第68話 反貴族派の襲撃②
「うそでしょ……」
「そんな嘘をついてどうするのさ。さっき、本部に増援依頼をしたのに返事もないんだ。まさかボクを見捨てやしないと思うんだけど、でもまぁまだそんなに時間も経ってないし……これが普通かもしれない……」
アルノーはクラリッサの目から見てもわかりやすく焦っていた。
王都警備の責任者がさらに増援を依頼するというなら、監督省だろう。しかし――。
「アルノー様、決定権者の多くはピッケンハーゲン邸にいます。そちらへはご連絡なさいましたか?」
「いや、そっか、そっかぁ。じゃあピッケンハーゲンに誰か寄こそう。もう武官省が出張って来てくれたらいいのに……」
涙声のアルノーを放っておいて、クラリッサは孤児院を振り仰ぐ。
正面の門は固く閉ざされ、全ての窓もカーテンが閉じられていたが、たまに揺れているのがわかる。外の様子を伺っているのかもしれない。
「それで、彼らは立てこもって何を?」
「知らないよぉ。あ、でも確かオルロサ獄屋に移送した囚人を解放しろって言ってたかな」
随分ガルドゥーンとマイザーに固執しているようだ。
どんな理由があれど、無関係で善良な一般人や子どもたちと囚人を天秤にかけさせるなんて許されない。
王国側がその要求を呑むとは思わないが、その場合、人質はどうなるのか。
「せめて、子どもたちだけでもどうにかしたいですね」
「そうは言ってもねぇ」
「裏口に人を集めてください。あと、私に何名か警らの方を貸してもらえませんか」
「へっ?」
人質をとって立てこもってしまったら、できることは少ない。
地道に説得するか、数で押し込むか、……密かに侵入するかだ。そして、侵入経路を知っているなら成功率が格段に上がる。
隠し通路が繋がっているのは孤児院の地下室だ。犯人がわざわざ地下の倉庫で寛ぐことは考え難いから、侵入するだけならきっと上手くいくだろう。
その後は……。
「孤児院の傍らにある小さな建物、あれ物置小屋なんですけど孤児院の地下に繋がってるんです。そこから侵入して、裏口を開放しましょう」
「いやいやいやいや! そんな無茶苦茶な」
驚き飛び上がって必死に拒否の姿勢をとるアルノーを、クラリッサが睨む。
(婚約、破棄してもらえてよかった、ほんとに)
人生を賭けるには、少々……いや、とても頼りない。自分だけならまだしも、この男を毎日鼓舞しながら生きていくのは骨が折れそうだ。
「無茶苦茶なものですか。救援要請に返答がないからと何もしなければ処罰も免れませんよ」
「そんなぁ……。なに、これ嫌がらせ? ボクが婚約破棄、したから」
「寝言は寝てから言ってください、……いやいま寝ないでください」
小鹿のような瞳でしばらくクラリッサの様子を伺っていたアルノーだったが、相手の意志が変わりそうにないと判断すると涙目で部下を呼んだ。
以前は、このアルノー・バルシュミーデ子爵もクラリッサにとっては雲上人だった。彼の言葉は絶大な効力でクラリッサを縛ったものだ。
が、バジレ宮での生活はアルノーもまた普通の人間であると教えてくれた。王族や公爵家の子女でさえあんなに人間臭いのだから当たり前だ。
それに、仮にアルノーを敵に回したとて怖くない、とも。
クラリッサがいま敵に回したくないのは、フロレンツただ一人だ。地位や立場の話ではなく。……いや、ちょっとは関係あるけど。
目の前のおじさんを怒らせても怖くないのは、フロレンツの威を借りることができるからだし、仕方ない。
「お呼びでしょうか」
すぐにクラリッサとアルノーの前に並んだのは、若手の警ら隊員5名だ。
アルノーと並んでいるからか、それともクラリッサのドレスをみてやんごとなき家の令嬢と勘違いしたか、彼らは上官にでもするかのように一糸乱れぬ動きで敬礼をしてみせた。
びっくりはしたが、たじろいでいる暇はない。
オロオロするアルノーにはしばし黙ってもらいながら、作戦を練っていく。
正門前で話しかけるなどして意識を集中させる。死角から敷地内へ侵入する。物置小屋から隠し通路を見つけ出して建物内へ侵入する。二手に分かれて陽動しつつ裏口の開放する。
やることは以上だ。そんなに難しいことではない。
「通路があることがわかれば、あとは我々が――」
「いえ、私も行きます」
「しかし」
勢いで言った瞬間ほんの少し後悔したものの、すぐに思い直す。
「地下室の倉庫のドアは壊れていて、子どもが通るのがやっとなんです。私ならこの通りのサイズですから皆さんが行くより静かに侵入できると思います。
いざ向こうに行ったとき、静かに入れるほうがいい場合もあると思うんです。ドアを壊す間の時間稼ぎとか! それに、見知った顔が迎えに行くほうがきっと子どもたちが怖がらないので」
悩んだ隊員がアルノーに助けを求めるが、アルノーはもはやクラリッサに意見できる状態にない。
隊員の中では階級が最も上らしい男性が溜め息を吐いて、クラリッサの同行を許可した。
「貴女のおっしゃるような状況にならない限り、我々の後ろにいてください。地下室から先には行かないこと。そして、撤退すべき時には必ず撤退すること。それが条件です」
「わかりました」
そして、突入のために裏口に待機する部隊、正面で意識を引き付ける役、クラリッサと共に侵入する部隊があっという間に編成された。
クラリッサは、アルノーがぽやぽやとそれらを眺めているのを見て、確かに彼は机に座って書類にサインする役を任せるほうが仕事が回りそうだと可笑しくなった。
一体誰が彼を監督省へ異動させたのだろう。元々は開発省の事務方だったはずなのに。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。家の権威を取り戻すために奮闘中。
●アルノー:バルシュミーデ子爵。クラリッサの元婚約者。42歳。最近の心配事は頭髪。
名前だけ登場の人
●ピッケンハーゲン:アントン・ピッケンハーゲン伯爵のこと。行政府で大臣の補佐をする。
●ガルドゥーン:ゲレオン・ガルドゥーン伯爵のこと。武官省兵装管理部長。
●マイザー:アウグスト・マイザー伯爵のこと。官吏省北方管理部長。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正すために奮闘中。
今回登場用語基礎知識
●監督省:司法および警察権を持つ。国内治安維持など。現在はオスヴァルトが大臣。以前はギーアスターだった。
●武官省:王国の軍事に関わる全てを掌握。現在はアウラーが大臣。




