然、多くなる。
「しばらくはお手紙でやり取りをしていたのだけど、こうして一緒に過ごす時間を持てるなんて」
手紙と言えば、いつだったかフロレンツの部屋でグラセアの紋章が刻まれた封書を見た覚えがある。ふたりは手紙を通して愛を育んでいたんだろうか。
本命が傍にいないのをいいことに、フロレンツへ恋心を抱くばかりか、彼の気持ちが自分にあるのではないかと期待した自分の浅ましさがほとほと嫌になる。
浅ましい考えは早々に捨てておけと一番初めに釘を刺されていたのに!
クラリッサがベチベチと自分の頬を叩きたい衝動に駆られたとき、室内にノックの音が響いた。
「殿下、そろそろご準備を」
入って来たのは男性の近衛騎士が2名だ。
「ありがとう。クラリッサ、今日あなたのエスコートを務める副隊長のサディクよ。こっちはバーキル、近衛騎士隊長」
「えっ?」
「普段は女性の振りをしてもらってるの」
隊長はハーキマ、副隊長はサディアのはずだ。
ふたりとも背が高く妖艶な妖精だと思っていたのに、目の前にいるのはどう見ても男性で、礼装用の騎士服に身を包んでいる。
だが確かに彼らの笑顔には見覚えがあった。
「ええ……」
美女が化粧を落としたら美丈夫になるなど、誰が想像しようか。クラリッサとしては女としての自信を無くしてしまうので本当にやめてもらいたいと思う。
「さ、行きましょう」
ローブを脱いだシャンタルが纏うのはセパレーツ型のドレスで、グラセアの民族衣装の雰囲気を大きく残している。
髪と口元を覆うシフォン素材の薄く豪奢な布でできたベールもまた、グラセアの古い伝統を受け継いでいる。
この文化は既に廃れたものだが、男性が苦手なシャンタルにとって公の場に出るには必需品と言えるアイテムなのだと、クラリッサも以前聞いたことがあった。
シャンタルが動くたび、手首や足首につけたアクセサリーがシャラシャラと涼し気な音を奏でる。
騎士隊長バーキルの、シャンタルに向けた熱っぽい視線を冷ますみたいに。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:アイヒホルン伯爵家の長女。制度改革にも恋にも全力で取り組みたい所存……だが暗雲たちこめ中。
●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。
●シャンタル:ウタビアの隣国グラセア王国の王女。
●ハーキマ:シャンタルを守る近衛騎士隊長。
●サディア:シャンタルを守る近衛騎士副隊長。
名前だけ登場の人
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正し、積年の想いをどうにかするため暗躍中。
●ボニファーツ:アイヒホルン伯爵家当主。クラリッサの父。最近文部省大臣に就任した。
今回登場用語基礎知識
●グラセア:隣の国だよ!




