第62話 ヒビコレベンキョウ②
「君に届いていた招待状の山だが、この忙しい時期にわざわざ参加する必要のないものばかりだ」
口内に溢れる肉汁を楽しみながら、クラリッサが頷く。
フロレンツの言うとおり、ほとんどはわざわざ今出掛けなくてもいいだろうというものばかり。ただその中に、コネクションを醸成する場になり得そうなものも紛れている気がする。
が、クラリッサにはまだそれを選び取る自信がなかった。だからアメリアを頼ったのだ。
まさかフロレンツからこの話題が飛び出すとは思わなかったが。
「だが、これは出てもいい。ピッケンハーゲン伯のガーデンパーティー。彼は行政府のお偉方でエルトマンの右腕とも言われる人物だ」
フロレンツが上着の内側のポケットから豪華な封書を取り出し、クラリッサの目の前に静かに置いた。
差出人の名前はアントン・ピッケンハーゲン。本家は王国の南部を守る歴史の深い辺境伯家で、ピッケンハーゲンは分家だが二代で国政の中枢に食い込むやり手だ。
クラリッサは封書を摘まんで、フロレンツを仰ぎ見た。
「ピッケンハーゲンに並ぶお家からの招待状は他にもありますが、どうして?」
「まず時期がいい。12年前の事件の審議中でさらにアイヒホルンの復権の訴えに関するそれの直前、かつねじ込んだ制度改革審議の翌日。このタイミングでアイヒホルンの娘が招待されていれば、人々の目にどう映るか」
「ああ、行政府はアイヒホルンを支持するということ……。これはアントン様もわかってるのかな」
「間違いない。議会スケジュールの引き直しはあったが、この期間にギーアスターの審議が続くことは彼もよくわかっているはずだ」
実際、アントンはフロレンツを支持するつもりでクラリッサへ招待状を送っている、いや、クラリッサを招くためだけにパーティーを開催しているのだろう。
クラリッサに招待状を送る多くの貴族も同じだ。だがその中で、ここまで攻めたタイミングで開催するのはピッケンハーゲン家だけだった。
それをクラリッサはどこの家も忙しいからだ、と思っていたが……本当はそうじゃない。どの立場に身を置くか、貴族たちが考えあぐねているのだ。
だから密な審議スケジュールとなっている期間を避けている。
「フロレンツは余程アントン様から信頼があるんですね」
クラリッサが真っ直ぐ見つめて言うと、フロレンツはくすりと笑みをこぼした。どうやら本人はそうは思っていないらしい。
「それから、昼間に行われるガーデンパーティーであることも決め手のひとつだな。危険度が低い」
「民ですか? さっきの様子を見たあとじゃ、心配性だなんて笑えないなぁ」
馬車の窓から垣間見た人々の表情を思えば、フロレンツの言葉も頷けてしまう。
貴族が乗っているとわかる豪奢な馬車を見つめる瞳には、憎しみの火が点っていた。
「しかしだ。大悪党であるギーアスターに陥れられ冤罪で零落れた家の娘が、亡き祖父の遺志を継いで国のために動くとあれば……味方する、または期待する民意もあると思わないか」
「あなた絶対敵に回したくない人ですね」
「ギチギチのスケジュールだが、うまくやればロイヤルパーティーまでに書類上だけでもアイヒホルン家の復権が叶うはずだ。
制度の改革なんてどうせ年単位で推し進めるものだから、今は貴族と民衆の心情を動かす材料にさえなればいい。先ずは家の権威を取り戻すんだ」
「……はい!」
話をしながらゆっくり食べたせいか、それとも気持ちが逸るせいか、クラリッサの胃袋は食べ物の受け付けを停止してしまった。
敵に回したくない人が味方にいることは本当に心強いし、なにより信じて寄り添ってほしい相手がこうして励ましてくれれば胸もいっぱいになるというものだ。
フロレンツは話すべきことを話し終えたのか、ワインで唇を湿らせながらブルスケッタの乗った皿を眺めている。
「そういえば、ボニファーツの到着も近いな」
