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第15話 想定外の一面①


 夜になってクラリッサの寝支度を整え終えると、カルラは静かに部屋を出て行った。寝室から続く全ての部屋の灯りが点いたままになっている。


(ほんとに、うちで働いてくれてたんだ)


 クラリッサは部屋と部屋を仕切るドアの隙間に漏れる明かりと、寝室を微かに照らす壁掛け照明(ブラケットライト)に彼女の言葉が裏付けられたことを知った。


 別に彼女を疑っていたわけではなく、ただアイヒホルンを愛した同士であり、昔も今もクラリッサを大切にしてくれているのだと実感できたのが嬉しかったのだ。


 クラリッサは幼い頃から暗い部屋が苦手だった。いや、苦手という言葉では恐らく足りないだろう。狭くて密閉された空間もまた同様にクラリッサに恐怖を与える。


 そのため寝るときでさえ、ブラケットライトをいくつか点したままでなければ落ち着いていられないのだ。



 カルラの気遣いに感謝しつつ、ベッドに身体を横たえた。決して心地良いとは言い難い疲労感が全身を重くさせる。

 瞼を閉じて一日を振り返れば、カルラとの再会や、アメリアの拒絶、シュテファニの激昂といろいろな出来事が浮かんでは消えた。


(あ。そういえば、ロベルト!)


 クラリッサはロベルトと話していたときに感じた既視感のようなものの正体に思い至った。彼のことはバジレ宮へ来る前にビアンカに説明していたのだ。


 彼は幼い頃にもムードメーカーとしてみんなの中心にいたではないか。

 いつも皆の中心で笑っていた男の子を、クラリッサはいつからかフロレンツだと思い込んでいたらしい。ロベルトの笑顔は確かにあの頃のままだというのに。


 当時の記憶はささやかな欠片になって、少しずつクラリッサの心にある。クラリッサにとってはどれも大切な宝物に違いないのに、どうやら記憶を改ざんしているものもあるようだ。



 ――リサがいなかったら、オレ、どうしたらいいの……っ!


 ()()()()()の声を脳裏に感じながら、クラリッサはふわふわとした睡魔の訪れに身を委ねた。



 ◇ ◇ ◇



 クラリッサがバジレ宮で生活を始めてから、あっという間に一週間が経過した。好きなことをしていいと言うから、先ずはたくさん本を読んだり絵を鑑賞したりしようかと胸を弾ませていたのに。


 この一週間、クラリッサの日常はダンスとマナーと語学に染め上げられて、胸を弾ませるようなタイミングはどこにもなかった。現実とは非情なものだ。


 最初こそクラリッサも、教えていただけることに感謝するべきと自分に言い聞かせていたが、何事にも限度があるのだという世の理をひとつ学ぶことができた。


 これが高位貴族にとって当たり前の生活であるならば、もはや末端貴族のほうが幸福度は高いような気すらしてくる。



 ただ、夜になるとメイドが複数名クラリッサの部屋までやって来て、全身のマッサージや肌の手入れをするというのもまた、バジレで新たに追加された日課だった。


 これもフロレンツの指示だとカルラは言う。目的はわからないものの、このご褒美があるからクラリッサは日々を生きていけるのだ。どうして、などと野暮なことは考えないほうがいい。



 今日は教師の都合により夕方の授業が休みになっていた。クラリッサにとっては一週間ぶりの自由な時間だ。

 ダンスの練習を終えたばかりのクラリッサは、この後の自由をどのように満喫するか妄想を繰り広げながら、喉を潤すために食堂へ向かう。


 図書室へ行って本を読むのもいいし、改めてギャラリーへ行ってゆっくり鑑賞するのもいい。

 そんなことを考えながら軽い足取りで歩いていると、前方からとても煌びやかな集団がやって来るのがわかった。


「わークラリッサだ! なんだか久しぶりだね~」

「わたしたちはこれから本城での夜会なの」


 カトリンとシュテファニがニコニコと手を振っている。その背後を、会釈したり小さく手を上げたりしながらヴァルターとロベルトが通り過ぎた。


 彼女たちは普段着ではない豪華なドレスを身にまとって輝いていた。匠の手による繊細なデザインは、各々の魅力をこれでもかと引き出している。思わずウットリと眺めては溜め息を吐いてしまう。


「行ってらっしゃい、楽しんで!」


「あなた、なんのためにダンスの練習してらっしゃるのかしら? 披露するような機会もないでしょうに。ふふっ」


 流れのままに見送りに立って手を振るクラリッサに、アメリアが間髪入れず嫌味を放り投げた。


 なんのために、というのはクラリッサが最も知りたい疑問である。なぜ毎日これだけの練習をさせられているのだろう。おかげさまで体中の筋肉が悲鳴をあげており、およそ人間らしからぬ動きを強制されているというのに。


「はは……なんででしょうね」


 アメリアに対して、フロレンツの指示であると正確な報告をしてはいけない。クラリッサは曖昧に笑って誤魔化した。

 うっすらと唇を開いて何か言いかけたアメリアは、しかしカトリンの呼ぶ声に応じてその場を立ち去った。


「はぁ……」


 小さくなるアメリアの背中を見送りながら、クラリッサは自分の間の悪さを呪う。もうちょっとだけここを通り過ぎるのが早いか遅いかすれば、かち合うことはなかったのだから。


 この様子ではアメリアを懐柔するのは至難の業だろう。接点が多くないのがせめてもの救いと言える。


 気を取り直して食堂へ歩を進めると、響く靴音がクラリッサにはやけに大きく感じられた。


 また、食堂に近づいてもいつもの活気がない。

 恐らくこのバジレ宮の住人がほとんど出払ってしまったことで、働く人々もまたその活動を縮小しているのだろう。


 今までも別にここを騒がしいとかうるさいとか思ったことはなかったが、人がいないとこんなにも静かなところだったかと、ほんの少し寂しさがこみ上げてきた。


今回登場人物紹介

●クラリッサ:弱小男爵アイヒホルン家の長女。離宮での生活になじめるか不安。

●カルラ:バジレ宮におけるクラリッサの侍女。以前はアイヒホルン家で働いていた。

●シュテファニ:ローゼンハイム公爵家ひとり娘。全貴族の憧れの君。怒るとこわい。

●カトリン:オスヴァルト伯爵家の末っ子。もちもち。

●アメリア:ギーアスター伯爵家長女。縦巻きロールと敵対心がチャームポイント。


※名前だけ登場の人

●ロベルト:エルトマン公爵家長男。闇が深そうなチャライケメン。

●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。割と執念深そうな無表情イケメン。

●ヴァルター:ペステル伯爵家長男。画家。のんびり屋さん。

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― 新着の感想 ―
[良い点] カルラさんのこの気遣い、ありがたいなぁ……。 もう本文と同じぐらい、あとがきを楽しみにしている私がいる。 >闇が深そうなチャライケメンw >割と執念深そうな無表情イケメンww ロクな…
[一言] >●ロベルト:エルトマン公爵家長男。闇が深そうなチャライケメン。 公式だったwww
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