第45話 真昼の星①
「大好きなクラリッサ。
教師になるだなんて、本気で言ってるの? 悪くはないけど、やっぱり素敵な結婚も忘れないでほしいな。
だってね、こないだの奇術師の事件、すごい噂になってるの。貴族だけじゃなくて民にまで。もちろん、民からはあんまりいい印象で語られてるわけじゃないんだけどさ。
そこでフロレンツ殿下がすごい剣幕で怒ったんでしょ? そのせいで、クラリッサは殿下のご友人だし五名家のお嬢さんだよねって、若い殿方がざわついてるの。きっとこれからいろんなお誘いが増えると思うんだ。
ていうか、殿下、やっぱり素敵でしょう?
どうして誰とも婚約なさらないのかな。アメリア様は婚約レースから脱落しただなんて、口さがないことを言う人もいるけど。
彼、結婚する気もないみたいだし公の場にも出てこないから、良いトコのご令嬢はみんなヤキモキしてるんだよね。
ああ、忘れるところだった。あの子のことだけど、ゲシュヴィスターを外れてからはクラリッサが何も話さなくなっちゃったんじゃない。
だからよくわかんない。でもさ、誰にも『リサ』って呼ばせないのはあの子がそう呼ぶからだったでしょ! ま、昔のことはいいんだけど。それじゃ、またね。
あなたの親友ビアンカより」
――――
「うわぁすごい!」
「あまり身を乗り出すな。落ちる」
クラリッサの眼前には、隅々まで繊細な細工が施された内装が広がっている。白を基調にした全体の雰囲気は柔らかく、石造りの荘厳な外観との対比が印象的だ。
一般席を囲むように上階に個室のVIPルームが並んでおり、その中でも舞台正面に位置するのがロイヤルシートだ。
原則的に王族専用の部屋となっていて、調度品はもちろん壁紙にいたるまで素晴らしく豪華だった。クラリッサは到着してからずっときょろきょろと忙しくしている。
背後にはフロレンツの護衛騎士が二人とカルラが控えているはずだが、すっかり存在感を消し去ってしまい、二人きりかと勘違いしそうなほどだった。
「今さらですけど、こけら落としのロイヤルシート、王陛下やハインリヒ殿下を差し置いて私が来てしまってよかったんでしょうか」
「本当に今さらだな。だが父も兄も贔屓の劇団が他にあるんだ。俺が来ることになってホッとしてるだろう」
「ならいいんですけど」
二人掛けのソファーはふわふわで、フロレンツが足を組み替えるとその揺れがクラリッサまで伝わってくる。
(これ、なんかデートみたい)
今日だけは、カルラがせっせとクラリッサを飾り立てようとするのを止める気にならなかった。
が、後から気合を入れ過ぎたのではないかと不安になっていたため、豪華すぎるほど豪華な内装は、飾りすぎた自分自身を地味に見せてくれるような気がして安心できる。
「この公演を観にいらしている方々はみんな、どこかで見たことのある方ばかりですね」
「今日と明日は貴族連中が招待されているだけで、一般に公開するのは明後日以降だそうだ」
「なるほど」
クラリッサはそわそわするのを誤魔化すように、階下の観客席や周囲のVIPルームに並ぶ顔ぶれを観察した。
VIPルームの多くはまだカーテンを閉めており、中に誰がいるのかはわからない。しかし階下の一般席に座る人物でさえ、田舎男爵家のクラリッサと比べれば雲泥の差と言える良家ばかりだ。
「なんだか、視線を感じますね。皆さん、フロレンツがいらっしゃるのを珍しがってるんでしょうか」
「……本気でそう思ってる?」
「ご挨拶したがってるとか?」
「間違ってはないが、間違ってる」
フロレンツは大きなため息を吐いて口を閉ざし、それ以上は何も言わない。
何が間違っているのかクラリッサには理解できなかったが、それよりも今後二度と入る機会のなさそうな室内を観察することに忙しかったので、考えることを放棄した。
フロレンツとこんな風にデートみたいな外出ができるのもきっと、これが最初で最後に違いないのだ。楽しまなくてはもったいない。
ワインと軽食がテーブルに並べられてからしばらくすると、場内の照明が落とされて薄暗くなった。いよいよ開演だ。
「泣いてんの?」
「むしろフロレンツはどうして泣いてないんです!?」
「泣き虫なのは変わってないんだな」
「泣き虫だったのはフロレンツじゃないですか」
「今は違う」
バラー座の演目はこの国の人間なら誰もが知っている古典悲劇をアレンジしたものだ。
婚約者である王子が隣国との戦で死んでしまったとの報を受けた公爵令嬢が、身を投げて自死する。だが王子は生きていて……というすれ違いの。
これを涙なしに見られるなんて人の心がないのではないだろうか、とフロレンツを横目に睨んだところ、いつもの無表情が真っ直ぐに幕の下りた舞台を眺めていた。
(実際、この人には普通の人と同じ心なんてないのかも……)
この綺麗な人形のような顔は、感情が表れてないのではなくて、感情がないのかもしれない。そんな風に思ってしまうこともある。いや、あった。
だがクラリッサは確かに、フロレンツの優しい笑みや拗ねた顔、それに声を出して笑う姿をこの目で見ているのだ。
「俺なら信じるし、信じさせる」
「へ?」
「必ず生きて戻ると、信じさせる。生き別れても必ず会えると信じる」
「……ふふっ」
(バカだな、私)
フロレンツに感情がないなんて、あり得ない。感情を隠さないといけない立場だというだけだ。あんなに、素敵で魅力的な表情をたくさん持っているのに。
緑の小さな豆だって克服できないくらい、普通の人と同じなのに。
「ほら、泣くか笑うかどっちかにしろ」
フロレンツが手を伸ばしてクラリッサの目尻を親指で拭い、クラリッサが泣き笑いの顔でふにゃりと頷いたとき、階下がわっとざわついた。
周囲をぐるりと見やれば、階下からもカーテンの開いた個室からも刺さるような視線がある。
「やっぱり、皆さんフロレンツにご挨拶したいんじゃないですか?」
「いやそうじゃなくて――。あ、リサ、しばらくここで待っていろ。すぐ戻る」
「へ?」
クラリッサの言葉に周囲を見渡したフロレンツが、誰かを見つけたらしくパタパタと急いで部屋を出て行った。護衛騎士もまたそれについて部屋の外へ出る。
やっぱり、人の集まるところに出ると大変そうだ。クラリッサはカルラと二人で顔を見合わせ、ふふと笑った。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。
●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。
名前だけ登場の人
●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー家の長女。フロレンツのファン。
●ハインリヒ:フロレンツの兄。王太子。
●アメリア:ギーアスター家長女。意地悪。縦巻きロールがチャームポイント。
今回登場用語基礎知識
●ゲシュヴィスター:兄弟姉妹制度として基礎教育を目的に一所に集められた仲間のこと。




