第33話 禍を転じて福と為す①
「ビアンカへ。
お手紙ありがとう。もう一つの贈り物はフロレンツに渡しておきました。逆に彼からホルガー様宛にお手紙を預かったので同封します。
バジレ宮での生活にも慣れて、将来の目標もなんとなく決まりました。
教師になろうかと思ってるの! なかなか悪くない考えでしょう? 昔は私がエッケハルトの先生をしてたんだしどうにかなるって信じてる。
ここでの生活は以前心配していたようなイジメもないし、思ったより快適。アメリアは意地悪だけど、ほとんど顔を合わせないから大丈夫そう。だから、背中を押してくれてありがとね。感謝してる。
えっと、『あの子』のことが好きだったかって質問への回答だけど……。私、彼のこと何も覚えてないんだよ? 好きな人のこと忘れると思う?
むしろ、まだ記憶があった頃の私がなんて言ってたか覚えてたら教えてほしいくらい。
それから、フロレンツの素敵なところはたくさんあって書き切れないの。ビアンカの人を見る目に間違いはないなって思い知ったよ。すっっごく無愛想だけどね。今度、ゆっくりお茶でもどうかな。
ではでは、みんなにもよろしくお伝えください。
クラリッサより。愛を込めて」
――――
奇術ショーは、バジレ宮の大ホールで開催される。
いつの間にか立派な舞台が設えられていて、観覧側には円形のテーブルに5つの座席が8セット。単純計算で招待客は20組となり、そんなに多くないことがわかる。
クラリッサの座席は最前列にあった。まさかアメリアがこんなに素敵な席を用意してくれるとは、と驚きながら周囲を見渡す。もしかしたら気難しい方々と同席かもしれない、と考えたのだ。
しかしクラリッサの隣にやって来たのは伯父のハンス・グレーデンだった。五名家で官吏省の大臣を務めるハンスは娘のエリーザを王太子の婚約者に据え、飛ぶ鳥を落とす勢いと言える。
その彼が傍にいるなら、同じテーブルを囲む中にどれだけ意地悪な人物がいたとしても怖くはない。クラリッサは心の中でアメリアに謝罪と感謝を捧げた。
「このショーはアメリアが企画していらっしゃるのよ」
「そのようだね。招待状をいただいたときには驚いたよ。アメリアももう大人になったんだなぁってね。そりゃあボクも年をとるなぁ」
ハンスがチョコレートのような黒茶色の目を柔らかく細めた。実はクラリッサとアメリアとは又従姉妹にあたる。ハンスにとってアメリアは従姪だ。
クラリッサから見て彼女は母方の祖母の妹の孫……と、血縁としてはとても遠いためよほどの貴族マニアでなければ知らないことだ。ただ、女系にばかり表れるアイスグレーの瞳が、クラリッサとアメリアの関係を示していた。
ハンスと談笑するうちに、他の招待客も続々と集まって来た。会場内のざわめきが刻々と大きくなっていく。
「昨日も出たそうよ」
「ああ、『真昼の星』でしたかしら。本当に騒がしいったら」
「監督省は頼りにならんな」
「民の希望の星ですって」
(なんの話かな……)
同じテーブルに座る人々の会話にクラリッサが首を傾げる。警察権を持つ監督省の名が挙がる以上、穏やかな話題ではなさそうだということはわかるのだが。
「最近、外では金持ちを狙った組織的な犯罪が相次いで起こっていてね。被害額は全くたいしたことはないんだけど、その一部を孤児院に寄付しているらしいとか。噂だがね」
「それが『真昼の星』?」
「民が勝手にそう呼んでるんだと聞いたよ」
ハンスが小さな声でクラリッサに説明する。相次いで、と言うが、話題の上り方からみても結構な頻度で出没しているだろうことは想像に難くない。
何も知らなかったことは反省したほうがいいだろうと己を振り返った。今日はハンスがいたから助かったが、もう少し時事にも強くならないと恥をかいてしまう。
そうこうするうちに、テーブルには色とりどりのお菓子や軽食が並べられ、給仕が飲み物を持って来た。
ハンスがワインを、クラリッサはシャンパンを手に取る。ハンスとふたり、グラスをほんの少しだけ持ち上げて笑みを交わしたところで、会場の明かりが一部落とされた。お喋りに興じていたその他の招待客もスッと口を閉じる。
「わぁ。始まるみたい」
「ああ、そうだね」
パチパチと大きく手を叩くクラリッサに、ハンスがにっこりと笑う。ちょっと子どもっぽかったかなと一瞬だけ己を振り返ったが、そんな意識もすぐに舞台に攫われた。
トップハットを被った正装の紳士がふたり、舞台の中央へと歩いてくる。背の高い方の紳士が指先まで意識の行き渡った美しい礼をとる横で、小柄な紳士は愛嬌を感じさせる仕草でお辞儀した。
小柄な紳士が進行とアシスタントを担当し、もう一方の男性がメインで技術を披露するらしい。
笑いを忘れず会場全体を惹き込むようなセリフまわしはもちろん、そのセリフに合わせたタネも仕掛けも感じさせないイリュージョンの数々に、会場の至る所から声が漏れ聞こえてくる。
クラリッサもまた例外ではなく、この世の物理法則を無視した不思議な現象から目が離せない。例えば観客から借りた銀貨をぱっと銅貨に変えてしまったり、何もないところから何枚もスカーフやトランプが湧き出てきたり。
他にも切ったロープが繋がったり輪っかになったり、小さな白い鳩が何羽も出現したりする。あのスマートな体のどこにそれらを隠すような場所があるのだろう。
トークはとても面白おかしく、技術そのものはとてもしなやかで繊細。大きな手が軽やかに動く様は芸術かと思うほどだ。
誰もが、あっという間に舞台に夢中になった。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。バジレ宮で充実した生活を満喫中。
●ハンス:グレーデン伯爵。クラリッサの伯父。官吏省の大臣。
名前だけ登場の人
●ホルガー:アウラー伯爵家当主。ビアンカ父。武官省の大臣。
●エッケハルト:クラリッサの弟。5歳差。
●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー伯爵家の長女。フロレンツファン。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無表情だけどクラリッサは微かな違いに気づきつつある。
●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。フロレンツ大好き。クラリッサは嫌い。




