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第63話 ヒビコレベンキョウ③



 フロレンツの部屋を出たクラリッサは無意識にエントランスホールへ向かっていた。


 小さい頃のクラリッサは、フロレンツと喧嘩したり何かに悩んだりすると必ずここへ来た。静かで、涼しくて、大人たちが忙しそうに歩き回る様を見ていると、心が落ち着いたのだ。


 夜ともなると忙しく動き回る侍従はいないが、大人になったクラリッサにとってはその方が都合がいい。

 ベンチへ腰を下ろして、月光に照らされてぼんやり浮かぶステンドグラスの模様を眺める。


(私、ビアンカが振られたらいいって思ってる……)


 ずっとクラリッサの胸に引っ掛かっていたのがこのドス黒い思いだ。

 応援して、と言われたからこそ逆に意識してしまった、気づいてしまった嫌な気持ちだった。


 フロレンツがビアンカの行いについて注意しておくようにと言っていた時にも、ビアンカの気持ちに気づかない彼の鈍感さに感謝してしまった。


(ビアンカが振られたって私がフロレンツと結婚できるわけじゃないのに)


 だったら、見ず知らずの誰かより親友に幸せになってもらうほうがいいに決まっている。頭ではわかっているのに、フロレンツとビアンカが並んで立つ姿を想像できない。


 ふたりがダンスを踊ったり、一緒に食事したり、華やかなパーティー会場に並んでやって来る姿を、思い描くだけで胸が苦しい。


「こんなんじゃ、きっとおめでとうなんて言えないよ……」


 溢れた涙がポタポタとドレスに染みを作っていく。


 いっそ、どこか遠くの国に婿入りしてくれたらいいのに。

 自分やゲシュヴィスターのメンバーじゃない誰かに笑いかけるフロレンツを見たことがないし、見たくない。彼と同じ香りが自分じゃない誰かから香るのも嫌だ。



「めそめそ気持ち悪い声が聞こえてくるから幽霊かと思ったら、何してるのよ」


 足音もなく現れたのはアメリアだった。階段を降りきると、真っ直ぐにクラリッサの元へやって来て隣へ座る。

 もう寛いでいたのか、シンプルでゆったりしたドレス姿の彼女はひどく優しげに見えた。


「泣いてないし声も出してないけど」


 涙染みの広がる膝の上に隠すように手を乗せると、その手の甲にまたひとつ水滴が落ちた。


「おめでとうが言えないって、聞こえてるのよ。どうせフロレンツのことでしょう。あの男、何かめでたいことしたの?」


「……フロレンツが結婚に前向きになったんだって」


「そうでしょうね」


「だからね、誰かと結婚したら私ちゃんと『おめでとう』って言えるのかなって」


「ふーん」


 ぐるぐると考えるのではなく、言葉にして外に出してみると少しずつモヤモヤが薄れていく。

 胸は痛いままだが、あれも嫌だこれも嫌だと苦しいほうへ考えを巡らせないで済むからかもしれない。


 まるで聞く気のなさそうなアメリアの相槌さえ、今のクラリッサにはありがたい。


「今日ね、その噂を聞きつけた女の子たちがずっとフロレンツを見てて」


「前から凄かったけど、今はもっとでしょうね。追い払っても追い払っても近づいて来るんだから、ほんとハイエナみたいなのよね」


「ハイエナって!」


 イライラと不機嫌そうに言い放つアメリアは、しかしクラリッサの代わりに怒ってくれているのだ。

 ささやかな優しさに触れて、冷え切っていた胸がふわりと温かくなった。もうひとつ落ちた涙は、嬉しくて流れたものだ。


「私、借金を抱えた男爵家でしょう」


「は?」


「この年になるまでマトモな教育も受けられなかったし」


「で、指咥えて見てるつもり? あの男のこと好きなんでしょう?」


(好き。フロレンツが好きだ)


 だからって、目の前に立ちはだかる壁は分厚く高い。その壁の向こう側にいる女性たちを目視できるのは、クラリッサが結婚とは全く関係のない場所にいるからだ。


 心の内側に溜まり続ける澱を吐き出すように、静かに、だがハッキリと言葉を発する。


「好きだけでどうにかなることじゃないじゃない」


「……違う。どうにかするのが好きってことよ。どうにかならないのは、相手の気持ちだけ」


「え――」


「どうにもならないなんて、わたくしはそんな泣き言許さなくてよ」


「だって!」


「だってじゃない!」


 思わず声を大きくしたクラリッサに、アメリアも負けない声量で遮る。

 逸らすことなく見つめ返された真剣な瞳に、クラリッサは押し黙って続きを待った。


「やれること全部やって、それでも相手から振られたならやっと泣いていいの。なんにもする前から諦めて泣くなんて、その程度の気持ちならさっさとお家に帰りなさいな。わたくしが今から絶対に彼を射止めてやるんだから」


 言葉の終わりには、慈しむような穏やかな笑みが覗く。

 アメリアの言葉はクラリッサの背中をバンと叩いて顔を上げさせた。


「ふふ、本当にどうにかしそうだね」


「もちろんよ。父がこれから処刑されるかもしれない状況のわたくしよりは、貴女の方が楽でしょう。貴女のお祖父様が無罪なのを、少なくとも彼は知っているんだから」


「アメリアぁ……っ」


 顔を上げた拍子に涙がこぼれて、ぼろぼろと頬を伝い落ちた。クラリッサは意地悪で優しい友達をぎゅっと抱き締める。


「ちょっとやめてちょうだい。わたくし、子守りは苦手なの」


「無理ィ……!」


 背中を撫でる滑らかな手の感触に、クラリッサはもう少しだけ甘えることにした。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。最近は令嬢レベルが上がって来たと自画自賛している。

●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。父を見限ってクラリッサ派に。ツンデレ界のレジェンド。


名前だけ登場の人

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。ゲシュヴィスター制度の研究という名目でいろいろ暗躍中。

●ビアンカ:アウラー伯爵家長女。クラリッサの親友。フロレンツのファン。


今回登場用語基礎知識

●ゲシュヴィスター:兄弟姉妹制度として基礎教育を目的に一所に集められた仲間のこと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] クラリッサよぉぉぉおお!! おまえぇぇぇぇええ!! こらぁぁぁぁぁああ!!!! 泣いとる場合かぁぁぁぁああ!! ってアメリアねぇさんがね。(人のせいにした!!)
[一言] ツンデレ界のレジェンドキターーー!!!! これで勝つる( ˘ω˘ )
[良い点] アメリアぁ……。 (´;ω;`)ウゥゥ さすがツンデレ界のレジェンドです!
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