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第26話 氷の解け始める兆し①


 フロレンツから特別指令を受けた夜から3日。

 シュテファニの企画した美術品鑑賞会がバジレ宮の大ホールで開催されている。王家御用達の美術商との共同企画のため、多くの貴族に招待状が送られているという。


 何点か作品を提供しているヴァルターもまた、シュテファニと並んでゲストを迎えるためにパタパタと忙しくしていた。


 一方で、絵画や彫刻に興味のないロベルトとカトリンは一通りの挨拶を済ませると、煙のようにどこかへ消えてしまったようだ。これも、社交界をうまく渡るための技術なのだろうとクラリッサは頭の中でメモしておいた。


 人混みが苦手なヨハンに至っては、そもそも姿を現わそうともしない。こちらは真似をすると自分の首を絞めそうな技術だ。



「わぁ、色使いが斬新な……。それにどちらの風景でしょう。えっと、タイトルは……」


「アナトリ・ソ=ベラ。北方の東の方にある街道だ。花の産地で――」


 クラリッサの独り言に呼応するように、背後から掛けられた声の主はフロレンツだ。振り返って、ありがとうの意を込めて目礼した。


 なぜかこの王子様はクラリッサの傍から離れようとせず、ホール内を共に移動しては作品を解説する。多くの人々が集まる場所だからだろう、今日のフロレンツは護衛と思しき騎士を複数名連れて歩いていた。


 こんなところをアメリアに見られたらどれだけの嫌味を言われるか、考えただけでも恐ろしい。クラリッサは密かにアメリアの姿を探しているが、今のところは確認できていない。


 彼女が現れる前にこの会場から離れることができれば、きっと大丈夫だ。なぜ自分が逃げ隠れしなくてはいけないのかと少々腹が立つ部分もないではないが、王子様に異議を唱える度胸もない。



 小さく息を吐いてから次の作品へ足を向けると、それはヴァルターの絵だった。クラリッサとフロレンツの姿を認めて、ヴァルターとシュテファニも近づいて来る。

 簡単に挨拶を済ませ、4人で絵を眺めた。


 他の作品よりも一層豪華な額におさまったこの絵は、遠くにウタビア王国の本城を据えつつ広い庭を描いたものだ。

 ここのところ中庭でよく描いているのとは違うロケーションで、色とりどりの花が鮮やかである。


(でもヴァルターといえばやっぱり……)


「本当に素敵。このお空がやっぱりいいですよね」


「最近ではヴァルターブルーなんて呼ばれているらしいな」


 クラリッサの言葉に、フロレンツが頷きつつ豆知識を披露する。


 横を見ればシュテファニがやはり少しご機嫌ナナメだ。どうもヴァルターの絵を褒めると彼女の怒りを買ってしまうらしい、というのをこの半月ほどの生活で学んだ。

 だが彼女の瞳や表情を見ればその理由もわかる。彼女はヴァルターのことが……。


 クラリッサはふと思い立って、以前言いそびれたことを説明してみることにした。


「ふふ、私の記憶が確かなら、これはヴァルターブルーと言うよりシュテ――」

「わぁ! クラリッサ、今日はとてもいい天気だよね、そろそろ喉が渇いたんじゃないかなぁ?」


 したり顔で説明しようとするクラリッサを、ヴァルター本人が酷く慌てた様子で遮ってしまった。両手を上げてクラリッサとシュテファニの間に入る様は「隠し事があります」と白状しているようなものだ。


 フロレンツはにやりと笑う一方で、シュテファニは腕を組んでヴァルターを問い詰め始めた。どうやら知らないのはシュテファニだけのようだ。


 クラリッサは、ヴァルターの()()()について問いただすシュテファニの矛先が、自分に向けられる前に逃げ出すべきだと判断する。

 そっとふたりに背中を向けると、同じ考えだったらしいフロレンツが「行くぞ」とでも言うようにクラリッサに右手を差し出した。



 ◇ ◇ ◇



 一通り鑑賞し終えると、展示ホールを出て歓談用の大サロンへ向かう。普段はエントランスホールと呼んでいる場所で、正確には正面玄関扉から控えの間を抜けた先にあるのがこの大サロンだ。


