第14話 知ってること、知らないこと⑥
ロベルトが出て行ってシンとした部屋の中で、フロレンツは書類に目を通していた。
もう何度見たかわからない資料の束だ。
アイヒホルン家が管理していた貿易の要、コラカル港を通じて王家が輸入した「茶葉」と「麝香」の二種の物品。これがある日、監督省の指示で行われた抜き打ちの棚卸で、あるべき数量に満たないことが発覚した。
港に到着した時点での検品書類がアイヒホルンから提出されたが、証拠にならないとして棄却された。
港から王城に運ばれる過程で横領されたというのが監督省の主張だからだ。
『――納入先である財務省財務部および財務省総務部では、納品物件に関する検品を行っておらず、アイヒホルンの運んだ物件の数量を担保しない』
『――倉庫から秘密裏に持ち出そうとしても、出入りする人物は監督省管轄の監視人によって厳重に持ち出しチェックが行われているため困難で』
財務省は納品件数を確認していないが、倉庫に入れてしまえば既定のルールから外れた方法で物品を持ち出すことは不可能なのだから、アイヒホルンが盗んだに違いない。
簡単に言ってしまえばそんな幼稚な主張だ。
財務省が納品時の検品をしていなかったことも、定期的な棚卸をしなかったことも、アイヒホルンの指示だったとされている。
そして財務部および総務部の担当者が足切りされて別の仕事に飛ばされただけ。財務省の大臣に至っては、内部告発を賞賛されて管理不足はお目こぼしらしい。
普通、こんな横暴がまかり通るとは思えない。
さらに事件後の人事もまたおかしい。
『――財務部門長アウグスト・マイザー、官吏省北方管理部長へ。
――総務部門長ゲレオン・ガルドゥーン、武官省兵装管理部長へ。
――文部省大臣カスパル・アイヒホルン、退任、伯爵位の奪爵とそれに伴う領地の接収。
――監督省大臣グンター・ギーアスター、文部省大臣へ。空位となる監督省大臣には、同じく監督省からベネディクト・オスヴァルトが就任』
なぜ監督省が出しゃばって来たのか?
なぜ財務省の職務怠慢が内部告発しただけで許されるのか?
なぜ、誰もアイヒホルンを擁護しなかった? 証拠不十分なままなぜ断罪された?
疑問はいくらでも湧き上がる。フロレンツの目から見て、怪しいのはアイヒホルンよりも財務省だ。だが監督省が財務省の無罪を請け合っている。
では、事件によって得をしたのは誰か。
まず目につくのはオスヴァルトだろう。監督省の中の一部門をまとめる中間管理職から大臣へと大抜擢だ。
監督省の大臣だったギーアスターも、管轄が変わっただけに見えて実は違う。今までの自分の領地に加えてアイヒホルンの所有していた領地の一部を受け継いでいた。例えば、コラカル港だとか。
それにこの事件の翌年には、茶葉と麝香を王家の直接輸入ではなくギーアスター家の息のかかった商社に代理輸入させる方針に変更している。
直接的なギーアスター家の利益にはならないが、裏でどうなっているかは考えるまでもない、とフロレンツは溜め息を吐いた。
書類の束から、比較的手垢の少ないものを引っ張り出す。15年前のゲシュヴィスター申請書だ。
事件の審議書類を穴が開くほど読み続けたある日、フロレンツは天啓でも受けたかのように思いついたことがあった。事件の関係者には共通点があると。
それが、ギーアスター家がホストとなったゲシュヴィスターだった。
参加者はイザーク・ハーパー、カーステン・ギーアスター、ルッツ・マイザー、ゲアノート・ガルドゥーン、レオン・オスヴァルト。当時5歳または6歳の男児5人が集められていた。
当時は参加者全員が男児であることが話題になったらしいが、フロレンツより上の世代のことなので気づくのが遅くなった。
ゲシュヴィスター制度を利用して良からぬ計画を企てたと考えてまず間違いない。
だからフロレンツはゲシュヴィスター制度の研究をすることにしたのだ。財務省へバジレ宮の利用申請と、文部省へ当時の自分のゲシュヴィスターを集めるためのゲシュヴィスター特別申請を行った。
ハーパーとギーアスターに対する宣戦布告だ。
息子や娘を集められた彼らはどう対応するだろうか。そこへ、かつて自分たちが陥れた家の孫娘が現れたら?
クラリッサの婚約者がアルノーで良かった。新興の子爵位ならフロレンツでも動かすことは容易いというものだ。少し突いただけであっけなく婚約を解消することに同意したし、監督省へ異動させることにも成功した。
ほら、もう何もできない子どもじゃない。
「殿下、庭のランタンが度々消灯してしまうので取り替えたい、と。恐らくネズミが齧っているのだと思われますが、いかがいたしましょうか」
執事のアヒムが言う。
アヒムはフロレンツの右腕にしてバジレ宮の従者をまとめる大役を担っている。宮内のあらゆる出来事がアヒムの耳には入るが、備品の交換ごときの報告がフロレンツまで上がることは普通ならありえない。
「しばらくそのままで。ネズミが何を食べたがってるのか確認したら交換してくれ」
思ったより動きが早い。
フロレンツはアヒムが一礼して立ち去るのを見つつ、唇の端が持ち上がるのを止められなかった。
やはり、息子や娘を手元から引き離されると不安になるものなのだろう。まるで人質にしているような気分だが、こうして相手方の焦りが見えるのは楽しいものだ。
当面は、なぜアイヒホルンがその他の貴族から見捨てられたのかについて考えるのがいいだろう。
仮説でも構わないから、とにかく全ての「なぜ」を明らかにしなければ、きっと対策は立てられないのだから。
今回登場人物紹介
●フロレンツ:ウタビア王国の第二王子。離宮にかつての幼馴染を集めて何かしようとしている。
●アヒム:フロレンツの執事さん。
名前だけ登場の人
●ロベルト:エルトマン公爵家長男。軽薄チャライケメンと思いきやヘタレ一途の可能性。
今回登場用語基礎知識
●ゲシュヴィスター制度:5~10歳の同年代の貴族の子が集まって基礎教育を受ける。元は王族の情操教育が目的であった。
●監督省:司法および警察権を持つ。国内治安維持など。現在はオスヴァルトが大臣。以前はギーアスターだった。
●財務省:国家財政および地方行政の監督。現在はハーパーが大臣。
●武官省:王国の軍事に関わる全てを掌握。現在はアウラーが大臣。
●文部省:国内の教育、倫理を司る。また、外交も担当。現在はギーアスターが大臣。過去にはアイヒホルンが大臣を担っていた。




