第76話 自由恋愛は難しい②
グレーデン邸に到着してすぐ、クラリッサはビアンカを伴って部屋を出て行った。
フロレンツは道中でクラリッサに聞かせた話を、ハンス・グレーデンと共にボニファーツへ説明する。
「ギーアスターには息子がいたでしょう」
「カーステンですね。グンターが事前に商社をひとつ彼の名義にしています」
「そのへんは如才ないのだが、カーステンに商才はないと聞くからどうなることか」
「ウタビアでの商売は難しいでしょうし、母子揃って他国へ移住するところからですからね」
ギーアスター家は取り潰されることが決まり、グンターは恐らく生涯をオルロサ獄屋で過ごすことになるだろう。
これまでの全ての事件に、カーステン・ギーアスターが関わった証拠は見つからなかった。つまり無関係の可能性も大いにあり、この状況は彼にとって十分すぎるほど辛い罰になる。
それがわかっているのか、ボニファーツもハンスも暗い表情で口数は多くない。
「沙汰はこれからだが、ハーパーも国の隅へ移住することになるだろう」
「当家と同様の扱いになるとか」
「残された領地は広いし肥沃です。アイヒホルンほど辛い生活にはなりますまい」
伯爵位と一部の領地を接収されるハーパーは、財務省の引継ぎを終えたら田舎に引っ込んで男爵位を息子のイザークに譲ることになっている。
フロレンツはヨハンに、別途国立図書館の司書の仕事を与えようと考えているが、それはボニファーツが文部省の大臣へ就任してからの対応となるだろう。
「それから……ガルドゥーンとマイザーだが」
「我々をさらった反貴族派の民を扇動したのがガルドゥーンとマイザーだとか」
「そうだ」
「ふたりの父親は審議を終え、ゴゼラ鉱山へ送られることが決まっています。息子たちも恐らく同様に」
「孤児院の事件なんか起こさなければな」
フロレンツは大きく溜め息を吐いた。
ギーアスターと違ってガルドゥーンとマイザーは「言いなりになるしかなかった」という言い訳がある。その息子たちともなれば、それ相応のお目こぼしが許されるはずだったのだ。
親は司法取引のチャンスを逃し、息子たちは戦局を見誤った。フロレンツにしてやれることは、もう何もない。
「ああ、そういえば。アイヒホルンが復権したらクラリッサの婚姻も選り取り見取りでしょう」
沈黙を破るようにハンスが努めて明るい声を出した。
アルノーとの婚約のように家のために望まない婚姻に頷く必要はなくなる、ということだがフロレンツにとっては耳の痛い話だ。
「言うほど、こちらに選ぶ権利は残されないでしょう。わたし自身にはコネクションも圧力もまだありはしないですから」
苦笑するボニファーツの自己分析は正しい。
彼の本当の戦いは復権してからである。ハンスやホルガーの助けがあるとはいえ、海千山千ばかりの世界でどこまでアイヒホルン家の立場を確固たるものにするかは、彼の腕の見せ所となる。
娘の婚姻は、その戦いの最重要かつ切り札的な武器だ。
(これは本格的に時間が残されてないな……)
クラリッサの心をつかむ前に、彼女がどこか手の届かないところへ行ってしまうかもしれない。
国王たる父の承認を得るために随分と遠回りして来たが、いよいよ強引な手段に出る必要が出て来たということだ。
「さ、そろそろ打ち合わせを始めましょうか」
「では、未来の伯爵令嬢を呼んでこよう」
◇ ◇ ◇
クラリッサとビアンカの姿は、隣室の窓の向こうにあった。
まだ反貴族派の連中がどこにいるかわからないのだから庭に出るなと言ったのに、バルコニーならどうして安全だと思ったのか。
フロレンツは呆れながら足早に窓辺に近づいた。
「――殿下のこと諦めてあげるって言ってんの!」
「さ、最初から譲るつもりないし! え、でもユストゥスが? ほんとに?」
盗み聞きをするつもりはなかった。なかったが、聞こえてしまったものは仕方がない。
自分の話をしていたようだと知って、フロレンツは彼女たちの前に姿を出すタイミングを失った。そればかりか、会話の内容に心当たりがあって思わずその場にしゃがみ込む。
ビアンカが突然積極的になったことには覚えがある。親友と一緒にいながら、珍しく笑顔を見せなかったクラリッサをよく覚えている。
クラリッサの友人であることから無碍にもできず、とにかく社交の場では近づかないを徹底するつもりでいたのだが……。
最初から譲るつもりないし
クラリッサの言葉がフロレンツの脳内で何度も何度も繰り返し再生される。
(それはつまり、あれか? 期待していいのか?)
さっき孤児院で聞いた「好き」は、勘違いさせないために強く否定したのではなく、恥ずかしかったからということだろうか。
ふつふつとフロレンツの心臓に血液が集まって爆発してしまいそうだった。
ここで死ぬわけにはいかないから、心臓はせっせと集まった血液を体中に送り続けている。若干、顔に多めに循環しているけれども。
クラリッサの気持ちが自分にないとわかっていながら計画を進めることには躊躇いがあったが、そうでないのなら。
彼女の気持ちがこちらにあるのなら。
フロレンツは叫び出しそうになる口元を左手で押さえて、右手の拳で膝を叩いた。
夢じゃない。
ひゃっほう。
立ち上がって素数を思い出せるだけ頭に浮かべて、三回深呼吸した。
(よし、大丈夫だ)
「リサ、そろそろ打ち合わせを始めたいんだが……来られるか?」
振り向いたクラリッサと目が合って、フロレンツはまた頬の熱が上がって行くのを感じた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。制度改革にも恋にも全力で取り組みたい所存。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正し、積年の想いをどうにかするため暗躍中。
●ビアンカ:アウラー伯爵家長女。クラリッサの親友。フロレンツのファン。年下男子萌えに気づく。
●ボニファーツ:アイヒホルン男爵家当主。クラリッサの父。
●ハンス:グレーデン伯爵家当主。クラリッサの伯父。
名前だけ登場の人
●ギーアスター:グンター・ギーアスター伯爵のこと。文部省の大臣でアメリアのパパ。
●カーステン:グンターの息子。ギーアスターさんちの跡取り。
●ハーパー:ベンノ・ハーパー伯爵のこと。財務省の大臣でヨハンのパパ。
●イザーク:ベンノの息子。ハーパーさんちの跡取り。
●ガルドゥーン:ゲレオン・ガルドゥーン伯爵のこと。元・武官省兵装管理部長。
●マイザー:アウグスト・マイザー伯爵のこと。元・官吏省北方管理部長。
●アルノー:バルシュミーデ子爵。クラリッサの元婚約者。監督省王都警備主責任者。42歳。
今回登場用語基礎知識
●財務省:国家財政および地方行政の監督。現在はハーパー家が大臣。
●文部省:国内の教育、倫理を司る。また、外交も担当。現在はギーアスターが大臣。過去にはアイヒホルンが大臣を担っていた。




