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第78話 自由恋愛は難しい④



 クラリッサは視界がグラグラと揺らぐのを、ほんの少しだけ残された負けん気でどうにか耐えた。


「クラリッサ、彼女はグラセアの教育について手直しの必要性を感じているんだ」


 フロレンツの言葉にクラリッサは躊躇いながら頷く。

 リサではなくクラリッサと呼ばれることに、これほど心臓が渇いたようになるとは思わなかった。


 クラリッサの焦燥に全く気づかないまま、フロレンツはシャンタルに向き直って微笑む。それはとっておきのデザートを前にした子どものようだ。


「ウタビアの教育制度についてはクラリッサとその一族が最も詳しい」


「あら。でもフロレンツ殿下も教えてくださるんでしょう?」


「もちろん」


 二羽の蝶が着かず離れず舞い遊ぶような会話が目の前で繰り広げられる。


(結婚に前向きって、こういう――)


 クラリッサはストンと腹に何かが落ちるように理解した。自分がこのバジレ宮へ呼ばれた理由も、最初にグラセアの言葉を学ばせられたことも。


 儚く可憐な王女と、元文部省の大臣ギーアスターの一族とは相性が悪そうだし、フロレンツが彼らの犯罪に気づいていたなら王女と引き合わせたくもないだろう。


「ではクラリッサ。わたくしはロイヤルパーティーまでの数日間しか滞在しませんが、どうぞよろしくお願いしますね」


 ちゃんと呼吸ができているかもわからないまま、クラリッサは意見交換および勉強会の相手を務めることを約束した。



 ◇ ◇ ◇



 適度な距離を保って控えている数名の近衛騎士を眺めながら、クラリッサはぼんやりと呟いた。


妖精(ジンニーヤ)……」


「そんな言葉まで知っているの?」


 フロレンツからシャンタル王女の相手をするよう申し付けられたクラリッサは、ダンスやマナーの授業が減った代わりに本城へ通う生活をしている。


 シャンタルの外交の隙間時間で、お互いの国の教育や文化について学んだり議論を交わしたりするのだ。


 この日もまた持ち上がったテーマについての話がひと段落したところだった。


 クラリッサの呟いた妖精は、シャンタルを守る女性騎士を指していた。彼女たちは一様にまつ毛がブワっとカールして妖艶だ。にもかかわらず上背は高く、隊長のハーキマや副隊長のサディアに至っては男性の平均身長を優に越える。


 その不思議な魅力が妖精でないならなんの仕業だろうかと思うのだ。


 心に浮かんだ言葉がこぼれていたことに自分で驚いていると、シャンタルは楽しそうに笑う。


「クラリッサは本当にグラセアの言葉が上手ね」


「死ぬ気で覚えましたから」


「その努力のおかげで助かっているわ。わたくし、ウタビアの言葉は得意じゃないから。難しい話をするのに間違いがあったらいけないでしょう」


 決して長くはないが、悔しいことにシャンタルと共に過ごす時間はクラリッサにとっても有意義なものになっていた。


 真面目で優しく慈悲深い王女を、クラリッサは尊敬しているし、負けを認めてしまった。


(この人にはかなわないよ……)


 容姿、身分、気高さ、知識、何をとってもクラリッサの出る幕はない。もし彼女に何かで勝とうと思うなら、マナー無視の早食い競争でもしなければならないだろう。


「今日はフロレンツ殿下遅いのね」


「パーティーの準備も佳境ですから忙しいのかも」


 フロレンツは、クラリッサとシャンタルの勉強会に必ず一度は顔を出して甘味を差し入れてくれていた。


 それが二人にとって休憩の合図で、日々の楽しみでもあり、そしてクラリッサにとっては身を切られるような切ない時間だ。


 シャンタルが両腕をあげて大きく伸びをした。肩ひじ張らない姿を見せてくれるのも、彼女の魅力のひとつなのだろう。


「そうね。明後日には最後の王国主催パーティーがあって、そしてお別れ。寂しくなるわ」


「私もです」


「ありがとう……。ねぇ、クラリッサは好きな男性はいるの?」


「えっ?」


「国内の貴族の力関係に影響しないお友達って貴重でしょう? わたくしね、貴女が大好きだし、いろんなお話を聞きたいしもっともっと仲良くなりたいのよ」


 ふふふと照れたように笑うシャンタルの表情にも言葉にも、嘘や裏は感じられない。


 クラリッサは、ゲシュヴィスターのような制度のないグラセアにおいて、気の置けない友人というのは得難いものなのかもしれないと考えた。


 シャンタルとフロレンツが幼い頃からの知り合いであることは何度か聞いている。今までのシャンタルにとってはその得難い友人のひとりがフロレンツだったのだろう。


(フロレンツが()()じゃなくなるから?)


 だからシャンタルは新しい友達を探しているのではないか、という考えが頭をよぎって、クラリッサの胸の奥がシンと冷える。


 彼女はクラリッサの好きな人がフロレンツだと知っても友達でいようとするのだろうか。


「いるにはいますが」


「誰かしら。ねぇ、その方はロイヤルパーティーにもいらっしゃるの?」


「ええ、まぁ」


「それじゃ、当ててみたいわ。だから当日まで内緒にしていてね」


 いたずらっ子のようにウインクをするシャンタルに、クラリッサも苦笑をこぼした。

 今わからないなら、当日になったって当てられやしないのだから。


 そこへ甘い香りとともにフロレンツがやって来た。手の中のお菓子に勝るとも劣らない甘い笑顔でシャンタルに微笑みかける。


「クラリッサ、少し席を外してもらえるだろうか。殿下と大事な話があるんだ」


「それなら、お勉強会ももうこれでおしまいにしましょう。一通りのことは教えていただいたからもう大丈夫よ。ご丁寧にありがとう」


 シャンタルがフロレンツの持参した焼き菓子をいくつか布でくるんでクラリッサに持たせた。

 オーブンから出て来てそう時間が経っていないらしい焼き菓子はほんのり温かい。


「こちらこそ勉強になりました。ありがとうございました」


 声は震えていなかっただろうか。そればかりを気にしながら小さく頭を下げて、クラリッサは扉へ向かう。


 シャンタルの「またパーティーでね」という声が追いかけて来たが、聞こえないふりをした。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:アイヒホルン伯爵家の長女。制度改革にも恋にも全力で取り組みたい所存……だが暗雲たちこめ中。

●シャンタル:ウタビアの隣国グラセア王国の王女。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正し、積年の想いをどうにかするため暗躍中。


名前だけ登場の人

●ハーキマ:シャンタルを守る近衛騎士隊長。

●サディア:シャンタルを守る近衛騎士副隊長。


今回登場用語基礎知識

●グラセア:隣の国だよ!

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― 新着の感想 ―
[良い点] うおぉぉぉぉ!フロレンツのぶわぁくわぁぁぁあああっ!! これは完全に勘違いしましたね。えぇ。ひゃっほうだなんて浮かれて何も見えてないバカ王子ですね(失礼w) 女心の分からん奴め(-_-…
[良い点] クラリッサの誤解かもしれないけど(そう信じたい)、不安にさせたフロレンツには一言物申したい。
[一言] >●グラセア:隣の国だよ! 前回も思ったのですが、この言い方なんか草www
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