思い出したように呟いたフロレンツがブルスケッタへ伸ばした手を止めて、クラリッサに向き直った。
アイヒホルンの復権を訴えるため、クラリッサの父ボニファーツと母ロッテは王都へとやって来る。滞在中はグレーデン邸で世話になるらしい。
両親に会うのは、婚約破棄事件以来だろうか。喜びに思わず顔がほころぶ。
「はい。予定では8日後でしたっけ」
「……君はどうする?」
「どうするって?」
穏やかなフロレンツの微笑みには、温かさの中に別の感情が混じっているような複雑さが感じられて、クラリッサは目が離せなかった。
「君が望むなら、バジレを出てグレーデンに移ってもいい。随分会ってないだろう」
「父が議会へ出席する前日に打ち合わせするって言っていたような」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、両親にはそこで会えるので、私はバジレに留まります」
執事のアヒムがクラリッサのグラスにワインを注ぐ。
クラリッサの返答になぜか驚いたらしいフロレンツが姿勢を崩し、テーブルが揺れたにも関わらずアヒムは眉一つ動かさず給仕を続けた。
「……いいのか?」
「もちろん。制度の改革についての資料を持ち出すのはちょっと怖いし、それに――」
「それに?」
「いえ、なんでも」
(フロレンツと離れがたいとは、さすがに言えないな)
冤罪事件の被害者としてでもいい。制度改革のパートナーとしてでもいい。傍にいられるうちは傍にいたいと思ってしまう。
口に含んだワインは心なしかほろ苦く感じられた。
「そうか」
いつもの口調で頷いたフロレンツの表情は、先ほどまでの複雑さをどこかへやって、ほんのり明るさを取り戻したようだ。
最近ではフロレンツの表情の機微を感じ取れるようになった、と自負しているクラリッサだったが、それでも彼は原則的に無表情で感情がわかりづらい。
(未来の奥さんは、ちゃんと彼の表情の違いがわかる人だといいな)
沸き上がった思いが、クラリッサの胸に冷たく刺さる。もうすぐ誰かと婚約してしまうフロレンツに、ちゃんと「おめでとう」が言えるだろうか。
彼の結婚が決まった後でも、制度改革のパートナーとしてちゃんと普通の顔をして接することができるだろうか。
じんわりと目頭が熱くなるのがわかった。
クラリッサは、受け付けを停止した胃に新たにブルスケッタを放り込む作業に意識を集中させる。タマネギが目に沁みた。
「さて、話を戻そう。明日の午前中は出かけるので準備しておけ」
「それ話戻ってるの? どちらに?」
「民意を味方につけに」
目の前に広がるフロレンツの表情はほんの少し口角が上がっただけだが、クラリッサには満面の笑みに見える。
その笑顔を消したくなくてクラリッサは頬を緩めて大きく頷いた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。最近は令嬢レベルが上がって来たと自画自賛している。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。ゲシュヴィスター制度の研究という名目でいろいろ暗躍中。
名前だけ登場の人
●アントン:ピッケンハーゲン伯爵。行政府で大臣の補佐をする。
●エルトマン:ヘンリック・エルトマン公爵のこと。行政府大臣。ロベルトのパパ。
●ギーアスター:グンター・ギーアスター伯爵のこと。文部省の大臣でアメリアのパパ。
●ボニファーツ:アイヒホルン男爵家当主。クラリッサの父。
●ロッテ:クラリッサの母。グレーデン家出身。
●アヒム:アヒム・アルテンブルク。フロレンツの従者。バジレ宮においては建物や使用人の管理も行っている。
今回登場用語基礎知識
●行政府:現在はエルトマンが大臣。立法府と六省との橋渡し。
●議会:王国議会のこと。国政の中心地。




