第47話 真昼の星③
――フロレンツと仲良くしないと、パパに叱られるの。だから邪魔しないで!
(誰? なんで泣いてるの……?)
クラリッサが暗闇の中で聞いた幼い声には涙が混じっていた。
声の主を追いかけようとしたが、体中が痛くて動けない。その痛みが徐々にクラリッサの意識を現実に引き戻す。
どうやら固い床に寝かされているようだ。筋肉が軋むような体中の痛みは、殴られたというよりも逃れようと暴れたせいだと考えられる。
うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、埃の積もった床だ。決してお世辞にも清潔とは言えず、遠くをネズミのような何かがちょろちょろと動いていた。田舎で見るよりずっと大きな姿に怖気が走る。
クラリッサは自分以外にも人の気配を感じ、体を動かすのを我慢する。本当なら思いっきり伸びがしたいし、周囲の様子ももっとはっきり確認したいのだが、手は後ろでしっかりと縛られているのでどちらにせよそれは不可能だ。
細く深く、息を吸って吐いてを繰り返し、混乱した頭を落ち着かせていく。
寝ぼけた耳に男の話し声が聞こえてきた。意識を集中させれば会話の内容も理解できるだろうと考え、耳をそばだてる。
クラリッサがこのような状況においても冷静でいるのは、アウラー家の教育の賜物だった。
古くから国を守る要として生きてきたアウラー家は、子どもたちにも小さなうちからある程度の護身術や緊急時の対処法を叩きこむのが慣わしだ。
落ち着いて深く呼吸するのは冷静さを保つため。これが生死を分かつのだとホルガーは口を酸っぱくして繰り返していた。
(ビアンカと一緒に練習させられたときには、なんで私までと思ったけど……まさか役に立っちゃうなんて)
窓から日の光が差し込んでいる。喉はあまり渇いていない。それらの状況から気を失っていた時間はそう長くないこと、劇場からそう遠くには行っていないことがわかる。
目の前には椅子やテーブルの足がたくさんあることから、クラリッサはここが元は飲食店だったのではないかとあたりをつけた。
王都の中心部なら、見つけてもらえるのは時間の問題だろう。いかにクラリッサが弱小貴族でも、捜索くらいはしてもらえるはずだ。
「今回は楽な仕事だよなあ」
「暴れなきゃもっと楽だった。だがまあ、女ひとり捕まえてビラを配るだけだからな」
「侵入経路もお膳立てされて、ここがガサ入れされる心配もなしときた」
気分が良いのか、男たちは隠れる気などないみたいに普通の声量でお喋りに興じている。
どうやらサトセーヌ劇場へ侵入するのを手伝った人物がいるらしい。
確かにクラリッサを攫った男たちは質のいいジャケットを羽織っていたが、あれは警備の目を誤魔化すための衣装だったのだろう。あの程度でも遠目に見たり一瞬通り過ぎたりするだけなら、十分気づくのが難しくなるはずだ。
男たちは飲酒でもしているのか、たまに水音が響く。
「しっかし、バジレを解散しろって言うだけでなんで女誘拐する必要があったんだか」
「そら『真昼の星』さまの仕事はいつだって誘拐から始まるんだから仕方あるめぇよ。それに、王子さまのお気に入りって聞いたぜ」
「あのおっさん、王族嫌いだもんな」
劇場へ男たちを招き入れることができる程度には権力や資産があって、王族と敵対する人物が犯人らしい。
(……そんなのいっぱいいるよねぇ)
クラリッサは犯人捜しより先に脱出経路を探ることが先決だと考えを改め、もう一度周囲を見渡した。
身体を動かさずに見える範囲では、店の正面出入口と思われる扉がひとつ。窓はどれも出入口と同じ方向に4つあるが、豪華なドレス姿で窓からの脱出は現実的ではないだろう。
音を立てないように首をぐるりと逆方向へ向けると、カウンターがあるのがわかった。やはり当初の推測通りバーなのだろう。カウンターの向こうにも部屋ないしキッチンがあるかもしれないが、脱出できるかは怪しい。
「なんだ、起きたのか」
(げッ!)
男の声にクラリッサの身体が強張る。思わず声のした方に目を向けてしまい、ばちばちと目が合った。そこそこの体躯をした中年の男がふたり、丸いテーブルを挟んでグラスを傾けている。
黒髪で短いウェーブ頭の男と、金髪を後ろでひとつに結んだ男だ。劇場でクラリッサを連れ出した人物に間違いない。普段は外で働いているのかよく日に焼けた肌をしている。
「しばらく暇だし、喋り相手になってくれや。ああ、大声出しても、外にゃ聞こえやしねぇから安心しな」
おもむろに近づいた黒髪の男が、やはり緩慢な動作でクラリッサの口にあてがわれた布を引っ張るように外した。クラリッサは口の端に痛みを感じつつ、上体を起こして男たちを睨みつける。
「なんで、こんなこと」
「知らねえよ、バジレ潰せって頼まれただけなんだから。俺たちゃ金貰ってこの国から出ていくだけさ」
ビアンカが手紙で、奇術舞台での一件を「民も知ってる」と言っていたのを思い出す。あまりいい印象ではない、ということも。
それならば民にバジレ宮への敵対行為をさせるのも難しくはないのだろう。
「潰すってどうやって?」
「お貴族様は『真昼の星』って知らんか? 平民の希望の星があってよ、それが『バジレ宮で遊んでんじゃねえ、解散しろ』って王様に訴えるのよ」
「ビラ撒くだけだけどな。最近バジレのいい噂聞かねぇからみィんな怒ってんだよ。ちっと火種放り投げりゃすぐだ」
金髪の男が耳に手を添えて外の音に聞き入る真似をする。クラリッサもまた耳を澄ませたが特に何かが聞こえたわけでもない。ただそれが、民意が動くという意味であることは明白だった。
真昼の星については、奇術の舞台の前にハンスから簡単に説明を受けていたが、クラリッサはその後に自分でも調べていた。どうやら貴族や裕福な商家の子どもを誘拐して身代金を請求し、それで得た金銭の一部を孤児院などの福祉施設に寄付しているらしい。
が、クラリッサは調べてもなお、この義賊の存在に納得がいかなかった。被害にあった貴族も商家も決して悪いことをしていなかったのだ。真っ当に稼いだ金銭を不当に奪われ、民衆からは義賊に狙われるような輩と誹りを受けるなど酷い話だ。
そして今、この「真昼の星」がやはりなんのモラルもポリシーも持たずに動いていることが明らかとなった。
「フロレンツ王子殿下こそ孤児院に少なくない額を寄付している人だわ。あなた方は本当に寄付してるの?」
「まさか。そういう噂をたてりゃ、みんな信じたいように信じるだけだ」
「王子さまが善人かどうかなんてどうでもいいんだよ。雇い主の目的はその王子さまを困らせることにあるんだからさ」
へへへと男たちが笑ったとき、入り口の扉がキィと音を立てて開いた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
名前だけ登場の人
●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー家の長女。フロレンツのファン。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。
今回登場用語基礎知識
●真昼の星:近頃うわさの義賊。




