第53話 観察、そして勝者を見極める③
アメリアとふたりでクスクスと笑い合ったところで、クラリッサは廊下に立ったままかもしれないフロレンツを思い出した。
カルラが確認したところ、フロレンツは律儀に待っていたらしい。
ホッとした表情で部屋へ入ってくる様子がアウラー家の忠犬ジルとシャルルを思い起こさせて、クラリッサは笑わないようにするのに苦労した。
静かに入って来たフロレンツの真正面にアメリアが立って、空気がピリリとしたものに変わる。
「見聞きしたことは全てお話します。必要に応じて証言にも立ちますわ」
「本件に自分は一切の関係がないと?」
クラリッサは、アメリアがついさっき「ギーアスター家には謝って済むことはほとんどない」と言ったのを思い出した。これが彼女なりのケジメの付け方なのかもしれない。
大きく息を吸って、ゆっくり吐き出して。何かを振り切るように、アメリアが頷く。
「わたくしが、貴方のお心を射止めることができなかったせいで父が暴走したというなら、わたくしにも責任の一端はありますかしら」
クラリッサの胸がぎゅっと締め付けられた。とても切ない懺悔だ。
フロレンツは「そうか」と一言だけ呟いて口を閉ざし、それを見てアメリアはまた小さな小さな溜め息を吐いた。まるでそれは最後にかろうじて残った希望の火の消える音のようだった。
アメリアは無表情で背後を振り返って、窓辺へと歩いて行った。空はいつの間にか上の方が暗くなっている。
「元々バジレ宮での集まりは、何も知らない方々から好色な目で見られてましたでしょう。奇術の舞台の件は平民まで広く知れ渡って、バジレの外聞をさらに悪くしましたわ。
義賊と持ち上げられている『真昼の星』がバジレの解散を訴えれば、民意が大きく動くことは必定。王子など造作もない、と父は言いましたの」
アウラー家のジルとシャルルは最初から忠犬だったわけではない。犬を躾けるには多くの飴と少しの鞭を的確に使うことが必要だ。
グンターはアメリアがフロレンツと婚約できたなら、彼を懐柔できると考えたのかもしれない。
だがそうはならなかった。
そして信頼関係の構築に失敗した犬に言うことを聞かせるには、さらに強い力で押さえつけるしかない。
喉笛を食いちぎろうとする相手を押さえ込み続けるのはきっと大変だ。
グンターは、フロレンツがいつ真実に辿り着いて牙を剥くかと怯えていたことだろう。
(でもこの人は、犬じゃない。たぶん、狼だから――彼が心を許した誰かにしか、きっと彼を動かすことはできないんだよね)
「わたくしは、父が『真昼の星』のような犯罪者と繋がっていることより、わたくしの仕出かした事件すら利用したことにびっくりしてしまいましたの。親として叱責するのではなく。わたくしもまた、道具でしかなかった」
部屋をシンと静寂が包んだ。
クラリッサは、この空気をどうにかする技術も、アメリアにかける言葉も持ち合わせていない。
静かな室内では誰も動かず、誰も言葉を発さずに時計の秒針だけがチッチと周回する。
しばらくして紫色の空を小さな鳥が一羽横切ったとき、アメリアはまたフロレンツの前まで歩を進め、クラリッサにしたのと同じように深々と頭を下げた。
「では、ごきげんよう」
顔を上げたアメリアは悲しく笑って、フロレンツの横をすり抜けた。
カルラが彼女のために扉を開くと、ひょろりと細長い人影がその行く道を塞いでいた。
「……入ってもよろしいですか?」
「え、ええ。もちろん」
ノックをしようとしていたらしい右腕を下ろして、目の前のアメリアを、そして部屋の奥にいるフロレンツを順番に見てから、ヨハンはクラリッサにそう問うた。
あまりにも神がかったタイミングに、クラリッサはは考える間もなくほとんど反射的に入室を許可してしまう。
フロレンツは一瞬クラリッサを睨んだが、クラリッサは気づかないふりをしてそっぽを向いた。
「ちょっと、さっさと入るかどくかしてくださらない?」
「いえ。アメリア、貴女も同席してください」
「は?」
予期しない言葉にアメリアが動きを止め、呆気にとられるカルラもそのままにヨハンがフロレンツの前まで歩を進めた。
(これは、帳簿……かな)
胸に抱える数冊の分厚い本を、フロレンツに見えるよう抱え直す。
「あなた方がいま最も欲しているものをお持ちしました」
「望みは」
腕の中にあるそれが何なのか、フロレンツにはピンと来たらしい。クラリッサが首を傾げる前で、淡々と話が進められていく。
「最低限、私が静かに思索を巡らせることのできる環境と――アメリアを守れるだけの、ハーパー家の権威の保持を」
「家の名は守りたいと? だがどちらにせよお前が継ぐわけじゃない」
「ええ。ですが、奪爵された家の出では食い扶持を稼ぐのも難しくなりますから」
「……話は聞こう」
フロレンツはヨハンにソファーをすすめ、自身はクラリッサの横へと身を滑らせた。
勧められるままにヨハンがソファーへ腰を下ろそうとしたとき、クラリッサと同様に、またはそれ以上に混乱しているらしいアメリアが声をあげる。
「ちょ、待ってちょうだい。わたくしを守るってどういう――」
ヨハンは静かに帳簿をテーブルへ置き、未だ扉の前に立つアメリアを振り返った。
「相変わらず察しの悪い人ですね、貴女は。結婚してくれと言っているんです」
「は? わたくしはたった今失恋したところで」
「だから言っているんです。弱みと傷心につけこむのは交渉の基本でしょう」
「あのね、そういうところが腹が立つって昔から……」
「痴話げんかなら他でやれ」
長くなりそうに思えたヨハンとアメリアの攻防戦は、フロレンツによる鶴の一声で一旦の終わりを迎えた。
ただクラリッサには、アメリアの表情がいつもよりずっと自然に見えて、不思議と胸が温かくなっていた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●アメリア:クラリッサの幼馴染。アウラー家の長女。意地悪。フロレンツが好き。
●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。
●ヨハン:ハーパー伯爵家の次男。本の虫。ひとりが好き。
名前だけ登場の人
●グンター:ギーアスター家当主。アメリアの父。元監督省大臣、現文部省大臣。
今回登場用語基礎知識
●ゲシュヴィスター制度:兄弟姉妹制度。5~10歳の同年代の貴族の子が集まり基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的。
●真昼の星:近頃うわさの義賊。




