第46話 真昼の星②
しばらくして、クラリッサはもう一度周囲を見回した。フロレンツがどこへ向かったのか、全体が見渡せるロイヤルシートからなら見えるかと思ったのだ。
階下では多くの人々が出口へと向かっていた。誘導もスムーズで、すぐにも階下は空っぽになることだろう。
厳しく警備されている上階へは、必要なチケット、または特別な許可のある人物でないと上がってくることはできない。
つまりこのロイヤルシートを不作法に訪う人物はいないと考えていいはずで、クラリッサは先ほどまでの夢のような時間を思い返しながら、ぼんやりとフロレンツの帰りを待つことにした。
VIPルームにはいくつかカーテンがしまっている部屋がある。フロレンツはあの中のどこかにいるのだろうか。
(あら?)
クラリッサの視界の隅で何かが動いた。
半円形に設えられたVIPルームは離れた部屋ほど見えやすく、動く何かはいちばん端の部屋にいたアメリアだとわかった。どうもクラリッサに向けて手を振っているように見える。
どこかに知り合いがいるのだろうかと部屋から身を乗り出して左右を確認したものの、確認できる範囲に人影はない。
(え。もしかして私?)
クラリッサが問うように自身を指さしてみると、アメリアは頷いてから大袈裟に思えるほど大きな身振り手振りで何かを伝え始めた。
首を傾げるクラリッサに顔を顰めながら、もう一度ゆっくりジェスチャーを繰り返す。
アメリアをさす指、クラリッサをさす指、ぐるりと円を描く腕。
「こちらへいらっしゃりたいのではないでしょうか」
「なるほど」
なおも首を傾げるクラリッサに、名探偵のカルラが言葉をかけた。
肯定の意を込めて二度三度と頷いてみせると、アメリアもまた頷いて背中を向ける。カルラの推理は正しかったらしい。
その場の勢いでロイヤルシートへの訪問を受け入れたものの、よく考えてもみればアメリアとフロレンツが鉢合わせるのはまずいのでは、と気づく。
彼女は奇術の舞台での事件でバジレ宮からの退去を命じられていて、シュテファニの情報によれば彼女はあれから社交の場に出ていないのだという。
事件当時、フロレンツがどれだけ怒っていたのかクラリッサは知らない。ただバジレ宮から追い出すほどなのだから、生温いものではないだろう。
もちろんクラリッサもいい気分ではないのだが、意識を失っている間に相応の罰がくだったと聞くと不思議と怒りは湧いて来ないものだ。
結局、クラリッサは隣室で話をすることにした。先ほどアメリアの姿を見つけたときに、身を乗り出して左右の部屋が無人であることを確認していたのだ。
部屋の外で彼女の到着を待って、隣室に案内すれば問題ないだろう。
「遠くへ行ってはいけませんよ」
「へいぃ」
まるで母親のようだと苦笑しつつ部屋を出て廊下へ。上階のフロアにいた人々ももうほとんど出払ったらしく、クラリッサから見える範囲に人の姿はなかった。
廊下の壁には流行りの戯曲を描いたと思われる小さな絵画が、その下には彫刻や金細工の芸術品が一定の間隔をおいて飾ってある。
クラリッサが絵画を眺めてうっとりしているうちに、程なくして足音が聞こえてきた。厚みのある靴音は女性のものと思えず、かつ複数の人の気配だ。アメリアではない別の招待客だろう。
ここはVIPルームの並ぶフロアである。クラリッサにとってみれば通りかかる人は誰だって雲上人に違いない。失礼のないようにと音のするほうへ顔を上げた。
(え――)
その視界に入ったのは、質のいいジャケットと着古したボロボロのシャツという、アンバランスな出で立ちをした大きな体がふたつ。
「きゃっ」
唐突に伸びて来た太い腕がクラリッサの口を押さえた。まずいと思ったときにはもう身体を拘束され、宙に浮いたかと思うと視界がぐるりと回転した。
どうにか伸ばした手が当たって絵画が落下し、耳障りな音をたてる。
「クラリッサ!」
男たちが走り出して、肩に担がれたクラリッサの視界では赤い花柄のカーペットが流れていった。その床の一部に、光沢のあるドレスの裾と誰かの足が一瞬だけ映り込む。
次いで揉み合うような音と女性の悲鳴。聞き覚えのあるハスキーな声はアメリアだ。
(これ、誘拐だよね!?)
頭の片隅では不思議と冷静に状況を見る一方で、このままではマズイと焦る心も次第に大きくなっていく。
クラリッサの口には既に布を噛まされていて言葉を発することはできなくなっていた。唸りながらただひたすら暴れ、男の手から逃れようともがく。
移動中、男の肩の上から廊下に飾られた美術品と思われる何かに手を伸ばす。ひとつめは取り落としてしまい、くぐもった重い音をたてて台座から何かが落ちた。
次にクラリッサの手に触れたのはそう大きくない彫像だった。掴み上げて、男の背中に叩きつけると、男が呻いて立ち止まった。
どうにかこの身体を落としてくれないだろうかと願う。手近な部屋に入って鍵をかけることができれば、きっとこの危機を脱することができるのだから。
彫像を再度振り上げたとき、無理な体勢をとったせいか脇腹のあたりに痛みが走って、クラリッサの動きが止まる。
「おい、いい加減にしろ」
その一瞬の隙に、クラリッサが振り下ろそうとしていた彫像をもう一人の男が掴み、取り上げられてしまった。代わりに担いでいた男がクラリッサをおろし、拳を振り上げる。
クラリッサは痛みとともに目の前が暗くなって、崩れるように倒れた。遠のく意識の片隅で、カルラの叫ぶ声が聞こえたような気がした。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●アメリア:クラリッサの幼馴染。アウラー家の長女。意地悪。フロレンツが好き。
●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。
名前だけ登場の人
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。




