第48話 真昼の星④
静かに店内に入って来た男にクラリッサは見覚えがあった。ありすぎるほどだ。薄い水色の瞳は相変わらず感情が読めない。
「グンター様……」
グンター・ギーアスターは男たちの座るテーブルの真ん中に重そうな革袋をゴトリと置いた。
にやりと笑った男のひとりが早速袋を開けて中身を確認し、1枚取り出して矯めつ眇めつ眺める。
「グラセアが発行した銀貨だ。残りはグラセアに渡ってから受け取れるよう手配してある」
男たちが顔を見合わせて頷いた。逃げると言っていたその逃亡先は国外だったらしい。どおりでこの国に混乱をもたらしても平気な顔でいられるわけだと、クラリッサはスンと鼻を鳴らした。
グンターがじろりと床に座るクラリッサに目を向ける。
「なんだ、まだ生きてるのか」
「俺たちゃ殺しはやんねぇよ」
「息の根を止める必要はない。女の殺し方なんて他にもあるだろう」
「なんでこんなことを」
男たちの下卑た笑いに耳を閉ざして、クラリッサはグンターに問いかけた。感情が読みづらく日頃から怖そうに見える人物ではあるが、床から見上げると一層の威圧感を覚える。
「わざわざ君の顔を見るためにこんなところまで来たんだから、少しくらい話をしてやろうか。こんな元気な顔を見たかったわけじゃあないが、まあよろしい」
グンターが手近な椅子に腰かける。男のひとりが酒をいれようとするのを手で制し、クラリッサの方を向いて足を組んだ。
彼が一体どんな話をするつもりなのか、一言一句聞き漏らさないようにしなくてはならない。クラリッサは彼の薄い色味の瞳をしっかりと見つめて、言葉を待つ。
「私の先祖はグラセアの流れを汲んでいてね……。君、グラセアの歴史は知ってるかね」
「騎馬民族に追われて移動を始めた民です。農耕民族で、移動した先の慣れない土地での収穫量が減り、その土地へ残る者とより良い土地を求めて移動を繰り返す者とがいたと」
「そうだ。そしてついに今のグラセアの土地を奪って根をおろした。弱者は奪われ、強者は奪う。それを知っているのがグラセアの民だ」
クラリッサは隣国の歴史がどのようにして今回の件に繋がるのかわからなかったが、次第に饒舌になるグンターを刺激しないよう、聞き役に徹した。
「別に国を奪おうなどと思っちゃいないが、せっかく築いた財を奪われないだけの強さを求めるのは、悪いことではないだろう。王族に娘を嫁がせるなんて、権力へ近づくための最も簡単かつ最短ルートだ。
……アメリアをフロレンツのゲシュヴィスターにねじ込めたというのに、カスパルのジジイは制度を変えようとするし、君はフロレンツにまとわりつく。本当に邪魔な一族だよ」
クラリッサの頭の中でまた、幼い少女の声が響く。
――フロレンツと仲良くしないとパパに叱られる。
「アメリアの気持ちを考えたことは?」
「ハインリヒとの婚約こそ逃したが、フロレンツに嫁げばゆくゆくは公爵夫人だし、場合によっては子どもに王位がまわってくるかもしれんのだ。何か問題があるかね。……さあ、世間話はここまでだ」
グンターはクラリッサの理解も返答も待たずに立ち上がる。
彼が語ったのは、アメリアとフロレンツを結婚させて王族と縁続きになるのを目論んでいたということ。しかしカスパルやクラリッサの存在が邪魔で謀を練ったという話だ。
それがどうしてバジレを解散させることに繋がるのか?
(もしかして……。フロレンツが調べていることに気づいてる?)
フロレンツはカスパルの無念を晴らすと言った。ホルガーの手紙や彼の言葉を思い起こせば、考えられるのはそれだ。12年前の事件を掘り返して真実を明らかにしようとしている。
彼は黒幕を泳がせたいからと言ってクラリッサに真相について語らなかったが、黒幕はもう自由に泳いだりはしない……!
ゆっくりと出口へ向かうグンターが、振り返って歪に笑う。
「お前たち、出発前にその小娘を好きにしろよ。そうすればあのクソ生意気な王子も気が付くだろう。どっちが強者であるかを、な」
「フロレンツはあなたなんかに負けたりしない!」
叫んだクラリッサの言葉は、グンターの背中に届かないまま虚しく消えていった。さらにその背中さえも、二人の男が立ちふさがってクラリッサからは見えなくしてしまった。
男たちは腰に下げていた剣をテーブルに置いて、じりじりとにじり寄る。
「んじゃ、ビラ配りに行ってる奴が戻るまで遊ぼうか、お嬢ちゃん」
「ワケありで婚約もうまくいかねえって聞いたぜ。バジレじゃ十分遊んでんだろ? 助けは来ねえしたっぷり遊んでやるからな」
「助けは来ないって、どうしてそう言い切れるの」
「監督省もこっち側だからだよ。捜索範囲から除外してんだ」
伸びて来た手が、クラリッサの口にまた布を噛ませた。叫び声はくぐもって響かず、喉が焼けるように痛くなるだけだ。
(監督省……。ロベルトは取り引きうまくいかなかったのかな)
ロベルトはカトリンとの結婚を賭けて監督省の大臣であるベネディクト・オスヴァルト伯爵と話をする手筈になっていた。
オスヴァルトが取り引きに応じるのは間違いないと、フロレンツもロベルトも自信はあったようだが……。
彼らの言う通り、監督省は当てにならない可能性が高い。まだ話し合いにも至っていないかもしれないのだ。
少しずつ近づく男たちから距離をとろうと、クラリッサは足で床を蹴って少しずつ背後へと逃げる。
後ろに縛られた手が椅子の足に触れ、男たちに勘付かれないようそれを握った。この状況をもし打開することができるならコレしかない。
同時にドレスに隠れた足を体に引き寄せて、いつでも立ち上がれるよう準備した。
さあ、深くゆっくり息を吸え。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●グンター:アメリアの父、ギーアスター家当主。元監督省大臣、現文部省大臣。
名前だけ登場の人
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。
●アメリア:ギーアスター家長女。意地悪。縦巻きロールがチャームポイント。
●ロベルト:エルトマン公爵家の長男。仕事のできる一途なチャライケメン。
今回登場用語基礎知識
●ゲシュヴィスター:兄弟姉妹制度として基礎教育を目的に一所に集められた仲間のこと。




