第67話 反貴族派の襲撃①
フロレンツへグレーデン邸へ向かいたい旨を伝えると、二つ返事で送り出された。このパーティーでクラリッサのやるべきことは終わっているから問題ない、らしい。
もちろん駄目だと言われても困ってしまうのだが、クラリッサとしては心のどこかがチクチクする。
(仕事が終わったら用済みって感じがすごい伝わる……!)
そうではないと頭ではわかっている。適当な時間に迎えの者を寄こすから夜までゆっくりするといい、とも言われている。
フロレンツの優しさなのだ。
けれどもクラリッサの中の恋する乙女が、この一時でさえ離れることを惜しんでくれたらどれだけ嬉しいだろうか、と面倒な夢を見させる。
(せめて一瞬だけでも寂しそうなフリとかしてくれればいいのに)
そんな義理は何もないのもわかっているのだけど。
クラリッサがパーティーを抜けると知って、早速フロレンツのもとへ駆け寄ろうとする女性たちの姿が視界の隅に映ったのも良くない。きっとアメリアなら、牽制してから出て行くのだろうに。
道中の馬車の中で、ハンスと妻のドーリスはかわるがわるアイヒホルンの復権を喜んだ。
復権に関する審議はこれから行われるわけで、必ずしもそれが叶うと決まったわけではないのだが……ギーアスターの罪とアイヒホルンの冤罪は固まっているから大丈夫だろう、とハンスが言う。
実際に審議に参加するハンスの言葉に、クラリッサは胸をなでおろすと同時に、自分がいかに不安に思っていたかを実感した。
ヨハンやロベルトの協力もあって、冤罪を証明する手立てはあった。ただ復権を実現するには多くの貴族を味方につけなければいけないのだ。事実を明らかにすればいいというわけではない。
王国議会の空気が好感触であるという情報は本当にありがたい。
(家の再興ができたら、フロレンツになんて言おうかな。ありがとう、と、それから……)
アイヒホルンがかつて持っていた全ての爵位と全ての領地や権利を取り戻せるかはわからないが、今よりはきっとフロレンツに近づけるはずだ。
そうしたら、きっと。
「あら、どうかしたのかしら」
「騒がしいし、しばらく馬車も止まったままだね」
ドーリスが不安げに顔を上げ、ハンスが少しだけカーテンを開けた。窓から外を覗くと往来が人混みで溢れているのがわかる。
ハンスが侍従に確認させたところ、反貴族派の民衆が連なって走る二台の馬車を襲撃して近くの施設に立てこもったのだという。
侍従が窓の向こうで説明しているのがクラリッサにも聞こえてくる。
施設前の通りは警ら隊によって封鎖され、野次馬も集まっていると。別の道を行くにしても、交通整理が必要なため時間がかかるようだ。
「犯人たちは随分と気が立っているようだよ。なんでも、襲撃すべき馬車を間違えたんだって」
「間違えた?」
「そう。詳しいことはわからないんだけどね。間違えた馬車に乗っていた貴族を人質にしているらしい」
窓を閉め、向き直ったハンスの顔色も良くない。王国議会のメンバーとして、民衆の怒りや暴動は相当頭の痛い問題に違いないだろう。
ふと胸に降りた嫌な予感に、どうか違ってくれと祈りながらクラリッサが口を開いた。
「あの、立てこもっている施設はどこですか? 襲撃された貴族って……」
「貴族が誰かはわからない。警らが伏せているのか、警らも知らないのか……。施設は孤児院だと聞いたよ」
「そんな!」
クラリッサの脳裏をドナシアンやエルマの笑顔がよぎる。他の子どもたちの舌足らずで可愛らしい声も。
よりにもよって孤児院に立てこもるとは。
「ごめんなさい、私ここで降ります!」
クラリッサはハンスの制止を振り切って馬車から飛び降りた。自分に何かできるとは思わないが、せめて状況をこの目で見たい。子どもたちが無事に救出されるまで見届けたい。
人混みを掻き分けて走る。クラリッサはアウラー家で育ててもらったおかげで、王都の街並みにも覚えがある。8年くらい前から更新されていない情報だが問題はなさそうだ。
そもそも、人の流れが場所を教えてくれる。
人混みを整理する警ら隊の中心に、陣頭指揮を執っているらしい人物を見つけ駆け寄った。
「あの、今はどんな状況でしょうか。子どもたちは無事ですか?」
「いま忙しいんだよ! 部外者は――あれ、クラリッサ嬢?」
苛立たしげに声を荒げた男は、クラリッサを二度見してから面食らったような顔でその名を呟いた。
「アルノー様? いつから警らに?」
アルノーは傍にいた隊員のひとりに何らか指示を出してから、クラリッサの方へ近づいた。帽子をとった頭はクラリッサの記憶にあるより寂しい。
「君との縁談を破棄した頃から。王都警備の責任者だ。この任は机に向かってサインするだけで日々が終わると聞いていたのに、ここのところこんなことばかりだ!」
こんなことのひとつに例の誘拐事件も含まれるとすると、クラリッサとしても申し訳ない思いだが今はそれどころではない。
状況を教えて欲しいと頼むと、アルノーは難しい顔で腕を組んだ。
「実はね、犯人一味は城内の牢からオルロサ獄屋へ移送する馬車を狙っていたらしい」
「え、今日の移送ってもしかして」
貴族系犯罪者は議会での審議でその罪が明らかにされる。つまり、その身は城の敷地内にある牢に留め置かれることになっていて、審議が終わり次第移送されるのだ。
そして、今日移送予定だったのは審議を終えたばかりのガルドゥーンとマイザーに違いない。
頷いたアルノーがさらにもう一歩クラリッサへ近づいて声を殺した。
「それから、気をしっかり持って。いいかね? 間違われたほうは、君のご両親……アイヒホルン卿とロッテさんなんだ」
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。家の権威を取り戻すために奮闘中。
●ハンス:グレーデン伯爵家当主。クラリッサの伯父。
●ドーリス:グレーデン伯爵夫人。
●アルノー:バルシュミーデ子爵。クラリッサの元婚約者。42歳。
名前だけ登場の人
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。悪しきを正すために奮闘中。
●ガルドゥーン:ゲレオン・ガルドゥーン伯爵のこと。武官省兵装管理部長。
●マイザー:アウグスト・マイザー伯爵のこと。官吏省北方管理部長。
●ボニファーツ:アイヒホルン男爵家当主。クラリッサの父。
●ロッテ:クラリッサの母。グレーデン家出身。
●ドナシアン:孤児院の年長の男の子。近衛になってフロレンツを守るのが夢。
●エルマ:孤児院のおませな女の子。フロレンツが好きだったがクラリッサに譲った。
今回登場用語基礎知識
●議会:王国議会のこと。国政の中心地。




