第49話 真昼の星⑤
黒髪の男がクラリッサの体に触れようと屈みつつ腕を伸ばしたとき、大きな音をたてて出入り口の扉が開いた。きっと無事ではないだろうと思わせる破壊音とともに。
男たちは一瞬身体を強張らせたものの、すぐにクラリッサから離れた。
金髪の男は身を屈めて隠れながら室内の隅へと素早く移動し、黒髪の男は先ほどまで自分たちが座っていたテーブル席へと大股で近づいて、剣を手に取る。
それらの動作を流れるように終えた頃、大きく開いた扉から一人の男がゆらりと入って来た。
薄暗い店内からだと、それは逆光となってよく見えない。ただ、入って来た男の様子がおかしいことだけは確かだった。何をするでもなく何を言うでもなくぼんやりと立ったままの男は、突如として嵐を呼びそうなピリリとした空気がある。
何が起こるかわからない不安にクラリッサの心臓がばくばくと大きく動く。
少なくとも、被害者を救出に来た警ら隊には見えず、クラリッサは唇を噛んだ。ただでさえ逃げ道すら見いだせないようなピンチだというのに、と。
「え――ッ!?」
新たに入って来た男はぼんやり突っ立って、そしてゆらりと……倒れた。倒れる途中に見えた表情は虚ろで、彼が最初から意識など持っていなかったことが伺える。
そして倒れた男の後ろに、さらにもう一人、男がいた。
同じように逆光でその姿はシルエットしか見ることができないが、しなやかな動きで一歩進むごとに光が彼を縁取り、髪がキラキラと輝いた。
顔が見えなかろうと、クラリッサが彼を間違えることはない。
トクトクトクと速度をあげる心臓を落ち着かせるため、ゆっくり深呼吸をする。
一方で黒髪の男が慌ててクラリッサの方へ大きく一歩近づいて、その頬へ剣の切っ先を突き付けた。剣術の嗜みがないのか、だいぶ慌てているのか、クラリッサは小さく息を吐いて安堵した。この位置関係ならば剣は脅しにならない。
フロレンツはゆっくりと店の中ほどまで歩を進め、その姿を店内のランプが照らして紺碧色の瞳までよく見えた。
彼の背後では金髪の男が静かに忍び寄り、懐から拳銃を取り出す。クラリッサはそれを見て、出しかけた声を無理やり飲み込む。
拳銃が相手では、背後の男の存在を知らせるのは逆効果になりかねない。クラリッサの背中を冷たい汗が流れた。
「武器をおろせ」
黒髪の男が叫ぶ。その言葉でクラリッサはフロレンツの手にもまた拳銃があることを知った。白地に金で鮮やかな装飾の施されたそれは、背後の金髪が持つそれよりもずっと頑丈で高威力に見える。
「どう考えたって俺に分があるというのに、なぜおろす必要が?」
重厚で耳当たりのいい滑らかな声が、ほんの少しだけ相手を馬鹿にするような空気を纏って響いた。
「寝言は寝てからにするんだな。それとも、とっておきの王子様ジョークだったか?」
フロレンツは黒髪の男の言葉を華麗に無視してクラリッサに視線を向ける。優しい、だが傷ついたような悲しそうな目に見えた。
彼の背後に近づく男が気になりながら、でもフロレンツに無事だと伝えたくて、クラリッサは懸命にその目を見返した。私のことは大丈夫だからと伝えるために。
「待たせたね。もっといろいろおめかしをした方がいいかと思ったんだが、ホルガー卿に必要ないとアドバイスをもらったんだ」
クラリッサは大きく頷いてみせる。フロレンツの言葉は『もっといろいろ装備を固めた方がいいかと思った』という意味だと理解したからだ。
ホルガーは幼いクラリッサに護身術を叩き込んだ人物だが、その信頼に少し心が軽くなる。期待を裏切らないよう、せめてフロレンツの足手まといにならないくらいには動かなければならないだろう。
(フロレンツが来ただけで、もう全然怖くない。もう大丈夫って安心感しかない。すごい)
視界の隅で金髪の男がフロレンツに向けて銃を構えるのが見えた。再会を喜んでいる時間はないらしい。
さあ、反撃開始だ。
クラリッサは回転するように反動をつけて、思い切り立ち上がる。後ろ手に握っていた椅子を、回転の勢いを乗せて黒髪の男の手に叩き付けた。
不意をつかれた黒髪の男が握っていた剣を取り落とし、慌てて拾おうとしゃがんで手を伸ばす。クラリッサはその顔面めがめて別の椅子を蹴り上げた。
同時に別の場所では拳銃の発砲音と、一瞬遅れて男のくぐもった悲鳴が聞こえてきた。
黒髪の男から距離をとりながらクラリッサがフロレンツの無事を確認すると、フロレンツは背後にいたはずの金髪の男の腕を、本来なら曲がるはずのない方向へパキっと曲げている。
そのまま相手の身体を床へ叩きつけて背中にのしかかると、金髪の取り落とした拳銃が床を滑ってクラリッサの足元まで飛んできた。縛られた手では拾えないため、男たちからより遠いほうへと蹴り飛ばす。
「てんめぇ!」
黒髪の男が剣を手に立ちあがって、クラリッサのほうへ一歩足を踏み出した。が、既にフロレンツの構える銃口が彼を狙い、カチリと音を響かせる。
動きを止めた男の舌打ちは白旗に違いない。
「ほら。言ったとおり、俺に分があった」
勝利宣言と同時に警ら隊が乗り込んで来て、あっという間に犯人たちを拘束してしまった。
フロレンツは足早にクラリッサの傍へやって来て、手と口の拘束を解いていく。自由になった手首には、くっきりと赤く跡がついていた。しばらくは痣になって残るだろう。
「ありがとうございます」
「よかった……」
フロレンツがぎこちなく、だがしっかりとクラリッサを抱き締める。クラリッサはその温もりに包まれて強張りが解け、やっと足が震え出したのを感じた。
「もしリサに目隠しをしてたら後ろの男に気づけたかわからないな。……いや、でも目隠ししてたら生かしてなかったか」
不穏な呟きに苦笑しながら、クラリッサのそれと同じ速さで胸を叩くフロレンツの心臓の音に耳を澄ませた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。
名前だけ登場の人
●ホルガー:アウラー家当主。武官省大臣。昔からよくクラリッサの面倒を見てくれる人。




