第59話 お似合いの相手⑤
フロレンツが近づくと、やはり人混みは地割れでもしたかのようにその行く道を作る。
あれほど近寄りがたかったロベルトとカトリンの前に到着するまでに、ただの一度も障害になるものはなかった。
ふわふわと笑うカトリンはとても幸せそうだ。飄々として見えるロベルトでさえ、いつもよりずっと本当のロベルトの顔で笑っているように見える。
以前カトリンのことをアメリアは「空気が読めない」と形容した。だが一方でロベルトは空気が読めすぎる、とクラリッサは思う。
(お似合いってこんな感じなんだろうなぁ)
自由気ままなカトリンをロベルトがいなしたり、または煽ったりしてその場の空気を自在に変えていく。気が付けば、彼らの周囲にいる人はみんな笑顔でふたりの虜になっているのだ。
プライベートな空間では逆に、いつも気を遣い過ぎて疲れるだろうロベルトを、きっとカトリンの自由さが癒したり勇気づけたリする。お互いがお互いにふさわしい人物、に見える。
「クラリッサはさ~、結婚とか考えてないって言ってたじゃん?」
「へっ? ……あ」
クラリッサは突然振られたカトリンからの話題に、そうだっけと慌てて記憶を探る。
そういえば誰と結婚したいのかと問われて、驚いてきゅうりを喉に詰まらせたことがあった気がする。もちろん、それもカトリンの質問だったはずだ。確かに空気を読むつもりがない子なのだろう。
「えー、そうなんだ? あっわかった! 俺チャンに操を捧げようとしてくれてるんでしょーいやー残念だなー俺チャンもうカトリンのものだからなー」
「そんなわけないじゃん。クラリッサは~、ロベルトのことなんてなんとも思ってないよ」
「う、うん。そうだね、友達でいるのがギリかな」
「マジ? うわぁショック。それに割と辛辣」
「いや、俺もそれは正当な評価だと思うがな」
ロベルトがオーバーなリアクションでショックを受けている横で、カトリンがきゅっとクラリッサをハグした。……ように、周りからは見えただろう。
「これが好きって気持ちなんだって教えてくれてありがとう。応援してるから、きっと結婚してね」
「カトリン……」
耳元で囁いてクラリッサから身を離したカトリンは、月下で咲く花のように大人びた瞳で笑った。
「アタシ、幸せだから」
「うん!」
クラリッサは返事をする以上のことが言えなかった。嬉しすぎて言葉が見つからなかったのだ。
と同時に、心の奥の切なさがまたひとまわり大きくなった気がした。
(きっと、結婚なんて夢を見るのも難しいよ)
少し遅い反抗期だったフロレンツは、社会に巣食う貴族の悪事に気づいて国のためにそれを正すことにした。
努力が実って彼の目標はもうすぐ達成されようとしている。この成功体験が彼をきっと人間的に大きく成長させて……だから王族としての責務の一つである結婚も、受け入れるようになったんだろう。
小さな頃から根っこは真面目なフロレンツだ。きっと、国の発展または維持に最も効果的な人を相手に選び、そしてその人を誠心誠意大切にするに違いない。
クラリッサは今、被害者という立場を利用して彼の隣に立つ権利をほんの少し借りているだけだ。
ロベルトとカトリンは互いに相応しい相手を見つけたと言える。
ではフロレンツにとって相応しい相手とは?
(私には、フロレンツの横に立つための武器がなにもない)
少なくとも、冤罪を証明してどうにか復権できる程度の家柄の娘ではない。12年の政界のブランクを、貴族は許さない。
それにこのバジレ宮での生活で付け焼き刃的にマナーを覚えたような、にわか令嬢なんてお呼びでない。それだけは、わかっているのだ。
「どうした?」
ロベルトとカトリンの元を離れると、フロレンツがクラリッサの顔を覗き込んだ。
考え事をするうちにぼんやりしていたらしい。
「ごめんなさい、ちょっとぼうっとしてしまいました」
「久しぶりの夜会だから疲れたんだろう。向こうで少し休んでるといい。俺もペステル卿と話を終えたら帰るから」
「ふぁい」
フロレンツの指し示した壁際のベンチに腰かけて、華やかな会場を眺める。
若いご令嬢たちは、やはり遠巻きにフロレンツを見つめながらキャッキャと楽しそうに会話していた。
もしかしてビアンカを応援するべきなんじゃないだろうか、という考えが頭をよぎる。
フロレンツが本当に前向きになったなら、全てが政治色で染められた結婚よりも少しくらい心が踊るような、幸せだと笑えるような結婚であってほしい。
それならば、フロレンツの一押しさえあれば婚約者候補として名を連ねることができる女性たちを応援したっていいのではないだろうか。最後に選ぶのはフロレンツだから――。
フロレンツが選ぶ結婚相手としての条件さえ満たせない、どうあっても選ばれないという事実が、クラリッサの気持ちを鉛でも飲んだみたいにひどく沈ませた。
「はぁ……」
「おや。悩み事ですか、可愛らしいお嬢さん。よければお話聞きますよ」
蝶が舞うように軽やかな声がしてクラリッサが顔を上げると、覚えのない男性が穏やかに笑っていた。
クラリッサよりもいくつも年上に見え、大人の余裕がその穏やかさを作っているかに感じられた。
「えと……」
「こんなにも美しい顔を曇らせるなんて、いったいどんな悩みでしょう。ああ、一曲いかがですか? 踊ったら少し気分が持ち直すかも」
「いえ、今日は――」
「まあそう言わずに。気分転換になりますよ」
男がクラリッサにぐっと近づいて、腕を伸ばす。
手を取られるかと体を強張らせたとき、その伸びてきた腕を掴む手があった。
「至急の用事か? ならば、俺が代わりに聞こう」
「で、殿下! い、いえいえいえいえ、何も、なにもありません」
頭のてっぺんから情けない声を出した男に、大人の余裕は感じられない。
フロレンツはもう男を視界に入れることもなくクラリッサを立たせ、腰に手をまわした。その親密な空気感に驚いて一瞬だけ固まったクラリッサであったが、すぐに気を取り直した。
これは男に対する威嚇行動だ。クラリッサの身を守るための心遣いに感謝しなければならない。
「待たせたな、こっちの用事は全て済んだ。帰るぞ」
「あ。私ユストゥスやビアンカに挨拶を」
「問題ない」
フロレンツが顎で指し示した先では、ユストゥスがこちらを向いてにこやかに手を振っている。
ビアンカの姿は人混みに隠れていて、その表情を見ることは叶わなかった。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。最近は令嬢レベルが上がって来たと自画自賛している。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。ゲシュヴィスター制度の研究という名目でいろいろ暗躍中。
●カトリン:オスヴァルト伯爵家末女。もちもち。空気読めない?
●ロベルト:エルトマン公爵家長男。チャライケメンだけど実はヘタレ疑惑あり。
名前だけ登場の人
●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。意地悪。父を見限ってクラリッサ派に。
●ユストゥス:グレーデン伯爵家長男。クラリッサの従弟。イケメンに育った。
●ビアンカ:アウラー伯爵家長女。クラリッサの親友。フロレンツファン……本気かもしれない。




