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第32話 氷の解け始める兆し⑦



「大好きなクラリッサ。


 こないだは会えてよかった。元気そうで安心したよ。

 それに殿下にも会えるなんて思わなかったから、すごく嬉しかった! もっと可愛いドレスで行けばよかったな。


 あの子のこと、もっと積極的に探すかと思ったけどそうじゃないんだね?

 誰かに聞けばすぐわかりそうなのに。あの子のこと、好きだったんじゃないの?


 そうそう、誰も知らないフロレンツ殿下の素敵なところ、教えてくれるんでしょう? 楽しみにしてるね!


 今度バジレ宮でやる奇術のショーには残念だけど参加できないの。あたしの分まで楽しんで来てね。

 そしてどんなだったか次に会うときに聞かせてください。


 それじゃあ、またね。あなたの親友ビアンカより

 追伸。同封の小包はパパから殿下へのプレゼントみたい」



 ――――



 夜の(とばり)が降りてカルラが部屋を出てから、クラリッサはゆうに10回以上は寝返りをうった。


 明日は昼過ぎからアメリアの企画する奇術ショーが開催されるので、午後の授業をいくつか午前中にずらすことになった。

 そのためいつもより早起きする必要があり、少し早く床についたのだが……明日の舞台が楽しみなことも手伝って寝付けない。



 瞼の裏で思い出すのは数日前に届いたビアンカからの手紙と、昼間に窓から見た光景だ。




 窓から入るポカポカ陽気を浴び、ビアンカの手紙を眺めながら唸り声をあげていた今日の午後。たった一文がクラリッサのペンを休ませてしまうのだ。


『誰も知らないフロレンツ殿下の素敵なところ、教えてくれるんでしょう?』



 ぱっと思い浮かぶのはいつもの不愛想で真意が読めない表情だ。いつだって怒っているようにしか見えない。

 だから、普通の人が知らないことと言えば笑顔になるだろうか。


 ダンスをした夜や一緒に食事をした際の、柔らかく細めた紺碧の瞳と口角がふわりと持ち上がった表情を思い出す。優しくて綺麗であったかいその微笑みは一度見れば目が離せなくなってしまう。


 それに、噂で聞くのとは違ってずっと真面目で熱心な人物だと知った。バジレ内でアイヒホルンの事件に関する話を禁じるなど細々(こまごま)とした部分まで気遣いができるし、美術品への造詣も深い。


(容姿は当たり前のようにめちゃくちゃイケメンなのに、中身も素敵なんだよなぁ……)


「――じゃなくて!」


 素敵なところを思い返そうとすれば、胸の真ん中がぎゅっと締め付けられるような気がして思考を中断する。昼間も今も、ずっとこの繰り返しなのだ。

 このままでは自分までビアンカ化してしまう、とクラリッサはまた大きく寝がえりをうって頭を抱える。



 昼間も同じように頭を抱え、ペンを放り投げて気分転換に窓から外を眺めたのだった。楽しそうな笑い声が聞こえていたから。


 中庭ではカトリンとシュテファニ、そしてロベルトが談笑していた。

 お茶会というほど仰々しいものではなく、日向ぼっこしているというのが近いだろう。そのすぐ近くでヴァルターが絵を描きながら、3人のお喋りに相槌をうっていた。


 眼下に広がるのは昔とほとんど変わらない光景で、誰もがいい笑顔をしていた。

 離れることなく一緒に育った本当の幼馴染なら、このようないい関係が築けるのだろうかと、寂しさがクラリッサを襲う。


 4人から少し離れたところでは、やはり日向ぼっこしながら読書するヨハンの姿があった。

 会話の輪に入らないままひとりで読書する彼の姿には、既視感と違和感の両方がある。あるべき姿のようで、でも何か物足りない。

 ただ、首を傾げたところでその理由に思い至ることもできないのだ。




「クラリッサ」


 寝るのを諦めて本でも読もうかと考え始めたころ、ノックの音とともにクラリッサの名を呼ぶ声がした。

 耳に心地よくて厚みのある声はフロレンツに間違いない。


 クラリッサはソファーに投げ出していたガウンを羽織ってドアへ向かう。寝るときでさえ一部の明かりは灯したままなので、特に不便もなく辿り着くことができた。


 柔らかなオレンジ色の光を放つ壁掛けランプ(ブラケットライト)が、室内にクラリッサの影を大きく作り出す。


「はい」


 そっとドアを開けると、フロレンツが封書を持って立っていた。


「もう寝るところだったのか、すまない。これを――」


「はい?」


 フロレンツが途中で言葉を飲み込んだため、クラリッサは手元の封書から顔を上げて様子を伺う。


 彼は目を瞠って室内に視線を走らせていた。フロレンツにしては珍しく困惑した表情だ。これもまた、普通の人は知らない一面だろうかとクラリッサは頭の片隅で考える。


「お前、もしかして……」


「ん?」


「……なんでもない。明日も朝早くから本城で用事があって、こんな時間にしか来られなかった。これを友人への返信に同封しておいてくれ」


「ええ、もちろんです。あれ? では明日のショーはご覧にならないの?」


 受け取った封書にはホルガー宛と記載があった。

 ビアンカとの文通に忍ばせるのだから、よほど他者に知られては困る内容なのだろう。確か先日彼らは武器の密輸について話をしていたはずだが……。


「ああ。楽しんで来るといい」


 ドアから一歩離れて背を向けたフロレンツに、クラリッサが「おやすみなさい」と声を掛けると、彼はピタリと立ち止まって振り返った。

 瞳は鋭く細められ眉間に皺が寄った表情、有り体に言えば機嫌の悪そうな顔で静かに口を開く。


「次からは相手が誰であっても、就寝の準備を終えたなら扉を開けるな。施錠もしておけ。お前は無防備すぎる」


「あ……。ふふ、かしこまりました」


 クラリッサは叱られたのになぜだか嬉しくて、緩んだ頬を両手で押しつぶした。やはり、ビアンカへの返事は書けそうもない。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。バジレ宮で多方面に向けて鋭意努力中。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。なにやら色々暗躍している模様。


名前だけ登場の人

●ビアンカ:クラリッサの幼馴染。アウラー伯爵家の長女。フロレンツファン。

●カトリン:オスヴァルト伯爵家の末女。ふわふわ天然娘。

●シュテファニ:ローゼンハイム公爵家の一人娘。全ての貴族の憧れ。

●ヴァルター:ペステル伯爵家の長男くん。絵描き。

●ロベルト:エルトマン公爵家の長男くん。仕事のできるチャライケメン。

●ヨハン:ハーパー伯爵家の次男。本の虫。不思議ちゃん。

●アメリア:ギーアスター伯爵家の長女。縦ロールちゃん。意地悪。

●ホルガー:アウラー伯爵家当主。武官省大臣。

●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ……あ……、クラリッサが落ちかけてるぅ~、ビアン化しかけてるぅ~。 >クラリッサは叱られたのになぜだか嬉しくて、緩んだ頬を両手で押しつぶした。 重症だ。 こういうヒロインの事を心配…
[一言] >素敵なところを思い返そうとすれば、胸の真ん中がぎゅっと締め付けられるような気がして思考を中断する。昼間も今も、ずっとこの繰り返しなのだ。 さっさと認めちゃえよ( ˘ω˘ )
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