第54話 観察、そして勝者を見極める④
ヨハンの突然の告白にアメリアが真っ赤な顔で部屋を飛び出してから、夕食の準備をどうするべきかと侍従が三度確認に来るほどの時間が経過したころ。
クラリッサとフロレンツの目の前には、ヨハンが持ってきた帳簿が所狭しと開いて並べられていた。
「まさか、検品書類も定期的な棚卸表もしっかり保管していたとはな」
「検品書類は通常の業務の一環に。棚卸表は……恐らくギーアスターが利益を独占しないようどれだけ持ち出したかを確認するためでしょう」
ヨハンはこれを自宅で見つけて、こっそり自分の蔵書に紛れ込ませていたのだと言う。
クラリッサは、正確性を重んじるらしいベンノ・ハーパーの仕事に苦笑した。仲間の抜け駆け防止が証拠を残すことにつながるとは。
「事件が過去のものになってなお、なぜ証拠になり得るものをとっておいたのでしょう」
「ギーアスターが裏切った場合に備えてだろう。幸い、これを盾にするような機会はなかったようだが」
フロレンツの言葉に頷いて、ヨハンが後を続ける。
「私は自分の静かな環境さえ保証されればなんでも良かったんですけどね」
「でもおかげでお祖父様の無罪が証明できます! ありがとうございます!」
これらの書類があってもなお、グンターだけは決定的かつ物理的な証拠がない。
だが、状況証拠はすべて彼が黒幕であることを示していると考えられるし、何より検品書類が見つかったおかげで少なくともカスパルの無罪はしっかり証明されたのだ。
クラリッサがとっておきの国宝でも扱うかのように書類を矯めつ眇めつしていると、ヨハンは目を丸くして問いかけた。
「怒らないのですか? なぜもっと早く持って来なかったのかと。私はこれを何年も前に見つけていて、アイヒホルンを助けられるとわかっていながら放っておいたのですよ」
「んん。それはそうなんですが……」
クラリッサは言葉に詰まった様子で視線を彷徨わせた。なんと言うべきか考えながら言葉を紡ぐように、一語一語をはっきりと発する。
「ヨハンの責任ではありませんから。物事には優先順位があります。ヨハンにはヨハンの守りたいものがありますよね。それと引き換えにしてでも他者を救ってほしいなんて言えません。
それにこうして持ってきてくれたじゃないですか!」
「それは貴女が……貴女が私を『辛そう』だと言ったから」
「へ? あ、あれは。偉そうにごめんなさい」
「いえ、おっしゃる通りだったんです。私はこれらを見つけたときにアメリアを諦めました。
だってそうでしょう。アメリアに求婚するということは、ギーアスターの罪を受け入れ、場合によってはそれを手伝う可能性があるのを受け入れるということです。
そんなこと、ハーパー家としても恐らく反対するでしょう。それに私自身、犯罪の片棒を担ぐのはごめんでした。でもアメリアがこれからどうなるかを考えると……」
武器の密輸についてハーパー家は関わっていないはずだとヨハンは言う。きっと、12年前の横領事件を機にギーアスター家とは距離をとっているのだろう。
ヨハンがアメリアと結婚すれば、確かにハーパー家はギーアスター家と縁を持つことになる。そこで12年前のことを持ち出されれば、ハーパー家はかなり苦しい立場になることは容易に想像できる。
(でも、アメリアを愛しているからこそ、書類を表に出すことはできなかったんだよね。ずっとひとりで彼女を守ってきたんだ)
自嘲気味に笑ったヨハンが冷たくなった紅茶を喉に流し込み、フロレンツは穏やかな眼差しでそれを見つめた。
「ハーパー家への追及は免れないだろうし、要職につけることも難しいだろう。だが、証拠の提出とギーアスター関与の証言を条件に貴族位は保持できるよう取り計らう」
「十分です。どのみち、私が継ぐ家ではありませんし。父も従うことでしょう」
クラリッサは、幼い頃のおままごとを思い出していた。
クラリッサがお母さんでフロレンツがお父さん。アメリアがお姉さんでヨハンがお姉さんの恋人、という配役で始まったごっこ遊びは、アメリアが怒り出したことで頓挫した。
お母さん役をやりたがったアメリアがクラリッサと役を交代したら、フロレンツとヨハンも交代してした。それがアメリアの気に障ったのだ。
でもヨハンはすぐに彼女を笑顔にしてしまった。まるで魔法を使ったみたいに。
ふたりが昔みたいにまた仲良くしてくれたならどれだけ嬉しいだろう、とクラリッサがニヨニヨしていると、フロレンツがその頭を優しく小突いた。
「ごめんなさい、なんでしたか?」
「アイヒホルンの代表として、議会にはボニファーツ卿に出席してもらう。例の事件についてはまず間違いなく無罪を勝ち取り、爵位その他の復権も叶うだろう。
だが、ゲシュヴィスター制度改革の旗振りは、リサ、君がやるんだ」
「えっ」
「家を建て直すんだろう? 教育制度について最も造詣が深いのはアイヒホルンだということを見せつけてやれ。これから席が空く文部省に、アイヒホルンを推すためにな」
「そっか……」
フロレンツの言葉にクラリッサも真剣な表情を覗かせる。
グンターが失脚すれば文部省の大臣の席が空く。その席をめぐって恐らく多くの貴族があらゆる手を使うようになるだろう。
アイヒホルンがそこへ滑り込むためには、爵位を取り戻すだけでは足りない。建国以来、この国の教育について最も尽力してきた家がどこであるかを知らしめる必要があるのだ。
「手伝うから」
「ヨロシクオネガイシマス」
ふとした瞬間だけ見せる優しいフロレンツスマイルを直視したクラリッサは、ぎゅっと心臓を抑えて深呼吸を繰り返した。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●ヨハン:ハーパー伯爵家の次男。本の虫。ひとりが好き。プロポースが下手。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。
名前だけ登場の人
●アメリア:ギーアスター家長女。意地悪。縦巻きロールがチャームポイント。
●ベンノ:ハーパー家当主。ヨハンの父。財務省大臣。
●グンター:ギーアスター家当主。アメリアの父。元監督省大臣、現文部省大臣。
●ボニファーツ:クラリッサの父。アイヒホルン男爵家当主。
今回登場用語基礎知識
●ゲシュヴィスター制度:兄弟姉妹制度。5~10歳の同年代の貴族の子が集まり基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的。




