第61話 ヒビコレベンキョウ①
バジレ宮へ到着するとフロレンツは、1時間後に自室に来るようにとクラリッサへ言い付けて足早に立ち去った。
どうも急ぎでクラリッサに話しておくことがあるのだと言う。
夜会用のドレスからもう少し楽な衣装へと着替え、フロレンツの部屋を訪れると、テーブルの上には色とりどりのブルスケッタが並んでいた。
何も食べていないフロレンツが準備させたのだろう。クラリッサもほとんど食べ物を口にしなかったため、二人分の用意があることに感謝した。
クラリッサがソファーにぽよんと腰かけると、フロレンツも対面に座り「適当に食いながら聴け」と話し始める。
「いま、議会では武器の密輸および密売についての審議が行われているのは知っているな?」
バジルの効いたトマトのブルスケッタを一口齧ろうとして、大きな口を開けたまま頷いた。
予想以上に難しい内容の話が始まって、このまま食べ続けていいものかどうか悩んでしまう。
議会では、ギーアスター、ガルドゥーン、それにマイザーの犯した罪が明らかにされ、どのような罰を与えるべきかが審議される。
それぞれに弁護人がいるにはいるが、負け戦であるため形式上そこに座っているに過ぎないとクラリッサも噂に聞いていた。
また、ロベルトからの最新の情報では「真昼の星」による証言が膨大で、武器の売買や誘拐に関わった人物が続々と捕縛されているらしい。
余罪もまだまだありそうだ、と審議が長引いている。
「後半の審議スケジュールが出たんだ。だから、ゲシュヴィスター制度の改革についての議案をねじ込んできた」
食欲に負けてブルスケッタに齧りついたクラリッサに、フロレンツが机上の書類の束から一枚の用紙を引き抜いて差し出した。
書類の束の一番上に乗っていた手紙が落ちる。封筒に刻まれた隣国グラセアの紋章に、改めてフロレンツが王族であることを思い知らされる。というか、隣国王家直々の封書をあんなに無造作に置いておくとは、クラリッサにはいまいち信じ難い光景だ。
手元に目を落として確認すると、手渡されたのは議会のスケジュール表だった。
議会というのは、貴族の犯罪についての審議など片手間にやるべきもので、本来は国政に関するあらゆる難題に対処するために時間を使わなければならない。
だが今回は現役大臣による歴史的な犯罪、場合によっては反逆罪と見做されて然るべき事件であり、事態を早急に終息させるためにスケジュールが引き直されていた。
「どのタイミングですか? このスケジュールでは、空いているところなんて……」
「武器についての審議を終えて12年前の事件の審議が始まると、しばらくしたら平行してアイヒホルンの復権審議が始まる。そこにほら、隙間があるだろう」
「え、今からそんなに日数ないけど? てか、申請期限過ぎてません?」
あまりにも急なことだ。制度の改革について、資料の作成を進めてはいるが心の準備もできていないし、議案提出の申請書も作成していない。
そもそも、議会に提出する議案の申請は10日前までと決まっているはずだ。
「枠を押さえるくらいなら、どうとでもなる」
(それ王族ムーブでは? パワハラでは?)
クラリッサは食べかけのブルスケッタを口の中に詰め込んで、フロレンツを睨みつける。
そうやって特別扱いをするから、クラリッサは若い女性たちから睨まれるし山のような招待状が届くのだ。
「ほら、よく読んでサインしてくれ。明日提出する」
フロレンツがもう一枚クラリッサに差し出した紙は、既に必要事項が記載された申請書だった。どうやら本当に口頭で議会の枠だけ押さえて来たらしい。
口の中のものを全て飲み込んでから、クラリッサはやっと目の前の王子様に文句を言うタイミングを得た。
「管理官さまに無理を言ってはいけません」
「だが、目的を達成するためには必要なときもある」
「そりゃ、まぁ」
申請書は完璧だった。
もしクラリッサが作成してもきっとここまでの出来にはならない。素直に負けを認めて、クラリッサは書類にサインすることにした。
「ところで、どうしてこのタイミングなんです? 無理に小さな空き時間をとらなくても――」
「この忙しい時に制度の改革など、誰もが最初は面倒だと思うだろう」
「でしょうね」
「こちらも、その少ない時間では概要を説明する程度しかできない。が、彼らは同時期に12年前の事件について真実を知ることになる」
そこで言葉を切って、フロレンツもまたブルスケッタに手を伸ばした。牛肉のガーリック炒めが乗ったそれは、クラリッサが次に食べたいと思ったものだ。
フロレンツがモグモグと口を動かすのを見ているのがなんとなく恥ずかしくなって、クラリッサはもう一度スケジュール表に目を落とした。
彼の言う通り、クラリッサが制度改革について概要を説明する頃、議会のメンバーは祖父カスパルの起こしたと言われている横領事件についての審議を進めている。
その事件の真実と言えば冤罪ということだが……。
「12年前、議会の面々はカスパル卿が提起した改革案を『面倒だ』と感じた。その意識が悲劇を生んだと明かされればどうだ」
「うわぁ……」
面倒だという意識がカスパルを擁護することを躊躇わせた。もちろん冤罪に至ったのはそれだけが理由ではないが、罪悪感を植え付けるには十分だろう。
「面倒だからと国政をおざなりにすれば、いつか自分も痛い目に遭うかもしれないと危機感を持つやつもいるだろう。良心の呵責で制度改革に前向きになるやつもいるはずだ」
「やりくちがあくどい」
「そもそも、政治を面倒だと思うのが悪い」
絶対にフロレンツを敵には回さないようにしよう、と心に誓って、クラリッサは牛肉のブルスケッタに手を伸ばした。
ほんのり温かいそれは、クラリッサたちがバジレ宮へ戻ってから急いで作ったものだと教えてくれる。
キッチンで働く人々は……いや、バジレ宮に奉仕するほとんどの侍従は、フロレンツが怖いから頑張るわけじゃない。フロレンツが好きだから頑張るのだと、ここで生活するうちに知った。
政治を面倒だと思うのが悪い。まさにその通りだ。
そして、温かい牛肉は美味しい。
「リサ」
クラリッサが牛肉を通してフロレンツの人柄に思いを馳せたとき、当のフロレンツは不敵な笑みを浮かべてクラリッサの名を呼んだ。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。最近は令嬢レベルが上がって来たと自画自賛している。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。ゲシュヴィスター制度の研究という名目でいろいろ暗躍中。
名前だけ登場の人
●ギーアスター:グンター・ギーアスター伯爵のこと。文部省の大臣でアメリアのパパ。
●ガルドゥーン:ゲレオン・ガルドゥーン伯爵のこと。武官省兵装管理部長。
●マイザー:アウグスト・マイザー伯爵のこと。官吏省北方管理部長。
●ロベルト:エルトマン公爵家長男。チャライケメンだけど実はヘタレ疑惑あり。
●カスパル:クラリッサの祖父。故人。
今回登場用語基礎知識
●ゲシュヴィスター制度:兄弟姉妹制度。5~10歳の同年代の貴族の子が集まり基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的。




