第41話 転がる心と緑豆①
今日も今日とて、安静にしておくように言われたクラリッサに予定はない。
午前中こそ、フロレンツから依頼された教師レポートが捗って仕方がないと喜んでいたのだが、昼前にカルラが部屋を訪れてから様子が変わってしまった。
彼女はクラリッサ宛ての手紙を山のように抱えてきたのだ。ありとあらゆる名のある家から、お見舞いの手紙がごっそりと。今まで風邪をひこうが怪我をしようがクラリッサはこんな手紙を貰ったことなど一度もない。
カルラは驚くクラリッサに、フロレンツと接点があるから仲良くしておくべきだと考えているのだろうと説明した。
(わかる、わかるけど……面倒臭すぎるんだけど!?)
ひとつひとつに返事をするのが本当に面倒だ。そもそも、日頃は付き合いのない家名ばかりで手紙で触れるべき世間話のひとつも思いつかない。
そんな山と積まれた手紙の横には、フロレンツから渡された資料の山もある。制度改革の草案作りに必要なもので、山の高さで言えばこちらの方が尋常ではない高さになっていた。
クラリッサは頭を抱えながら、そびえるふたつの山を眺めるうちに、見舞いにしては華美な封書があるのに気づいて手に取った。
「あれ、これは何だろ」
差出人にはベンノ・ハーパー伯爵の名があった。ヨハンの父で財務省の大臣だ。封蝋も間違いなくハーパー家の紋章であり、イタズラの可能性は消えた。
クラリッサが早速開封して中身に目を通すと、そこには観劇への招待である旨の手紙とともにチケットが2枚同封されている。
「カルラ、これ……」
「あら! サトセーヌ劇場ではないですか?」
カルラに言われてチケットをよく見てみれば確かにサトセーヌと記載がある。サトセーヌ劇場は王都の一角に新たに建てられた国立の演劇場で、オープンはまだだったはずだ。
(え、もしかして!)
チケットをさらによく調べてみると、これがこけら落とし公演への招待であることがわかった。
演目は、最近頭角を現してきた劇団バラー座の擁する若手劇作家が描く悲劇である。ストーリーとしては国同士の諍いと悲恋という普遍のテーマだが、古典を現代風にアレンジしたのがうけているらしい。
せっかくなので是非観に行きたいところだが、しかしチケットは2枚ある。
――社交の招待やその他出かける用事ができたら必ず報告を。
ビアンカの顔を何度思い出そうとしても、クラリッサの脳裏では高圧的な王子様の無表情と声とがしつこく思い出されてしまう。
彼に知られることなくバジレ宮を出ることは恐らく不可能だろう。まずは報告をして、その後でビアンカを誘うべきだ。
もちろん、本当に彼がエスコートをしてくれると思っているわけではない。決して。ただ、外出の許可が出るかどうかもわからないのだから。そうだ、許可を貰ってからビアンカに連絡しよう。
だから、大きくなった胸の鼓動はどうか安心して静まってほしい。
◇ ◇ ◇
「ハーパーからサトセーヌ劇場の……?」
フロレンツはクラリッサの差し出したチケットを訝しげに眺めた。そのうちチケットに穴が開いてしまうのではないかと心配になるころ、やっとその紺碧の瞳をクラリッサへ向けた。
「えと、外出することがあれば報告をとおっしゃってたので……。あの、私、ビアンカを――」
「この日なら動かせない用事はない」
「へ?」
「だから、俺が行くと言ってる。それによく見ろ、これはロイヤルシートだ。ハーパーも俺が行くと思ってるんだろう。あのキツネめ」
どうやらフロレンツが同行してくれるらしいとわかり、クラリッサの胸がまた騒がしくなった。まさか本当にエスコートを申し出てくれるとは思わなかった、というか期待してはいけないと思っていた。
これは預かっておくからと2枚のチケットがフロレンツのポケットに吸い込まれていく。
フロレンツの言葉からは、ベンノの政治的な思惑が潜んでいるように聞こえる。つまり、フロレンツは仕方なく同行するのだろう。それでも、やはりちょっと嬉しいのが乙女心だ。
ふにゃふにゃと目尻が下がるのをどうにかこらえていると、執事のアヒムがお茶を運んで来て爽やかな香りが湯気と一緒に漂った。
そのふわふわした湯気の向こう側で、フロレンツはレポートに目を通している。劇場への招待の報告ついでに、クラリッサはせっせと書き進めていた教師レポートも急いで仕上げて持って来ていたのだ。
以前フロレンツに確認してもらったレポートを雛型にして書いているので、恐らく問題はないと思うのだが……教師から抜き打ちで理解度チェックのテストをされるときよりも緊張する。
レポートを依頼されて以来、クラリッサは教師の癖をよく観察するようになった。生徒の気持ちに寄りそう者、頭ごなしに決めつける者、自由な学びを推奨する者、知識や思想に偏りのある者、本当に様々だ。
いまフロレンツが読んでいるのは「教養」を担当する厳しい人物だ。クラリッサには社交マナーを中心に指導をつけているが、子どもたちには簡単な読み書きや算術も教えているらしい。きっと子供たちには怖がられているに違いない。
「彼女が厳しいという話は聞いたことがある。教師は子どもに対して、なんでも自由にさせていいわけではないし、いつも締め付けていいとも思わない。緩い教師も厳しい教師も、バランスよく子どもに触れてもらいたい。
だが、知識や教養が不足していたり思想が大きく偏るのはいただけない」
「それらを見極める仕組みが必要ですね」
フロレンツが頷く。
制度の改革には、教師の質を担保する必要がある。この教師レポートは、現状の教師たちについて理解する一助になるだろう。
つまりフロレンツがクラリッサにこのレポートを書かせたのは、改革案の参考にさせるつもりだったのだ。フロレンツと話をするほど、クラリッサには彼が制度について非常に真摯に考え、どうにかしようと取り組んでいるのが伝わる。
(手伝わせてもらえるのはありがたいことだけど、もうあの頃のあの子じゃないんだよねぇ)
熱心で真面目なフロレンツは尊敬する。同じ目的に向かって歩いて行けることは嬉しいとも思う。
だが一方で、クラリッサにくっついてばかりいたあの子ではないのだ、という寂しさがほんの少しだけクラリッサの胸を締め付けた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、実は例のあの子だったことが発覚。
名前だけ登場の人
●ベンノ:ハーパー伯爵家当主でヨハンの父。財務省大臣。
●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー家の長女。フロレンツのファン。
今回登場用語基礎知識
●(ゲシュヴィスター)制度:兄弟姉妹制度。5~10歳の同年代の貴族の子が集まり基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的。




