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第70話 反貴族派の襲撃④



 木戸に頬を寄せて耳を澄ませると確かにスンスンと鼻をすするような音や、教師を呼ぶ声が微かに漏れ聞こえた。

 クラリッサはフロレンツと頷きあって、驚かせないよう静かに声をかける。



「そこにいるのは誰? 私クラリッサよ。あなたは?」


 ガタ、と木戸が一度揺れ、静かになる。耳を澄ますと遠くに泣き声は聞こえるものの、木戸の近くにいた子どもは声を押し殺したように感じられた。


「そこに怖い人はいる? 静かにお名前を教えてくれる?」


「……エルマ。こわいひとはどっか行った」


「ああ、エルマ。よかった。クラリッサよ、覚えてる?」


「……ちょっとまって」


 また沈黙が訪れた。クラリッサとフロレンツが少しの音や振動を聞き逃すまいと木戸に張り付いていると、若手の隊員も中の音を聞こうと顔を寄せた。

 フロレンツがクラリッサのほうへ身を寄せる。


「静かっすね……」

「いえ、何か聞こえません?」

「何か引きずってるな」


 気が付けば他の隊員ももうひとり木戸に張り付いて密集状態になっている。押しつぶされそうになったクラリッサは、膝をついて下の方で耳を澄ませることにした。


「おい、しゃがむな」

「え?」

「見上げるな」

「ぷっ……くっ……! 痛っ」


 フロレンツの切羽詰まった訴えも、頭上で行われる警ら隊の暴力行為も無視して、扉の向こうへ意識を向ける。


(これ、たぶん荷物をどかしてる音だ……)


 確かこの戸の前には木箱があったはずだ。ずいぶん時間がかかっているようだが、きっと木箱をどかす音に違いない。地下室に犯人の一味がいないというエルマの言葉も間違いなさそうだ。


「クララ、ごめん。オレたちじゃ開けられないんだ。そっちから開けてよ」


「ドナね? わかった、ちょっと待ってて」


 取っ手に手を伸ばしたクラリッサを制し、年長の隊員が戸をゆっくりと開けた。フロレンツがクラリッサを庇うように前に立ち、他の隊員がさらにその前に立つ。


 老いた牛の鳴き声のような軋む音が通路に響いて木戸が開いた。といっても、ほんの少しだけ。とてもじゃないが、大の大人が通れるような隙間ではない。


「これ以上は……大きな音立てそうだなぁ」


「もう少しだけどうにかしたら、私なら入れるかも。子どもたちを落ち着かせて、地下室のドアがすぐに開かないように細工してきます。どうでしょう?」


「しかし……」


 年長の隊員が腕を組んでしばし熟考する。


「誰か来てくれないと、オレらみんな縛られてて上手に動けないんだ」


 ドナシアンが木戸の向こうで漏らす。その向こうで小さな子をあやすエルマの声も。


「よし、仕方ない。音をたてずに侵入できたら、子どもたちを落ち着かせつつ解放してください。すぐに逃がせる準備ができたら、我々が突入します。殿下、それでいかがでしょうか」


「侵入中に大きな音がたったら緊急突入に変更する条件で」


「もちろんです!」



(まさか、ここで発育不足に感謝する日が来るとは思わなかったなぁ)


 ゆっくり音をたてないよう木戸を押し開く隊員の脇から、クラリッサが身体をねじ込ませる。つっかえるのが胸よりお尻であることに少々の落胆が隠せない。


 ドレスのスカート部分はクラリッサが思うよりも分厚いのかもしれない。そうだ、そうに違いない。誰に言うでもない言い訳を心に浮かべて、少しずつ室内へ入って行く。


 どこかに引っ掛けたらしくピリリと肩のあたりが破れる音がしたが、衣類がはだけるほどの被害ではない。


「ありがとう、入れました」


 クラリッサのセリフとともに戸を押さえていた隊員たちの手が離れる。戸が揺れながら乾いた音がしたが、大きいというほどでもなさそうだ。



 それからは目まぐるしく事態が進行し、息を吐く間もなかった。

 子どもたちを落ち着かせながら手足を縛るロープを切って、盛大な音とともに5人の隊員がなだれ込んで来て、追い立てられるように子どもたちと一緒に小屋へ走る。


 木戸が打ち倒される音はやはり階上にも聞こえていたようで、クラリッサたちの背後は大騒ぎになっていた。


 小屋では子どもたちが泣き出すのをあやすのに精一杯で、外の様子にまで気が配れないが、犯人一味が小屋へやって来ないのは朗報と考えていいだろう。


(人質……どうなってるんだろう。作戦は上手くいったかな……。フロレンツは……)


 フロレンツは隊員たちと一緒に孤児院に残ったらしい。

 たまに銃声が聞こえ、その度に子どもたちもクラリッサもビクリと体を震わせる。


「先生……先生……」


 小さな子が、恐らく人質になっているであろう教師を思って泣き出した。ひとりが泣くと、連鎖して他の子どもも泣き始めてしまう。


 クラリッサだって泣きたい気分だ。家族もフロレンツもみんな、あの銃声がする建物の中にいるのだ、自分がその場にいるよりもずっとずっと怖い。


「ちっとオレ行ってくるわ」

「えっ、ちょっと、どこに?」


 すっくと立ち上がったドナシアンにクラリッサが問いかける。嫌な予感しかしない。

 ドナシアンは、いちばん小さな子を抱きかかえるクラリッサにちらりと視線を投げて、さも当然のように答えた。


「フロルを助けに。オレはフロルの騎士だからな!」

「えっ!? あっち行くの? だめだよ!」


 小さな騎士はクラリッサの制止も聞かず隠し通路へと飛び込んだ。姿が消える様はまるで真っ暗で大きな口に食べられるみたいで、クラリッサは声のひとつもあげることができなかった。


「ど、どうしよ……」


 混乱するクラリッサの手からエルマが年少の子を奪い取る。


「クララ、ドナをつれて帰ってきて。あの子周りが見えなくなるから」

「あ、はい」


 もうどっちがお姉さんだかわからないが、とにかくクラリッサはエルマの指示に従って孤児院へ向かうことにした。

 幸い、ドナシアンは明かりがなくとも通路を渡れるらしく、ランタンは物置小屋の床に置かれたままだ。


「さっきのお兄さんたちと同じ制服の人が来るまで、みんなここにいて」

「わかってる」

「大きな声は出しちゃだめだよ」

「うん、わかってる」

「もしドナだけ戻って来ても私のことは探しに来なくていいからね」

「うん」

「それから――」

「クララ、もう行って?」

「はい、すみません」


 女の子の中でいちばん年上のエルマは、もしかしたら自分よりも精神年齢は上かもしれない。そう思いながら、クラリッサはランタンを握り締めて通路へ降りた。


 ドナシアンを無事に連れて戻るのが使命だ。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。家の権威を取り戻すために奮闘中。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正すために奮闘中。

●ドナシアン:孤児院の年長の男の子。近衛になってフロレンツを守るのが夢。

●エルマ:孤児院のおませな女の子。フロレンツが好きだったがクラリッサに譲った。

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― 新着の感想 ―
[一言] >つっかえるのが胸よりお尻であることに少々の落胆が隠せない。 篠崎さん「クラリッサ!!(固い握手)」
[良い点] >ドレスのスカート部分はクラリッサが思うよりも分厚いのかもしれない。そうだ、そうに違いない。 ど……ドンマイ、クラリッサ。 海外では……その……、そっちも大きい方がもてはやされるし。 …
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