第39話 禍を転じて福と為す⑦
クラリッサは、へとへとになるほどバジレ宮の中を歩き回っていた。呼び出された王城からフロレンツが戻ったらしいと聞いて探しているのだ。
迷惑をかけてしまったことを謝罪するために探しているのだから、従者に伝言を頼むわけにもいかない。
「まだ考え込むような状況じゃないだろう」
どこか近いところからフロレンツの声がして、足を止めてきょろきょろと辺りを見回した。
どうも遊戯室から聞こえてくるようだ。ここは誰でも自由に出入りして良い場所であり、クラリッサが入って叱られることもないだろう。
すーっと息を深く吸って、扉をノックする。返事を待って部屋へ入ると、フロレンツとロベルトが難しい顔で向かい合って座っていた。
「わぁ、チェスだなんて珍しいですね」
「負けた方が勝った方の言うことを聞くって勝負をしてるトコ」
「それはどちらも負けられませんね!」
ロベルトが楽しそうに笑い、フロレンツは無表情で盤を見つめている。クラリッサは二人の横で勝負の行く末を眺めることにして、ふかふかのソファーに腰を下ろした。
ふたりとも、勝ったら相手方に何を望むのだろうか。王族と有力公爵家である彼らなら、ほとんどのことは自分の立場でどうにかできてしまうはずだが。
「クラリッサは俺とフロレンツどっちを応援する?」
「えっ……。私は、そうですね。小さな頃からずっとフロレンツを応援してきたので、フロレンツを」
そうでなくても、フロレンツにはこのバジレ宮でいろいろと世話になっている。最新情報では多大な迷惑をかけたこともわかっている。一方でロベルトに対しては応援する理由も特にないのだ。
クラリッサの言葉に反応したフロレンツが驚いたように瞳を瞠って顔をあげた。クラリッサと目が合うと、その紺碧の瞳がゆっくりと細められる。
「そんな声援をもらったんじゃ、負けるわけにいかないな」
「へぇ、もしかして本気出しちゃう?」
「我ながら単純だと思うがな」
飾らない二人の応酬は、いつか窓から見た幼馴染たちの姿のようで、微笑ましい半分、羨ましい半分の複雑な心境だ。
もしも自分がずっとこのバジレ宮で幼少期を過ごせたなら、未来はどう変わっていただろうか、と考えてしまうほど。
クラリッサがノスタルジックな感傷に浸っているうちに勝負がついた。結果はフロレンツの勝ちだ。
ロベルトが大袈裟に溜め息を吐いて、ワインを喉に流し込む。
「で、俺に何をさせたいわけ?」
「わかってるくせに、だ」
「うっわー、言い返されると思わなかった。フロレンツって割と執念深くない? はー、覚悟決めろってことね」
「利害は一致してるだろ。それに、そうしたいって顔に書いてある」
「ま、ね」
幼馴染の気安さに加えて、何か彼らにしかわからない話題があるらしい。クラリッサには理解が難しく、フロレンツの視線を感じて半開きにしていた口を慌てて閉じた。
「色男がカトリンを嫁にするって決めたところだ」
「えっ? えっ?」
ますます分けがわからない。ロベルトが? カトリンを?
それがどうしてチェスの勝負で決まるのかも、どうしてフロレンツがそれを戦利品として提示するのかも理解不能だ。
「え、もしかして何にも説明してないわけ?」
ロベルトが大きな声でフロレンツを非難して、クラリッサも大きく頷く。
(何も聞いてないというか、私に説明の必要がある話だったの?)
聞けば聞くほど混乱を呼ぶ。フロレンツは、説明が不足していたことを責められたせいかムッスリした表情で明後日の方向を見ている。
さっさと説明責任を果たしてほしいものである。
「ははーん、かっこつけたかったわけね、フロレンツちゃんは」
「黙れ」
「いえホント待ってください、どういうことですか?」
放っておいたら、わけのわからないまま話が終わってしまいそうな気がして、クラリッサは二人に説明を求めた。
カトリンの結婚で利害が一致して、さらにクラリッサに知らせなくてはいけないことなど、全く想像がつかないのだ。
「つまりね。昔々、国家を揺るがす大事件がありました。悪い人は断罪されたけど真犯人は別にいた――! で、地道に調査を続ける正義の王子がその罪を暴く! ってわけ」
「ええ……。それとカトリンはどう関係するの?」
ロベルトがまるで劇団員のように大きな身振り手振りで説明を試みるが、いまいち要領を得ない。
「オスヴァルトだ」
「え?」
「真犯人の一味には、オスヴァルトもいる」
「へ?」
オスヴァルトはカトリンの家で、現在は警察権を持つ監督省の大臣を務めている。
ロベルトが昔々だなどと言うからずっと古い話かと勘違いするところだ。もしかしてそんなに昔のことではないのかと説明の続きを待つと、自然に手に力が入ってギリと拳を握った。
「犯人一味のイチバンの黒幕を追い詰めるにはー、オスヴァルトの協力が欠かせない。そうでしょ」
「ああ」
「俺はカトリンをお嫁さんにしたい。けど、オスヴァルトが犯罪に手を染めてちゃエルトマンとしては認められない」
話がきな臭くなって、クラリッサはスンと鼻を鳴らした。
最近読んだミステリにも探偵が同じような会話をしていた覚えがある。これは本当に現実の話なのかと耳を疑いたくもなるというものだ。
「過去の罪を不問にしてもらう上に娘を天下のエルトマンに嫁がせるのと、罪を問われて一家離散するのと、お前ならどっちを選ぶ?」
「……その二択じゃ選ぶ余地ないです」
フロレンツはクラリッサの回答に満足気に頷いた。同じくウンウンと頷いたロベルトが、だからねと話を続ける。
「仲間を裏切れってただ言っても普通は難しいじゃん。でも俺が婚約の申し入れと同時にこの話を持ち込めば、まず間違いなく動くだろうね」
「政治家怖い」
「なに、監督省の業務を真面目にこなせと言うだけだ」
(これが政治っていうやつですか、貴族ってやつですか……。怖っ!!)
しかし一方で、カトリンの恋も実るのだと思うと複雑な気分である。いや、当人同士の気持ちはひとつなのだから、祝うべきなのだろう。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。フロレンツが好き。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無愛想でとっつきにくいけど、例のあの子だったことが発覚。
●ロベルト:エルトマン公爵家の長男。チャライケメンだけど一途。
名前だけ登場の人
●カトリン:オスヴァルト伯爵家の長女で末っ子。世間知らずのお嬢さん。
今回登場用語基礎知識
●監督省:司法および警察権を持つ。国内治安維持など。現在はオスヴァルトが大臣。以前はギーアスターだった。




