第72話 反貴族派の襲撃⑥
クラリッサの喉が上下する。
ここ最近では、いや、十数年前まで遡っても取り潰された家はふたつだけだ。おそらく近日中にもうひとつ増えるけれども。
そして既に取り潰されたふたつの家の当主は今日、王城からオルロサ獄屋に移送されることになっていた。
「お父上を取り返そうとしたの?」
「クソみたいな王国にやり返すならまずそこからだろ」
「やり返すって……自業自得じゃない。それにこの状況じゃもうどうしようもないよ、武器、下ろした方がいいんじゃないかな……」
目の前の男はガルドゥーン家またはマイザー家の子息だ。腰から引き抜いた短剣には貴族らしい精緻な細工が光っている。
王国への反逆を目論んでいたとしても、階下はほとんど制圧されたと考えて良さそうだし今からでも投降するほうが賢いように思えた。
「うるさい。お前は俺の生活のすべてを奪った。あのクソ王子共々、許しちゃおけないんだ」
「いや、生活のすべてを奪われたの私なんだけど?」
窓から小鳥の囀りがのんびりと響いた。
クラリッサの腰に院長の机が当たって、これ以上の逃げ場がないことを知る。なおも近づいて来る男は、すでにクラリッサのすぐそばまで迫っていた。
風がクラリッサの頬を撫でた。いつの間にか音もなく扉が開いていたが、その開けた人物の姿がなぜかクラリッサの場所から目視できない。
「知るかよ。どうせ零落れるんなら、なんかしてやらないと気が済まない」
「あんまり罪は重ねないほうがいいと思うけどなー」
説得すら諦めた時間稼ぎの会話で場を繋ぐ。さらに一歩近づいた男から少しでも距離をとるため、クラリッサは右側へと移動した。
(嘘でしょ……?)
横にずれたことで扉を開けた人物が明らかになり、クラリッサを大きく動揺させた。
そこに立っていたのはドナシアンだったのだ。大人だと思い込んでいたからクラリッサの視界に入っていなかっただけで、彼は扉を開けてからずっと様子を伺っていたらしい。
新たな侵入者がたてるであろう物音が、クラリッサの窮地を救ってくれるはずだと思っていた、が。これはいけない。
「時間が残されてないのは確かだ。本当ならもっといろんなことをしてやりたかったが、ここは効率よく王子様とお前の両方を傷つける方法について考えよう」
男はまだ、音もなく背後に佇むドナシアンに気づいていない。
クラリッサはひたすら、彼の意識を自分に向け続けることに尽力することにした。
「なにする気?」
「一生消えない傷をつけるのがいい」
「傷?」
「そう、それも目立つところだ」
「でもそれじゃ私は困っても、フロレンツは困らない」
「へぇ? ……まぁそりゃそうか。お前たちじゃ釣り合わない」
男の言葉は地味にクラリッサを傷つける。やはり、誰の目から見てもフロレンツとは釣り合いがとれないらしい。
クラリッサは手を後ろへまわし、院長の机の上を這わせる。ペンでも無いよりはマシだと思ったが、綺麗に片付けられているのか探す場所が悪いのか、クラリッサの手には何も触れなかった。
「だからもう……」
「じゃ、死ぬならどうだ? 自分のせいで人が死んだと知ればさすがに引きずるだ――痛っ!」
得意げに話す男の横面を、クラリッサの右手が盛大に打った。
(フロレンツの心が死んじゃう)
あの無表情な王子様は、実は優しい。小さな頃、クラリッサが転倒して怪我したのを見ただけで泣いてしまうくらいに。
この襲撃事件の主犯がガルドゥーンやマイザーの息子だと知れば、それだけでも十分に彼の顔は曇るだろう。さらに、死者など出てしまえば追い詰めすぎたと深く心に傷を負うのは目に見えている。
それは確かにこの男の思惑通りなのだが、けれどもフロレンツが悲しむ姿は想像するだけで胸が痛くなるのだ。
「このアマ――ッ!」
「わわっ」
男がナイフを振りかぶるのを見て、クラリッサはひらりと半身を引いて避ける。たいして男の剣技が洗練されていないことも幸いしたが、この程度はクラリッサにとって造作のないことだった。
幼少時に、武官省の大臣直々に稽古をつけてもらっただけある。
貴族はどのような教育を受けているかが家庭の方針によってまちまちであるため、こうして実際に動きを見てみないとどこまで強いのかがわからないことが多い。
しかしこの男が相手ならば、逃げ出すことはそんなに難しくないかもしれない。
振り下ろしたナイフの受け止め場所を探して前のめりになった男の背中を、クラリッサは横から流すように押し出した。本来ならこれで逃げるだけの隙は生まれるはずだ。
ただ困ったことに、室内には逃げるのではなく男を打ち倒したくて仕方ないらしい人物もいた。
「うらぁっ!」
「ぐっ――」
音を立てずに扉を閉めてそっと近づいていたドナシアンが、クラリッサの目の前を風のように横切って男の背後から木剣を叩きつけた。
身長差があるため、相手の背中を痛めつけるのが精一杯だろうが、聞くだけでも痛くなるようなひどい音がして、クラリッサは思わず肩をすくめる。
「ちょ、ドナ! 放っておいていいから、逃げよ?」
「でもこいつフロルの敵だろ。てかクララに剣向けて、ただで済むと思うなよ」
(かっこいいけど……っ)
クラリッサを守るようにして木剣を構えるドナシアンは、瞳に強い意思を宿して実年齢より大人びて見えた。
ただ、今は是非守られる子どものままであってほしい。仮に技術でドナが勝っても、体格差を覆すのは難しいだろう。そして、技術でドナが彼に勝るわけでもない。
「てめぇ……」
ゆらり、と男がドナシアンに向き直った。
怒りのせいか、男の目は完全に据わっている。
「ドナ! こっちに来て!」
腕を引こうと伸ばした手は、ドナ本人によってペチと弾かれた。
クラリッサは武術に心得があるわけではない。もしもの時に自分の身だけでも守れるようにと護身術を叩きこまれたのだ。
ドナとともに逃げるためには、ドナの協力がないと難しい。彼を守って戦うことはもちろん、彼を守りながら逃げることだってできやしないというのに。
「クララだけ逃げて」
「できるわけないでしょ!」
「どっちも逃がさねぇよ」
くるりと手元のナイフを弄んだ男は、あらためて切っ先をドナシアンに向けて腰を落とした。
「んもう!」
かくなる上は、体を張ってドナの盾になるしかない。
もう少し生きていたかったのに!
クラリッサは男に背を向け、ドナシアンをその胸に抱えてぎゅっと目を閉じた。
幼いフロレンツの泣き顔が瞼の裏に浮かぶ。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。家の権威を取り戻すために奮闘中。
●ドナシアン:孤児院の年長の男の子。近衛になってフロレンツを守るのが夢。
名前だけ登場の人
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正すために奮闘中。
●ガルドゥーン:ゲレオン・ガルドゥーン伯爵のこと。武官省兵装管理部長。
●マイザー:アウグスト・マイザー伯爵のこと。官吏省北方管理部長。
今回登場用語基礎知識
●武官省:王国の軍事に関わる全てを掌握。現在はアウラーが大臣。




