第23話 靄のかかる未来④
クラリッサは、臙脂色のカーペットを踏みしめる自分の爪先を一心に見つめ、ロベルトの言葉の意味を考える。
行政府が多少でも関係していてアイヒホルンの名前が出るということは、祖父カスパルが推し進めようとした制度の改革についてだろうか。
昔、文部省の大臣だったカスパルは、ゲシュヴィスター制度にいくつか改善すべき点を見つけていた。改善申請書やそれに付随した資料の写しはまだ屋敷に保管してあったはずだ。
ただそうすると、ロベルトの言葉では行政府は制度改善の内容などどうでもよかったと受け取れてしまう。
(いや、その他の貴族もみんな、制度の改善より既得権益を守るほうを優先したって意味にも……)
クラリッサがブツブツと言葉にならない言葉を口の中で発していると、その視界が急に暗くなった。廊下の灯りが遮られたのだと気づいて、慌てて顔を上げる。
「やぁやぁクラリッサ。なんか久しぶりじゃん」
「ろ、ロベ――」
「あれー。なんか見違えるくらい綺麗になってない? 最初はどこの田舎娘かと思ったけど」
前半の褒め言葉が霞むくらい直球の本音にクラリッサは言い返せない。どうせ田舎の弱小貴族だ。
しかしバジレ宮へ来て以来、ほとんど毎晩のようにメイドたちがマッサージや肌の手入れをし、加えて厳しいダンスのレッスンに鍛えあげられた甲斐あって、クラリッサの見てくれは鏡を見て惚れ惚れするほど変化があったのも確か。
ムッとするべきか喜ぶべきかわからないまま、結局いつもの曖昧な笑顔を浮かべてしまう。……と、ロベルトが何か思い出したようにパンと手を叩いた。
「一緒に食事でもどう? クラリッサ、全然俺の部屋来てくれないしー」
「いやそれは」
「悪いなロベルト。俺が先に予約してる」
ロベルトの背後から涼やかな、というより最早真冬のブリザードじみた声が刺さって、クラリッサは肩をひゅっとすぼめる。
バジレ宮へ来た当初にフロレンツから、ヨハンやロベルトに媚を売るような浅ましい真似はするなとシッカリ脅されていたのを思い出して、小さくした肩を両腕で抱いた。
いやきっとこれは不可抗力にカウントしてもらえるはずだ。クラリッサから誘ったわけではないし、大丈夫のはず。
盗み聞きがバレているならどっちみち叱られるかもしれないが、いや、盗み聞きではない、断じて。
(……てか先約なんてないんですけど?)
「へぇ? わーフロレンツ君こわーい」
背後を振り返ったロベルトの表情はクラリッサからはよく見えなかったが、声音にはフロレンツをからかうような色があった。
こんなに凍えるほど冷たくて恐ろしい空気が漂っているのに、すごい勇気だ。ただできれば今は控えてほしいタイプの勇気である。
わざとらしく肩をすくめたロベルトがチラリとクラリッサに視線を戻すと、「じゃあね」と手を振って立ち去った。
いや、待ってほしい。置き去りにされるのは困る。
が、クラリッサの願い虚しくロベルトはあっという間に立ち去って、辺りは静寂に包まれた。ゆっくり、恐る恐るフロレンツの顔を見上げて口を開く。
叱られる前に何か話しかける作戦である。
「えと」
「食堂は人の出入りが多すぎる。サロンに用意させるから1時間後に」
「はい?」
フロレンツはクラリッサが己の言葉の意味を理解するまで待つことなく、背中を向けて歩き出した。
その背中にどのような言葉を掛ければ、自分の置かれた状況を正しく理解できるようになるのか、クラリッサにはわからない。
(待って待って、どうしてこうなった?)
一先ず、脱力して柱に寄りかかってみる。無駄な力を抜けば脳に血が巡るかもしれないからだ。
目的はさておき、フロレンツはクラリッサと食事を共にするつもりで、1時間後にサロンへ来いと言った、というのが変えようのない事実だ。
どうしてそうなったかはよくわからないが、バジレにおいて王子様の言葉は絶対だろう。ふむ。一大事だ。
彼は会話のキャッチボールがすこぶる上手じゃないことは、先日のダンスのときに実証済みであり、つまり。
「詰んだ……」
食事ともなると拘束時間は先日のダンスなんて目ではない。
クラリッサは一刻も早くカルラに助けを求めるべく、小走りで自室を目指した。バジレ宮へ来る前には王城で働いていたカルラのことだ、フロレンツが興味を持ちそうな話題なども知っているかもしれない。
◇ ◇ ◇
「カルラさん?? これ、どういうことでしょうかね?」
「殿下とお食事ですもの。失礼があってはいけませんから」
「いやそれにしたって」
カルラに状況を説明した結果、クラリッサはなぜか全身をぴかぴかにオメカシさせられていた。
裾にサーモンピンクの花を刺繍されたベージュのドレス。ふわわっと結い上げられたアプリコットオレンジの髪には、ラピスラズリの装飾がついたスティックが差し込まれる。
鏡に映るクラリッサはどこか良家のお嬢様然としていて、しかしアイスグレーの瞳だけが不安そうに揺れていた。
鏡越しに、背後で満足気に微笑むカルラとパチリと目が合う。
「シュテファニ様にも負けませんね。アメリア様には大きく差をつけましたよ、お嬢様!」
「ごめん、意味がわからない」
もしかしてカルラも、バジレ宮のことを貴族の出会いの場だとか思っているわけではあるまいな、とジットリ睨みつけても相手はどこ吹く風だ。
別に、他のお嬢様方とレースをしているわけではないし、そもそもカルラの評価はだいぶ私見が混ざっていると思う。最早9割くらい私見だけで発言しているとしか思えない。
部屋に戻って状況を報告するや否や、お人形遊びのようにああでもないこうでもないとドレスを着せ替えられてしまった。
フロレンツ対策に話題を乞う暇もないほどだ。
度重なる試着に疲れた体を、少しでも休ませようとクラリッサがソファーへ足を向けたとき、コツコツ扉を叩く音が鳴る。
準備が整ったのだろう。クラリッサは大きく溜め息を吐いてからカルラに頷いてみせた。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。教師になるという目標を見つけた。
●ロベルト:エルトマン公爵家長男。チャラモテ男子。でも実は一途過ぎるくらい一途。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。無表情で偉そう。
●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。
名前だけ登場の人
●カスパル:クラリッサの祖父。故人。
●シュテファニ:ローゼンハイム公爵家ひとり娘。全貴族の憧れの君。
●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。縦巻きロールと敵対心がチャームポイント。
今回登場用語基礎知識
●行政府:現在はエルトマンが大臣。立法府と六省との橋渡し。
●文部省:国内の教育、倫理を司る。また、外交も担当。現在はギーアスターが大臣。
●ゲシュヴィスター制度:5~10歳の同年代の貴族の子が集まって基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的であった。




