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第37話 禍を転じて福と為す⑤



 朝、クラリッサはカルラから今日と明日の予定を全てキャンセルした旨を告げられた。安静にしておくべきとの医師の助言を受けたフロレンツの指示だ。


 仕方ないことだと理解はするが、クラリッサは昼過ぎの今すでに暇すぎて溶けかけていた。教師レポートを進める意欲もまた霧散していて、ソファーの上でグデグデと液体になるばかりだ。


 それもこれも外が良い天気だから悪いのだ、と窓に広がる抜けるような青空を睨んで立ち上がった。

 気分転換は大事だし、安静にしろという言葉は日光浴を禁じるものではないはずだ。



 クラリッサは庭に出て木陰に座り、読みさしの本を広げた。栞の位置は確かに間違っていないのに内容がうろ覚えで、風の助けを借りながらペラペラと数ページほど遡る。


「クラリッサ~」


 へにゃりと力の抜けるようなふわふわした声が聞こえ、顔をあげれば前方からカトリンとシュテファニが小走りでやって来るのが見えた。


「カトリン、シュテファニ、こんにちは。慌ててどうしたんですか?」


「だいじょうぶだった~? 驚いたよ~」

「まさか、あんなことするなんてね」


 眉を下げたカトリンも、眉根を寄せるシュテファニも、到着するなりクラリッサを囲むように目の前に座る。良家のお嬢様が地べたに座るのに驚きつつも、なんとなく仲間意識を感じて悪い気はしない。


「あんなこと?」


 クラリッサが聞き返すと、ふたりはほとんど同時に回答した。


「奇術団がアメリアの指示だったって言ったそうよ」

「アプリコット色の髪をした子を指名しろって言ったんだって~」


「へ??」


 手の中の本を閉じて二人の表情を交互に確認する。嘘をついている様子はないが、それはつまりアメリアに嵌められたということであり、クラリッサの脳の処理が追い付かない。


「わかんないけど~、フロレンツが怒っちゃって、アメリアはバジレから追い出されたんだよね~」


「追い出さ……。そんな、そこまでしなくても……」


 クラリッサが呟くと、シュテファニは瞳を吊り上げて前のめりになった。美人の怒った顔は圧がすごい。クラリッサは思わず身を引いて曖昧な笑顔を浮かべた。


「これは貴女だけの問題ではないのよ。いいこと? 離れとは言え王城の敷地内に、少なくない数の貴族が招待された催しものなの。そこで嫌がらせをして舞台も来賓も混乱に陥れるなんて、とんでもない信用問題よ」


「ううう、確かにそうだけど……。でもアメリアは私があんな風になると思わなかったかも。あれからもう10年以上経ってるし、治ったと思ったか忘れていたか」


「でもさ~、アメリアがクラリッサに恥をかかせるつもりだったのは確かなんでしょ~?」


 カトリンが確認するようにシュテファニを仰ぎ見る。事件の詳細についての情報や理解はシュテファニのほうがあるらしく、頷きながらカトリンの後を引き取った。


「奇術団サイドの供述によると、協力者には事前にトリックの説明をしておくようにと念を押していたそうよ。真剣を使うんですもの、万一があっては困るでしょうしね。彼らは貴女が説明を受けたものと思い込んでたから進行を優先したんですって」


「え、なにも聞いてません」


「でしょ~? だからね、クラリッサが暗いところを怖がってもそうじゃなくても関係ないんだよね~」


「貴女を驚かせて、恥をかかせることができたら成功といったところかしら」


 ふたりの話を聞いて、クラリッサは自分の手元を見つめた。昨日、この手をとってくれた温かくて大きな手が思い出される。

 彼が、フロレンツが来てくれなかったらどうなっていただろうか。考えるだけで恐ろしい。


 この件についてクラリッサは確実に被害者だ。だがこれだけコトが大きくなってしまうと、逆に申し訳ない気もする。もう少しアメリアと仲良くなる努力をすべきだったのではないか、もっと積極的にフロレンツと距離をとるべきだったんじゃないか、と考えてしまうのだ。


 だって、後からこのバジレ宮にノコノコやって来て、フロレンツと一緒に絵画を鑑賞したり、彼の部屋にお邪魔したり、きっとアメリアは嫌な気分だったに違いない。

 


 せめて、せめてあのとき錯乱していなければ。

 今さら悔やんでも仕方ないし、あの箱に入れられればまたきっと叫んでしまうのだけど。




「ああ、クラリッサ。落ち着いたみたいだね。安心したよ」


 さくさくと芝を踏みしめる音とともに、柔らかな男性の声がする。

 お日様のような笑顔を浮かべてやって来たのはヴァルターだ。3人からは少しだけ離れたところにイーゼルを置いて、絵を描く準備を始めた。


「ありがとう、ヴァルター」


「ねぇ、そういえば今日フロレンツの姿を見ていないわ。ヴァルターは彼がどこにいるか知ってらして?」


 シュテファニが訪ねると、ヴァルターは困ったような笑顔を浮かべて逡巡した。

 その様子にクラリッサも嫌な予感がむくむくと湧き上がり、ごくりと喉を鳴らしてヴァルターの言葉を待つ。


「王陛下に呼ばれて朝から本城に出かけてるんだ。たぶん、昨日の件で説明を求められてるんだと思う」


「そんな――!」


 大きな雲がふわふわと流れて、あっという間に太陽を隠してしまった。

 4人の上に大きな影がかかって、薄暗くなる。


 フロレンツが事情説明を乞われて本城に呼び出されるような事態になった。この事実にクラリッサは小さくないショックを受けた。

 信用問題だとシュテファニからも説明があったが、実際にフロレンツに余波が及んだと知ると恐ろしくて仕方がない。とんでもない迷惑をかけてしまった、と。


 無駄だとわかっていても、やっぱりあの時叫ばなければよかったとタラレバを繰り返してしまう。




今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。暗くて狭いところが嫌い。

●カトリン:オスヴァルト伯爵家の長女で末っ子。もちもち。

●シュテファニ:ローゼンハイム公爵家の一人娘。全貴族の子女の憧れ。

●ヴァルター:ペステル伯爵家の長男。伯爵位を継ぐつもりはないのんびり屋さん。絵描き。


名前だけ登場の人

●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。実は例のあの子だった!

●アメリア:ギーアスター伯爵家の長女。縦ロールちゃん。意地悪。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ~、嫌な予感的中。 アメリアまさか追い出されるとは。 でも、また懲りずに出て来て悪さしそうな予感。 呼びだされたフロレンツが心配ですね。 責任を問われないといいんですが……。
[一言] アメリア「そんなあ!!!」 ファビアン・ヒュフナー「ようこそ」
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