第69話 反貴族派の襲撃③
順調に物置小屋へ到着して中を探索すると、確かに床に怪しげな扉があった。引き上げてみれば、中には大人ひとりが中腰でようやく歩けるほどの高さの通路が続いている。
「例の囚人の関係者ということは、武器を横流しされていた集団の可能性がある。であれば銃も剣もあるだろうから気をつけるように」
侵入チームの中で最も年長に見える男性がメンバーに向けて注意を促した。クラリッサも他の隊員に混じって大きく頷く。
が、もう一度通路を覗いてから自身の格好が侵入に適していないことに気づいた。
「あの、ナイフをお借りできますか」
「え、はぁ」
(やっぱりついて行くって言わなきゃよかったかも……! お気に入りなのに!)
ドレスにナイフを滑らせる。無理を言ってついて来たのだから、衣類が邪魔で足手まといになることだけは避けなければならない。
絹の裂ける高い音がその場にいる全員の視線を集める。
「ちょ、うわぁ」
「もったいねぇ……」
隊員の呟きにクラリッサも心で同意した。本当に勿体ないことだ。せっかくいただいたのに!
膝から下の生地をすっかり破り捨てて身軽になったところで、改めて出発の運びとなった。クラリッサは列の最後から2番目だ。
明かりは先頭を歩く人が持つランタンがひとつだけ。通路へ侵入してすぐは背後に物置からの明かりがあって、クラリッサでもどうにか意識を保つことができた。
しかし奥へ進むごとに背後の明かりが届かなくなって、前方に揺れる微かな光だけが頼りとなる。
例えば前を歩く数人の身体の角度や、カーブに差し掛かったときなどは光が遮られて闇が訪れる。
狭い通路を闇が覆うと、途端にクラリッサの足が止まる。呼吸が荒くなって息の仕方がわからなくなる。ランタンの光が視界に入ればそれに向かって歩く、という繰り返しだ。
(やばい、どうしよう思ったより遠い)
闇の中にいるから遠く感じるだけかもしれない。だが確かにクラリッサにとってこの道中は永遠にも感じられるほど長い。
叫ばないように歯を食いしばって、ただ明かりだけを必死に追い求めた。
(倒れちゃ駄目。目を閉じちゃ駄目。行かなきゃ、あの子たちを助けなきゃ)
またカーブに差し掛かって何度目かの真っ暗闇が訪れたとき、クラリッサはついに恐怖を我慢しきれなくなった。
意識が遠のきかけて、ヒュっと吸った空気にフロレンツのムスクが混じる。
「大丈夫ですか」
背後の隊員がクラリッサに声を掛ける。
「あ、ええ。すみません。大丈夫」
顔を上げると隊列はちょうど最奥に到達したらしく、明かりが木戸に反射して光量が大きく感じられた。
(よかった……)
倒れかけたクラリッサを救ったのは、恐らくドレスに移ったフロレンツの香りだろう。二曲のダンスは衣類に彼の香を残すのに十分な時間だったのだ。
耐え抜いたことに安堵と達成感を覚えつつ、木戸へ向かってさらに歩を進める。
「中から泣き声らしきものが聞こえるようです」
先頭の隊員が振り返って、小声でクラリッサに伝えた。子どもの泣き声のようだと言う。
もし地下室に子どもがいるなら、見張りもいる可能性がある。
「声をかけて様子を伺いながら、臨機応変にやりましょう」
「では声をかけるのはやらせてください」
見張りがいなくても、子どもが騒げば人が来る。泣かせず騒がせず落ち着いた状態で作業を進めないといけないのだ。
知らない男性の声よりも多少はマシではないだろうか、と考える。むしろそのためについて来たと言っても過言ではない。
年長の隊員も逡巡しつつ頷いて、クラリッサを先頭位置へ呼んだ。
狭い通路で隊員たちにむりやり端に寄ってもらって位置を変えるのは至難の業だ。体が密着するタイミングがあって酷く恥ずかしい。
「ほんと、ほんとすみません」
「やっ、こちらこそあの、すみませんありがとうございます」
「ありがとう!??」
「いい匂い……」
「うるせぇ静かにしろ」
「てッ……!」
隊員たちが体罰をし合いながらゴソゴソと体勢を変えていると、背後から地響きのような声が響いた。
「おい」
ごちゃごちゃしていた全員が動きを止める。
見つかったか? そう思って慌てて振り返る者、そっと振り返る者、背後を見ることができずにいる者、様々だがクラリッサはどうにかして自分の姿を隠そうとした。
(この声……!)
クラリッサが間違えるはずがない。この声はまさしくフロレンツであり、いま現在の自分の姿を最も見られたくない相手である。
「ちょ、だめ、くっつかないでおじょうさま」
フロレンツから姿を隠すべく通路の奥へ体をねじ込もうとして、障害物の誰かから恍惚とした悲鳴が漏れた。
その瞬間クラリッサの腕がとられ、背後へ引き倒される。
「わっ」
倒れるクラリッサの背中を温かいものが支えた。それがフロレンツの体であることにはすぐに気づいたが、顔を上げることはできない。
イタズラを見つかってしまったような心持ちと、衣類をダメにしてしまった罪悪感がクラリッサを縛るのだ。
「あ、お嬢!」
「あんたは……?」
隊員たちからは戸惑いの声がこぼれる。
国政業務には平民も多く務めているが、警らは特にその割合が高い。そして平民の中には、国王や王妃以外の王族の顔をまともに覚えていない者も少なくないのだ。
「お転婆が迷惑かけてすまなかったな」
「迷惑は傷つくんですけど。てかフロレンツはどうしてここに?」
「フロ……っ!」
「えっ? えっ?」
顔を覚えていなくても名前はもちろん誰もが覚えている。
王都の片隅の孤児院の地下にある、暗く狭い隠し通路で遭遇するはずのない名前に誰もが戦慄した。
フロレンツの綺麗で恐ろしい顔と、ムッスリ膨れているクラリッサとをしばし見比べたあと、隊員たちは一斉に頭を下げた。
「すっすみません!」
「高貴なお方とは思ったんですがまさか――」
それぞれが口にする謝罪の意味が、クラリッサには見当がつかない。続くフロレンツの言葉も、だ。
「いや、少し羨ましかっただけだ」
その一言で場は和み、冷え冷えとした空気が柔らかくなった。
フロレンツの指示でひとりひとりがゆっくりと後退し、フロレンツと壁との間に挟まれていたクラリッサはようやく木戸の前までたどり着くことができた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。家の権威を取り戻すために奮闘中。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正すために奮闘中。




