第60話 お似合いの相手⑥
揺れる馬車の中でフロレンツは言葉を探していた。
胸に渦巻くいろいろな感情をどう伝えたらいいか、考えあぐねている。
クラリッサは結婚を考えていないとカトリンが言っていた。ロベルトが茶化したせいでその真意を聞くことはできなかったが、否定しなかったということはそういうことだ。
いや、茶化してくれてよかった。驚きすぎて、周囲の目も気にせずクラリッサを問い詰めるところだった。
アルノーとは婚約していたのに、今は結婚を考えていないというのはどういった心境の変化なのだろう。
今は家のことに専念したいというのが、最も好意的な受け取り方だろうと考えつつもフロレンツは胸のざわつきがおさまらない。
だってクラリッサは――過去を思い出し、フロレンツが誰かを理解し、そして……。
フロレンツは彼女が自分を好いてくれているんじゃないかと、勘違いしていたのだ。
(直接聞けたらどれだけ楽か)
フロレンツは王族の言葉がいかに周囲に影響を与えるか、理解していた。クラリッサが幼い頃の彼女のままではなく、王族に対して表向きには忠誠を誓う程度に大人になったことも。
言葉一つ間違えれば、彼女は本心を語らないし、場合によっては意に添わないことも受け入れる可能性がある。勘違いも含めて、だ。
自分の言葉の影響がわかっていながら、どうしても言ってやりたいこともあった。
それを言うべきか、言わないほうがいいのか、考えれば考えるほど腹の奥がぐるぐるとひっくり返るような思いで、他のことに意識を向けられない。
だから、帰りの馬車の中は静かだった。お互いに何も言わないから。
「警戒心がなさすぎる」
ついに転がり出た言葉は、フロレンツの想像をはるかに超えて冷たく響いた。その冷ややかさに触れたように、フロレンツの隣でクラリッサの身体がプルリと震える。
また、怖がらせたに違いない。弁解の言葉を探したとき、クラリッサが口を開く。
「警戒心もなにも、話しかけられただけだしダンスはちゃんと断ったつもりだし……」
「あれは有名すぎるほど有名なプレイボーイだ、ロベルトなんか目じゃないほどの。話しかけられた時点で無視してもいいレベルだ」
(違う、そうじゃない)
一度口から飛び出した言葉は、フロレンツの意志だけでは止められない。堰を切ったように、雪崩を打ったように滑り出た。
対してクラリッサは不服そうに頬を膨らませて、まるでフロレンツを睨みつけているかのようだ。
「こういった場には滅多に出ないので存じ上げません。それに、田舎の弱小貴族がエルトマン家の夜会に招待されるような家格の方を無視するなんて無理です」
「プレイボーイに対しては許される」
「そんなマナー聞いたことない」
「俺が今決めた」
「そんな無茶苦茶な……」
ため息交じりの呆れかえったクラリッサの声に我に返る。
一体何をしているんだろう。クラリッサと喧嘩をしたいわけではないのに。
「そうだな、すまない」
確かに言い訳もできないほどの無茶苦茶を言った。フロレンツは頭を掻きながら俯いて口を閉じた。
もう、クラリッサが許しを与えてくれるのを待つ以外にない。または、全てを忘れて機嫌を直してくれるのを待つか。
まるで生死を分かつ神判を待つような気分で、ただひたすらクラリッサの様子を肌で伺った。
「ふっ……。あっははは! 今日のフロレンツは何か変だよ、大丈夫? も、可笑し……」
隣で笑い転げるクラリッサに、フロレンツは全ての罪が許されたような心持ちで静かに息を吐いた。細く長い息を吐き終えると、今度は急に照れくさくなってやっぱり口を噤む。
クラリッサが不機嫌になると不安になって、クラリッサが笑うともっと笑ってほしいと思う。彼女が笑うなら道化を演じるのも悪くないんじゃないかとさえ――。
そういえば、と今夜の会場を思い出す。
