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第42話 転がる心と緑豆②



 自室へ戻ったクラリッサは、風に乗ってカトリンの声が聞こえてきたのに気づいて窓から庭を眺めた。


 先日と同じようにいつものメンバーが歓談し、それとは少し離れたところでヨハンが日向ぼっこをしながら本を読んでいる。


 視線を室内に戻せば、机の上には書類と手紙の山だ。


(なんか増えたような……?)


 フロレンツを訪ねる前には、レポートを書くだけのスペースを作っておいたはずなのに、それすら埋もれてしまっていた。


「はぁ……」


 あっという間に貴族たちの間を駆け抜けた噂によると、クラリッサは王子殿下が必死になって助けた没落貴族の娘ということらしい。


 間違ってはいないし、クラリッサを通じて王子殿下とどうにか縁を持ちたいという気持ちもわからないでもない。が、多すぎる。


「あら?」


 新しい手紙の山のいちばん上には、アウラー家の使う淡緑色の封筒があった。ビアンカからの手紙だ。


 これは先に読んでしまおうとペーパーナイフを探すが、山に埋もれているのか見つからない。仕方なく、カルラに内緒でフルーツナイフで代用することにした。こちらのほうが切れ味が鋭くて好きなのだが、紙を切るのに使うとカルラに叱られてしまう。


「……げっ」


 クラリッサは封筒を開いて、中身も一緒に切ってしまったことに気づいた。どうりでいつもよりナイフの滑りが重いわけだ。

 慌てて中身を取り出してみれば、ビアンカの手紙は無事だったが、ホルガーからフロレンツに宛てた手紙には多大なる被害が及んでいた。同封された手紙を完全に開封してしまっていたのだ。


(うわぁ、どうしよう。どうしようって言っても素直に謝るしかないんだけど)


 クラリッサはどうにかソファーと一体化して人間を辞めてしまえないだろうかと、テーブルに手紙とナイフを転がしてソファーに埋まった。

 他者の手紙を開封してしまうとは。しかも王子宛ての手紙だ。本当に最悪だ。


 涙目で手紙を眺めているうちに、現実逃避を始めたクラリッサの頭の片隅で「見ちゃおうよ」と囁く悪いクラリッサが生まれた。


(どうせもう開封しちゃってるし。見てないって言ったってきっと信じてもらえないし。信じてもらえたなら、見てもバレないってことだし!)


 これが好奇心というやつだ。

 頭の中の8割がダメだと言っても、残りの2割と体は欲望に忠実だった。好奇心に負けて手が手紙に伸びていく。


(ダメだよ。いやちょっとだけ。だめだめ。でもどうせ叱られるんだし? 他言しなければ大丈夫では? じゃあ……ちょっとだけ)



『――前略、要点だけで失礼する。例の武器の件だがガルドゥーンは黒でした。いまは泳がせていますが確保はいつでも。マイザーも同じだろうが、念のためグレーデン伯に確認を。

 彼らは捕らえた後でつつけば古い話だろうがいくらでも話すだろう。つまり以前お送りした証拠も合わせれば解決できるはずです。

 オスヴァルトのほうは首尾はいかがですかな? そちらが丸ければ無理にハーパーと取引する必要もありますまい。できるだけ刺激しないようにするがよろしかろう』


 クラリッサは読んだ瞬間に読んだことを後悔した。これは恐らく、フロレンツがクラリッサは知らないほうがいいと分類するほうの話だ。


 武器の件というのは、先日の絵画鑑賞会でフロレンツとホルガーが話していたことに違いない。

 そして、オスヴァルトの首尾というのは、昨日ロベルトとフロレンツが話していたことと考えて相違ないだろう。首尾は上々だ。


 では、ハーパーとの取引というのは?


