第20話 靄のかかる未来①
「だからね、わたしはここへ逃げて来たようなものなの。家格家格とうるさくて。ヘタなところから婿を貰うくらいなら、エルトマンに嫁に出したほうがいい、なんて言うのよ。ロベルトなんて一番あり得ないのに!」
シュテファニが握った拳をテーブルに叩きつけた。ご令嬢の細い腕ではテーブルをポコンと小突く程度の威力にしかならないが、その怒りが本物であることは聞いている者に十分伝わるだろう。
彼女が言うには、先日の夜会で父であるローゼンハイム公爵からお小言をもらったらしい。かのエリート公爵家の一人娘ともなると、小さな双肩にかかる重荷はクラリッサには想像もつかない。
今日はカトリンが主催するお茶会があり、女性陣だけが庭に集まっている。歓迎会の日と同じように大きな円形のテーブルが用意され、庭の緑に映える乳白色のテーブルクロスが鮮やかだ。
真ん中にはケーキスタンドがあって、下からサンドイッチ、スコーン、タルトが並んでいる。
各人の席には小ぶりのスープ、スコーンに合わせるジャムに生クリーム、それからチョコレートも。カラフルでとびきり甘い香りのお茶会は、確かに乙女心をくすぐった。
侍従による給仕を必要としないケーキスタンドは本来、中流から下位の貴族が使うもののはずで、このバジレ宮に用意があることにクラリッサは最も驚いた。
クラリッサにとっては比較的馴染み深い器具であり、一品食べ終えるごとに甲斐甲斐しく世話をしてもらうより気楽ではあるのだが。
ケーキスタンドが採用された理由は、カトリンによれば「女の子だけで内緒のお話がしたいの~!」ということらしい。できるだけ給仕の近づくタイミングを減らしたかったのだとか。
このシュテファニの様子を見る限り、確かに話を聞く人間は少ない方がいいだろう。
(すごい女子会感……。楽しい!)
クラリッサには友達と呼べる友達がビアンカしかいないため、ふたりよりも多い数でお喋りするこの状況がとても新鮮だ。
アメリアの新しい香水の香りにばかり気を取られて、シュテファニの話をまるで聞いていないように見えたカトリンが突然、シュテファニを振り仰いで抗議を始める。
「え~。ロベルト優しいし面白いしいい人だよ~?」
「人間関係が雑なの」
「あ~。確かにお友達多いよねぇ~。え、それが駄目なの?」
「カトリンにはまだ早い話ですわ」
「アメリアひどい~」
カトリンは原則的に善人で無垢。悪く言えば世間知らず。それがクラリッサのカトリン評だ。世間知らずが盛大なブーメランになる自覚はあるけれども。
あのロベルトを捕まえて「友達が多い」と考えているだけなら、クラリッサよりもずっとずっと重症だと言える。
ただ、このお茶会で語られる赤裸々な会話は、彼女たちの本音や性格に深く触れられる気がする。なにより、聞いているだけでとても楽しいし、きゅうりのサンドイッチは美味しい。
「カトリンはどんな人が好き?」
「えっと~、優しくて面白い人? あ、これじゃロベルトだね~! あはは!」
「家格の話だけでしたら、シュテファニに見合うのはロベルトかフロレンツになってしまいますわね。以前はハインリヒ様かと予想していたのだけど、彼、あっという間にエリーザ様と婚約してしまって」
「アタシはシュテファニのお相手はユストゥス様かと思ったな~」
貴族なら誰でも知っているような高位貴族の名前がタイムセールのようにポコポコと飛び出てくる。末端のクラリッサがこの話を聞き続けていいのか焦ってしまうほどだ。
(エリーザ姉さまとユストゥスかぁ。ずいぶんお会いしてないけどお元気かな)
エリーザは五名家のひとつグレーデン家の長女で、3年ほど前に王太子のハインリヒと婚約した。その弟のユストゥスはクラリッサよりひとつ年下で、婚約はまだだったはずだ。
確かに、五名家であればシュテファニの相手としても申し分ないだろう。ユストゥスもシュテファニも、それぞれ家督を守らなければならないという問題は避けようもないが。
「年下はちょっと。それに、グレーデンはアイヒホルンとも近いしお父様が許さな――あ、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です」
グレーデン家はクラリッサの母ロッテの実家である。エリーザやユストゥスはクラリッサの従姉弟にあたる。
シュテファニが失言に気づいて口元を手で隠した。末端貴族であるクラリッサにはその仕草すら洗練されているように見え、憧憬の念をもってホウと溜め息を吐く。
やはり彼女は全貴族の憧れと言われるだけあって、何をやっても美しい。バタバタと顔の前で両手を振るだけのクラリッサとは天と地ほどの差があるというものだ。
「以後気をつけるわ。なんの話だったかしら。フロレンツもロベルトもわたしの手には余るわよ。ねぇ、アメリアこそフロレンツがお好きでしょ?」
「わたくしはフロレンツもロベルトも素敵だと思いましてよ。ただ幸せにしてくれるかと言うと難しいかしら。ヴァルターなら大切にしてくれそうですけど……どちらにせよ、ギーアスターから婚約の申し入れはできかねますし、これ以上はなんとも」
「ヴァルターも五名家だもんね~。ウチやギーアスターからは申し入れできないね。ねぇねぇ、クラリッサは誰と結婚したいの~?」
気配を消して聞き役に徹していたクラリッサは、カトリンからの突然の剛速球に「待ってくれ」の一言が出てこない。きゅうりの欠片が喉の入ってはいけないところに入り込み、真っ青になって咳を繰り返す。
さすがに見かねたらしい侍従がタオルや水をたくさん持ってきて、クラリッサの背中をさする。
カトリンとシュテファニが心配そうに、アメリアが冷ややかに見つめる中でやっと落ち着きを取り戻すと、深く息を吸って吐いてを二度繰り返す。
まったく、誰と結婚したいかだなんて突然聞いていいことではないと思うのだ。
「ごめんなさい、お騒がせしました。私はそういうの考えたことがなくて、わからないです。そういえば、誰もヨハンの話はしないのですね」
「誰も結婚したいとは思わないのではなくて? あんな……陰気臭い人」
アメリアの辛辣な言葉に、クラリッサはもうひとつ追加で咳をした。
今回登場人物紹介
●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。チェスならポーンと言われるくらいの人。
●シュテファニ:ローゼンハイム公爵家ひとり娘。全貴族の憧れの君。
●カトリン:オスヴァルト伯爵家の末っ子。もちもち。世間知らず。
●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。縦巻きロールと敵対心がチャームポイント。
名前だけ登場の人
●ロベルト:エルトマン公爵家長男。チャラモテ男子。
●ヴァルター:ペステル伯爵家の長男。のんびり屋さん。絵描き。
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。遊び人という噂。でも無表情で偉そう。
●ハインリヒ:ウタビア王太子でフロレンツのお兄ちゃん
●エリーザ:グレーデン伯爵家長女。クラリッサの従姉。
●ユストゥス:グレーデン伯爵家長男。クラリッサの従弟。
●ヨハン:ハーパー伯爵家の次男。クールな見た目と柔らかい物腰がアンバランスな魅力の引き籠り。
今回登場用語基礎知識
●五名家:ウタビア建国に尽力した五家。ローゼンハイム・エルトマン・グレーデン・ペステル・アイヒホルン。




