第34話 禍を転じて福と為す②
楽しい時間は一瞬のうちに過ぎてしまうものだ。進行兼アシスタントの男性が、勿体ぶりながらも次が最後のプログラムであると宣言する。
それはとても大掛かりなイリュージョンと見え、別のスタッフが舞台にいくつかの小道具を運んで来た。これで終わりかと思うと残念だが、同時に期待も高まってクラリッサは胸の前で手を握る。
「さぁ、最後になりましたが……実はこれもまたどなたかのご協力が必要です。ええっ? 銀貨を返さないと協力しない? ああっと、それは失礼しました。どうぞ胸に手を当てて……そう、ポケットに。ありました?
ああよかった! たまーに失敗することがあるんです。今回は成功例。ふふふ。さあ、次はどなたにお願いしようかな……」
クラリッサは、ぐるりと大袈裟な動作で会場内を見渡す男性とバチっと目が合って、心臓が飛び跳ねる。
まさか、という嫌な予感はなぜか当たるものだ。
「そちらの可憐なお嬢さま。ええ、アプリコット色の髪が素敵な貴女です。どうぞこちらへ」
思わずハンスと顔を見合わせる。一瞬驚いた様子のハンスだったが、とても喜んで「いってらっしゃい」とクラリッサを勇気づけるようにポンポンと頭を撫でた。
(うう。緊張するけど……断れるわけもないし)
会場中の注目を浴びるのはひどく緊張するが、断ったり及び腰になるとホール全体の雰囲気がしょんぼりしてしまうものだ。せっかくなら、楽しむほうがいいだろう。
壇上へ上がってから振り返ると、薄暗い観客席は奥にいくほどほとんど見えなくなる。なるほど、これでは指名する相手もあまり自由に選べそうにないなと納得する。
観客席が見えづらいからといって、緊張しないわけではない。小さく震える手を左右重ねて握りながら両足にも力を入れる。気をつけないと座り込んでしまいそうだ。
司会を担当する男性が説明を、実演する男性が演説に合わせて小道具を観客へ見せびらかしている。クラリッサの視界の隅で小道具がギラっと光った。
剣だ。
剣を持った男性が懐から紙を取り出して刃先に当てると、男性の手の動きに合わせてススーっと断ち切れる。
本物であることが誰の目にも明らかだった。それも相当に切れ味の良い刃だ。
クラリッサが説明を乞うように司会の男を見上げるが、緊張で上の空になっているうちにプログラムの説明は終えてしまっていたらしい。
状況を理解しないクラリッサの両脇にふたりの男が近づいて、その手をとった。
「えっっえっ」
背中に回した手がクラリッサの体を前へ前へと押しやっていき、雰囲気に圧されるようにして向かった舞台中央には、大きな箱がある。
一辺が5、6歳の子どもの身長くらいありそうな、真四角の大きな箱だ。
少し離れた場所でポールに止まった何羽もの白い鳩たちが、どこ吹く風といった様子で首を小刻みに揺らしていた。クラリッサは自分がこの鳩たちの代わりの役目を負うのだと理解する。
(駄目、無理。私には入れない。どうしよう。狭い場所は……!)
「はい、先ほど何も入ってない、何の仕掛けもないことを確認していただいたこちらの箱! 可愛らしいお嬢さんには今からここに入っていただきまーす」
無情なアナウンス。
「嫌です! 私にはできませんわ!」
クラリッサが一歩も動かないという強い意思を持って立ち止まっても、男ふたりの力には耐えきれずに少しずつ前進してしまう。
いやだと訴えて懸命に首を振ったが、それは舞台袖から他のスタッフが飛んで来てクラリッサを運ぶ人数を増やしただけだった。
複数の屈強な手によって、クラリッサは引きずられるようにして箱に放り込まれる。
必死の抵抗に観客席が少しざわついたものの、誰も助けてはくれない。指名された人物がたまたま閉所恐怖症だなどと気付くはずもなく、誰もがこれを演出だと思っていた。
「さあ、この蓋を閉めたらもう彼女の姿は見えません! 我々は彼の剣技に祈るしかないのです。これから、1本、2本とこの鋭利な剣を箱へ突き刺してまいります。皆さまどうぞ麗しい彼女の無事をお祈りください!」
クラリッサの肩を押さえていた手が離れたかと思えば、その頭上で蓋がパタリと落とされた。クラリッサを包むのはただ真っ暗な闇だ。
闇。身動きの取れない狭い闇。
「いやああああああああああああああああああああ!!!」
(いや。暗いところは嫌い。狭いところも嫌い)
クラリッサの瞳からはぼろぼろと涙が零れる。息が吸えず、ヒッヒッヒッという喉の音ばかりが耳に響く。
「たすけて……」
『ぜんぶで7本刺しますよ。次は2本目です!』
箱の外のアナウンスがクラリッサの声を掻き消す。
足を何かが撫でたような感触がした。膝をぎゅっと胸に引き寄せて掻き抱く。
こわい。こわい。
「たすけて」
「たすけて」
クラリッサは声をあげているつもりだったが、ほとんどもう声になっていなかった。ただハクハクと口を動かして喉を上下させるだけだ。
何かが近くにいるような気がする。ただ、こわい、こわい、こわい、こわい、という切羽詰まった不安と恐怖だけがクラリッサを支配した。
『あっ! ちょっ困りま――』
「たすけて」
自分が闇に溶けて消えてしまいそうな、消えてしまいたいような感覚。闇に溶けてしまえばきっと楽になれる、この恐怖から開放されるに違いないと。
「たす……」
一瞬、光がさしたような気がして頭上に手を伸ばす。
思い違いかもしれない。でも。
「たすけてフロ……レンツ」
必死に伸ばしたクラリッサの手を誰かが掴んだ。とても温かくて大きな手だ。ハッと顔を上げると、蓋は大きく開かれてクラリッサの周囲の闇を追い払うように光が溢れていた。
そして、クラリッサを見つめていたのは天使の羽根のように綺麗なプラチナブロンドの髪と、紺碧の瞳。
何か言おうと、息をすぅっと吸って、クラリッサは意識を手放した。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。バジレ宮で充実した生活を満喫中。
●ハンス:グレーデン伯爵。クラリッサの伯父。官吏省の大臣。
名前だけ登場の人
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。いつも忙しそうに飛び回っている。