 それに、ガルドゥーンやマイザーの名にはクラリッサでさえ覚えがあった。社交の場に出ないクラリッサは貴族の家名を多くは覚えていない。

 にもかかわらず引っ掛かりを覚えるということは何かあるはずなのだ。すぐには思いだせないが。


「うーん、ここでグダグダ考えてても仕方ないし! 図書室に行こう」


 モヤモヤを吹っ切るように大きめな独り言で自分を鼓舞する。図書室へ行けば貴族名鑑があるはずだ。ガルドゥーンやマイザーについて知れば、何か思い出すかもしれない。



 ◇ ◇ ◇



 バジレ宮の図書室は静かでそこそこの蔵書量がある。国内の貴族のプロフィールが網羅された名簿は直近20年分が収容されていた。

 クラリッサは手始めに最新の貴族名鑑を選んで手近な机に座る。


「ガルドゥーン……。当主はゲレオン様。現在は武官省兵装管理部長。武官省だからホルガー様が何か調査したのかしら。それからマイザー……えっと、アウグスト・マイザー伯爵は官吏省北方管理部長」


 クラリッサは、武官省にも官吏省にもホルガーとハンスの他に知っている人物はいない。ではなぜこれらの名前が引っ掛かったのだろうか。


 ホルガーの手紙をもう一度思い返してみる。『つつけば古い話だろうがいくらでも』とあったはずだ。古い話と言うと、クラリッサにはカスパルの事件しか思い浮かばないのだが……。


「もしかして!」


 分厚い貴族名鑑が並ぶ棚から、13年前、つまりカスパルの事件より前に発行されたものと、11年前、事件後のそれとを抜き出した。

 まずは13年前のほうでガルドゥーンとマイザーの名を探す。ゲレオン・ガルドゥーンは財務省総務部門長。マイザーは財務省財務部門長。


(ああ……ふたりとも、財務省の出身なんだ)


 それから11年前のものを同様にめくっていく。見る前から結果はわかっているのだが、念のため。


「やっぱり……!」


 ふたりとも、事件後すぐに現在の職務へ移っていた。財務省から武官省へ、財務省から官吏省へ。


 この事件では、カスパルの抜けた穴を埋めるためにグンター・ギーアスターが監督省から文部省へ異動している。そして監督省の大臣の後任には、警ら部門長からオスヴァルト伯爵が。


 加えてホルガーの手紙からは財務省のハーパーもまた事件に関わっているか、または何かを知っているということが推測された。



 貴族たちの陰謀や思惑がうごめいているのが見えるようだ。



 武器の密輸に関わっていると思われる人物が、12年前の事件にも関わっている可能性がある。

 12年前、カスパルの起こした事件が冤罪だというなら、つまり?


 クラリッサは胸がばくばくと大きく動きだして息苦しさすら感じ始めた。カスパルが嵌められたという事実が、いま最も現実的に感じられてしまったのだ。


 これは怒りだろうか、不安だろうか。深く息を吸って呼吸を整えようとしたとき、クラリッサの背後に誰かの気配がした。



「おや、クラリッサ。お勉強ですか?」



今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。


名前だけ登場の人

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。

●カトリン:オスヴァルト伯爵家の長女で末っ子。世間知らずのお嬢さん。

●ヨハン:ハーパー伯爵家の次男。本の虫。ひとりが好き。

●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー家の長女。

●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。

●ホルガー:アウラー家当主。武官省大臣。昔からよくクラリッサの面倒を見てくれる人。

●ロベルト:エルトマン公爵家の長男。仕事ができる一途なチャライケメン。

●ゲレオン:ガルドゥーン家当主。何か事件に関わっているっぽい。

●アウグスト:マイザー家当主。何か事件に関わっているっぽい。


今回登場用語基礎知識

●武官省:王国の軍事に関わる全てを掌握。現在はアウラーが大臣。

●官吏省:国政にまつわる人事のほとんどを担う部門。代々グレーデン家が大臣を務める。

●財務省:国家財政および地方行政の監督。現在はハーパー家が大臣。

●監督省:司法および警察権を持つ。国内治安維持など。現在はオスヴァルトが大臣。以前はギーアスターだった。

●文部省:国内の教育、倫理を司る。また、外交も担当。現在はギーアスターが大臣。過去にはアイヒホルンが大臣を担っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うわー、ヤバい手紙開けちゃった! ヤバい手紙開けちゃった! これは知り過ぎたせいで、ピンチになるパターンかっ!? あと、地味にフルーツナイフ使った事もバレて、カルラに怒られそう。
[一言] むしろクラリッサが読むことも想定したうえで手紙を書いた説( ˘ω˘ )
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