第40話 禍を転じて福と為す⑧
「早速、行動開始といきますかー」
勢いよく立ち上がったロベルトが、振り返ることなく遊戯室を出て行った。これから両親と話をして、然るべき方法でオスヴァルト家へ申し入れをすることになる。
エルトマン家の説得さえうまくいけば、オスヴァルトが拒否する道はないはずだ。やっと、黒幕の牙城を切り崩すことができる。
フロレンツは拳を握ってロベルトがうまく立ち回ることを祈った。あの男は恋に狂ってる。きっと、両親の説得くらい簡単にやってのけるだろう。
「まさかロベルトがカトリンを……。気づきませんでした」
「そうか。わかりやすいと思うけど」
閉ざされた扉を見つめながら、クラリッサがぽつりと呟いた。相変わらずクラリッサにはフロレンツとの接し方に迷いが見える。
だが、彼女は確かに「小さな頃からずっとフロレンツを応援してきた」と言ったのだ。ロベルトは気づかなかったようだが、クラリッサはきっと思い出している。
フロレンツは、自分から顔を背けたままお茶の準備を始めるクラリッサを眺めた。
いつかの夜に、食堂で彼女がヨハンと話しながら「恋ではなかった」と告げたのを聞いてしまったことがある。クラリッサは、フロレンツのことをなんとも思っていない。
彼女にとってフロレンツはただの良き友人であり、扱いの難しい王族ということだ。
「お前にはすべて終わってから報告するつもりだった」
「何をです?」
沸いたお湯をクラリッサがポットへと注ぎ、ふわっとのぼった湯気がフロレンツの頬を撫でた。
「カスパル卿の件だ。あの痛ましい事件はふたつの要素が複雑に絡み合った結果だ」
「ふたつ」
「卿が推し進めた、ゲシュヴィスター制度の改革案を誰も良く思っていなかったこと。それから、国家資産の横領に関する陰謀。それが冤罪に繋がった」
「冤罪ですって!? それにオスヴァルトが関わってるの!?」
手の止まったクラリッサに代わって、フロレンツがポットにカバーをかけた。事実を告げるタイミングを誤ってはいないかと考えてしまうが、もう遅い。
「カトリンは何も知らないから、それは安心していい。……卿の無念を晴らすまであと少しだ。だからお前は、卿の悲願だった制度の改革を手伝え」
必ず真実を暴いてみせる。その思いだけでも届いてほしいと思う。冤罪であるとわかればアイヒホルン家の復興は容易くなるだろう。
その後は、クラリッサが望むとおりの未来を掴めばいい。夢でないなら教師にならなくともいいのだ。
「お祖父さま……いえ、当家のために動いてくださってるのに、私なにも知りませんでした」
「驚かせたかったんだ」
「事件の真相はご存知なんですか? 聞かせていただくことは――」
「まだ知らないほうがいい。黒幕はしばらく泳がせておくつもりだからな。お前が不用意に何か漏らさないとも限らない」
「な……っ」
一瞬顔を顰めたクラリッサに、フロレンツは真実を隠す。
クラリッサが何かを知っているとわかれば、黒幕がどのように動くかわからないのだ。彼女が積極的に言いふらすとは思わないが、些細な言葉や態度を、老狸は見逃さないだろう。
排除できる危険にわざわざ近づける必要はない。
どんな気持ちかはわからないが、クラリッサは冷静さを取り戻そうとするかのように大きく深呼吸をした。
「私は何をすれば?」
「面倒な政治ってやつを駆使して、いくつか資料を用意させた。教師が使うテキストの一覧だとか、地方領主が学んでおくべき知識だとかな。それらをあとで届けさせるから、制度の改革案についてまとめてくれ。
ゲシュヴィスター制度についてカスパル卿は何が問題だと考えていたか、お前ならわかるだろう」
クラリッサが少し考えてから小さく頷く。
「なぜこんなに尽力してくださるんですか」
フロレンツは、少し時間のたちすぎたポットからカバーを外す。カップを手前に引き寄せると、クラリッサが慌てた様子でフロレンツからポットを奪い取った。
別に茶を淹れることに王族だとか男爵だとかつまらないことを持ち出すつもりはないのだが、フロレンツはクラリッサのやりたいようにさせることにした。それになにより、クラリッサの淹れる茶が飲みたかった。
手持ち無沙汰になったフロレンツは、先ほどまでロベルトと遊んでいたチェスの盤からキングを摘まみ上げる。
「第一に国のためだ。不正があるなら正す。それから、突然このバジレ宮から姿を消した友人の事情も知りたかったし、問題があるなら解決したかった」
第一と第二の個人的な優先度は逆だが間違ってない。
友人の問題は解決するし、不正は正す。もうひとつ欲を言えば、その姿をクラリッサに見ていてほしい、ただそれだけだ。
だからそばで仕事を手伝ってもらわなければならない。
クラリッサは紅茶の注がれたカップをおずおずとフロレンツに差し出した。
「あの、迷惑をおかけしてごめんなさい」
「なに」
「昨日のことで王陛下から事情聴取があったと伺いました。私が叫ばなければ、我慢できたなら、バジレ宮がこうして注目されることはなかったでしょう?」
フロレンツはその言葉に全身の血がどこかへ行ってしまったような気がした。
昨日の事件以来、アメリアのしでかしたことは事前に防げたのではないかと何度も何度も考えていたことだ。せめて、舞台を一緒に見ることにしていればクラリッサが箱に入れられる前に止められたのに。
「その点だけは譲らない。お前は被害者以外の何者でもない。責任を感じるような馬鹿げた考えは早々に捨てろ」
「あ……。はい! ありがとうございます」
(くそっ……! なんて顔をするんだ……)
先ほどまでの不安そうな表情ではなく、晴れやかに笑ったクラリッサから、フロレンツはしばらく目を離せなかった。
この顔が見たくて頑張っていた幼少期を思い出してしまう。やっぱり、クラリッサには敵わない。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、例のあの子だったことが発覚。
●ロベルト:エルトマン公爵家の長男。仕事ができる一途なチャライケメン。
名前だけ登場の人
●カトリン:オスヴァルト伯爵家の長女で末っ子。世間知らずのお嬢さん。ロベルトが好き。
●カスパル:クラリッサの祖父。国家資産横領の罪で追いやられた人。故人。
●アメリア:ギーアスター伯爵家の長女。縦ロールちゃん。意地悪。
今回登場用語基礎知識
●ゲシュヴィスター制度:兄弟姉妹制度。5~10歳の同年代の貴族の子が集まり基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的。