 ここには招待客の歓談用に壁側に多くのベンチが据えられ、楽団も招聘されて心地いい音楽が演奏されている。軽食類はホール中央のテーブルに並んでいた。


 ヴァルターの言葉が気になっていたのか、それとも紳士の嗜みなのか、フロレンツは近くの給仕からワインを受け取るとクラリッサへ渡す。


 クラリッサは礼を言いつつ受け取ったが、心中は穏やかでない。


 この王子様は一体いつまで側にいるつもりなのか、というのが目下の悩みだ。鑑賞会の始まる時間になるとクラリッサの部屋まで迎えに来て、それからずっと張り付いている。

 周囲の視線はもちろん気になるし、護衛が周囲を固めていることも落ち着かない。


 招待客が多くいるこの場では、フロレンツはゲシュヴィスターのフロレンツではなく、王子殿下ということになる。

 粗相をしやしないかと気ばかり焦って美術品鑑賞どころではないし、全く、なんて日だと叫びたいほどだ。



 さすがに歓談用のホールともなると、フロレンツに挨拶がしたい人物も多くいるらしい。気づけば彼はほんの少し離れたところで多くの貴族に囲まれていた。


(これ、こっそり離れてもバレないのでは?)


 今のうちに展示ホールへ戻って、ゆっくり美術品を見て回ることもできそうだ。そうすればアメリアと遭遇しても怖いことは何もない。

 クラリッサは名案を実行するべくフロレンツに背中を向けて一歩踏み出した。


「どちらへ」

「ふぁっ」


 ほんの数歩その場を移動しただけで、護衛騎士が進行方向に回り込んでしまった。


(え、護衛さんの仕事ってフロレンツを守ることじゃないの?)


 まさか護衛騎士までもがクラリッサの挙動を見守っていたとは予想だにしていないため、完全に混乱してしまう。


「リサ、どうかしたのか」


(へ? リサ??)


 つかつかと近づいて来たフロレンツに腕を掴まれ、クラリッサはあえなく降参した。


「あー、いや、えっと、あ、あのケーキを。とても可愛らしいなと思って! へへ……」

「そうか」


 苦し紛れに指さしたケーキを給仕がフロレンツの指示で準備し、あっという間にクラリッサの手元へ運ばれる。実際かわいいし、美味しい。


 ()()と愛称で呼ばれた気がしたが、混乱中の空耳ということにしてスルーする。脳の容量はそんなに大きくないのを自覚しているし、これ以上よくわからないことを増やすべきではない。


「殿下」


 クラリッサがケーキに現実逃避していると、貴族であれば誰もがよく知る顔ぶれがやって来た。


 髪にも髭にも白髪の混じる恰幅のいい紳士がグンター・ギーアスターで、アメリアの父だ。瞳は薄い水色で、いまいち思考が読めないためクラリッサは幼い頃から苦手にしている。


 明るいブラウンの髪を後ろで一つに結んでいる痩身の男が、ヨハンの父ベンノ・ハーパー。緑色の瞳はヨハンより濃い。


 そして、アメリア。今日も巻き髪がきっちりスタイリングされ、ポヨポヨと揺れていた。このスタイリングにいつもどれだけ時間をかけているのかは、最近のクラリッサにとって気になるけど聞けないことの暫定一番である。


 席を外したいクラリッサと、外すべきだという一般常識が噛み合った瞬間だ。

 クラリッサはこの機会を待ってましたとばかりに逃げ出すことにした。



今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。教師になるため日々模索中。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。表向きはゲシュヴィスター制度の研究をしている。

●ヴァルター:ペステル家長男。絵描き。ふわふわ系男子。

●シュテファニ:ローゼンハイム家長女。全ての貴族の憧れ。

●グンター:ギーアスター伯爵家当主。アメリアの父。

●ベンノ:ハーパー伯爵家当主。ヨハンの父。

●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。縦巻きロールと敵対心がチャームポイント。


名前だけ登場の人

●ロベルト:エルトマン家の長男。仕事のできるチャライケメン。

●カトリン:オスヴァルト家末女。ふわふわ天然。もちもち。

●ヨハン:ハーパー伯爵家次男。アメリア曰く陰気臭い。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヴァルターとシュテファニ……めんどくさい奴らめ。 だが! それがイイ!
[一言] クラリッサ「なんて日だ!!(のけぞりながら)」
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