フロレンツが到着したとき、クラリッサは笑っていなかった。従弟と親友と共にいたにもかかわらず、随分と動揺した様子だった。それに、だ。
「なぁ」
「はい」
「警戒心と言えば、ビアンカ嬢だったか……相手が俺だったから良かったようなものの、淑女からダンスに誘うのは軽はずみすぎる。何か理由があるんだろうが、ちゃんと言っておいてやれ」
貴族の社会はいつまでも古い思想が根付いているものだ。
若い世代ではダンスを女性から誘うのも、帰りを送ってほしいとねだるのも、なんら問題ないと考えるのが多数だ。しかし、高位の貴族になるほどその手の風潮にはまだまだ厳しい。
ビアンカの行為は、場合によってはふしだらだと捉えられてもおかしくなかった。
「……乙女だから」
「乙女なら、あんな直接的に誘わないだろう」
一瞬だけ目を真ん丸にしたクラリッサが、瞳に戸惑いを浮かべながら苦笑した。
「地味に鈍感なんですね」
「は?」
なぜ自分がこのタイミングで不名誉な烙印を押されたのか、フロレンツにはさっぱりわからない。
(いや、ちょっと待ってほしい。むしろ気配り上手だったターンだろう、今のは)
ビアンカの行為を責めず、問題にもせず、親友であるクラリッサからそれとなく注意したほうがいいとアドバイスしたにすぎない。かなり紳士的でスマートな行いでは?
なんなら、褒めてほしいくらいだというのに。
捉えどころのない笑みをひろげていたクラリッサが、ふとカーテンの隙間へ視線をやってパチパチと瞬きをした。
その視線を追ってフロレンツもまた窓の外を見るとそこには、パブからずらずらと外に出てくる人々の姿があった。彼らは一斉にフロレンツたちの乗る馬車を見上げるが、街灯に照らされる表情は一様に厳しい。
「なんだか怒ってるみたい」
ぽつりと呟いたクラリッサに我に返り、フロレンツは慌ててカーテンをしっかりと隙間のないよう閉じた。
「民の不満はいま、貴族へ強く向けられているらしい。豪奢な馬車は貴族の代名詞だからな。王家の馬車で来たほうがまだマシだったかもしれない」
「彼らの不満はこんなに高まってたんですね」
「だが正しい不満だ。ギーアスターのしたことは結果的に貧富の差を目に見える形で突き付けた。例えば茶葉や麝香を一般に流通させたが、ほとんどの民にとってあれは高すぎるんだ」
彼らが横流しした武器の一部は、国内の荒くれ者の手にも渡っている。その被害の多くは民衆から出ているだろう。
希望だと思っていた真昼の星でさえ、貴族の手先だったのだ。いつ火がついてもおかしくない。
「貴族であっても滅多に買えませんから、あれは。でも民の目には貴族なら誰でも好きなだけ買える資産があると映るでしょうね」
フロレンツは深く頷いてから瞳を閉じる。
クラリッサの一挙一動についつい感情を動かされてしまうが、やるべきことはやるべきこととして対処しなくてはならない。
「彼らには希望が必要だ」
クラリッサからの返事はなかったが、座り直した気配に彼女が同意した空気を感じ取れた。
同じことを考えながら揺られる馬車は居心地がいい、と思った。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。最近は令嬢レベルが上がって来たと自画自賛している。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。ゲシュヴィスター制度の研究という名目でいろいろ暗躍中。
名前だけ登場の人
●カトリン:オスヴァルト伯爵家末女。もちもち。空気読めない?
●ロベルト:エルトマン公爵家長男。チャライケメンだけど実はヘタレ疑惑あり。
●アルノー:バルシュミーデ子爵。クラリッサの元婚約者。42歳。
●ビアンカ:アウラー伯爵家長女。クラリッサの親友。フロレンツのファン。




